天使の囁き,悪魔の唆し~当人を騙し、支配しようとするエゴイズム
自分のことが解らないと言う人は多い。
自分がどういう人間であるのか…と言うような、自分の情報についてもだし、自分が好きなこと嫌いなこと、何をすれば喜ぶのか、何が不愉快で、何に耐えられず、どんなことが強いストレスとなってしまい、どんなことに怒りの沸点が超えてしまって、激昂を覚えたり強く反応してしまうのか…自分の心が強く惹かれることが何なのか、何を求めているのか、何をしたら満足出来るのか…などなど。
そして、自分の本当の心のありかについても、理解していない人は多い。
一見、感情過多で感覚が鋭敏すぎるかのような人でも、自分の心の声を聴いていず、それらを無視して、想いを抑圧して気持ちに蓋をし、ごまかしたり、頭のノイズの方を自分の声だと思い込んでしまっている人も多かったりする。
心が求めることよりも、頭で考えること…そちらの方が自分にとって正解であり、従うべき最良の策であると思い込んでいる人もこれまた多い。それが本心であり、すべてにおいてベストな選択だと勘違いしている人の何と多いことか。
ある程度の回数や年月、セッションを受けて下さっているリピーターさんについて共通することで気が付いたことがある。表面的に表れている問題をいくつか解決して掘り下げていくと、根底にある潜在意識の問題が浮き彫りになるので。実のところ、それが本当の問題であり、(うちに通って下さることになった)すべての問題の核であり、次から次へと問題を創り出したり引き寄せたりしては当人を悩ませ、苦しめる、根深い悪の元凶(巣窟)と言ってもいいものである。
けれど、ここに到達するためには、上に積み重なったあらゆる雑多な問題を一つひとつ片付ける必要があったのも事実。最初からダイレクトにここに到達出来ていれば、こんなに長いこと通って、多額のお金や時間も費やす必要も無かっただろうに…とは思うが。ここに至るまでに一つひとつの問題を振り返って、それらと向き合って、そこから反省や学びを得て、得たことを咀嚼して身に着け、糧にしていく時間も、成長のためには必要な過程であったと…それもまた事実。でないとここに至ることも、このラスボスたる問題の核と対峙する力も得られなかったであろうから。
そのラスボスとは、その人の中に内在するエゴイズムの塊。その人自身が、自分自身であると勘違いし、自分の本心であり、正しい視点であり、理性でもあると錯覚している、ニセモノの自分(の声)だったりする。
エゴイズムの素材もまたエレメンタルなのであるが、それはそれ、ここでは深く説明するのは止めておく。して、エゴイズムについては別の記事でもたくさん語っているので参照して下さい。
とにもかくにも、自分では無い…というか魂と一致せず、本当のその人(内なる神)から離反させるように仕向ける、エゴイズムが作り出した邪悪なシャドウ・セルフとも言える人格を、自分自身であると誤解して、その声に奴隷のように従って、操られている人が世には多すぎる。
内なる神…魂と一致させるために導く善なる心の声と、その導きの声をノイズのようにかき消し、そこから遠ざけて、真実の意味での自我(エゴ)を持たせぬまま…自己の力を弱いままにさせて、エゴイズムの下僕へと貶めようとする誘惑の声。この二つの対比は、時に天使の声と悪魔の声とも例えられる。そう、例えば…ときにアニメや漫画の作中にて、ちょっと古いけど「ポパイ」の中でよく出てきた、天使のポパイと悪魔のポパイが、ポパイにあれやこれや双方の立場から物申し、まるで大岡裁きのようにポパイを取り合うシーン。
このエゴイズムのボスは、劣等感や罪悪感を刺激し、他人や自分に対する不信感を植え付ける。時に傲慢さやナルシズムにも火を点け、肥大した自我を育てることもあるし… そのエゴイズムの方向性・性格にもそれぞれ個性というか、その人なりの癖、特徴というものがあったりする。
そして、そのエゴイズムがその人の成長を妨げ、不幸な人生へと辿らせて、その人がその人らしく生きること、自らの創造性を発揮して人生を開花させることを邪魔しているのです。まさに人の中に棲まう悪の華たる悪魔。
このエゴイズムは、外からお仲間を招き入れることもよくあるし(憑依する肉体を求める霊そして邪氣、他者が創ったネガティブなエレメンタル。時に過去生の未熟なパーソナリティ)、主であり宿り主であるその人自身を乗っ取ろうとする。この辺りは実に巧妙だと感心する。エゴイズムには智慧があり、実に狡猾で悪だくみに長けているので。
そして、時に神や仏、天使の声であるがごとく、善なる導き、味方のふりもする。ハイアーセルフとかその類、守護霊だったり、そんなこんなの演技も得意なもの。だから、チャネリングは危険だし、そのようなものにハマったりするものではない。成りすましをするのは、何も動物霊や悪霊だけに限ったことではないのだ。
過去生セラピーやチャクラヒーリングの現場では、このエゴイズムと対峙することは避けられないし、その本骨頂が問われる現場であるとも言える。
とは言うものの、エゴイズムとは戦うべからず…ではあるが。
最近も立て続けに、「やれやれ、ようやっと出てきたか…」と長い道のりの末に、ようやく姿を現したホンボシを前にして、「お前か!お前なのか!」って…ニヤリとほくそえんでしまったりなんかした。戦いの前の身震い?みたいな。でも、そいつをどうやって攻略出来るかなんて、勝算はないんだけどね。はい。その日一日でどうにか出来る奴ならば、ここまで長い年月をかけて、手こずらされてないです。少しずつ、ちょっとずつエゴイズムのヒューマンリソースを削って、じっくり取り組んでいかないと、当人の心身の健康にダメージ与えるだけだから。ある意味で、ラスボスを見つけたときが始まりであり、ここからがまた長かったりもする。
てなわけで、持久戦なのは変わりない。何よりも、誰でもないそのエゴイズムを抱えている当人が、この心の闇たる敵を手放し、過去と決別する覚悟を持って、自らの力を取り戻す決心をしてくれないことには…なので。ようするに「私は負けない!」って、そう思ってくれないことには。
これは外から侵入した霊では無いと言うのもある。それとはまったく別のもの。寄生した他者意識ならば、まだ簡単だ。当人自身がそのエゴイズムのことを自分自身だと思い込んでいるので、分離させるのはとても難しく、厄介な作業でもある。それをするには基礎的な知識を持ってもらう必要があるし、自己探求の旅に入ってもらう必要もある。自分というもの、自我(エゴ)と自意識をしっかりと育て、自己確率をしてもらうことから始めないと、何処から何処までが自分でそうでないものか見分ける段階で迷子になってしまうから。
さて、霊的真理の学びの場においては、下記のような図式を用いて、自らのエゴイズムをあぶりだすことをしたりする。参照まで。
ちょっと薄く写ってる書き込みが汚くて申し訳ない
自分の中にどのようなエゴイズムが隠れたり、眠っているのか、自分自身のエゴイズムについて観察してもらうのである。
エソテリックな学びの場ではもちろん、秘教的な学びや魔術のトレーニング、そしてスピリチュアルかつサイキックなトレーニングにしても、仏教などの精神修養の場においても、まず先に取り組むのは己を見つめ、よく観察し、自身について知己を得ること。それが一番最初の学びで、取り組むべきことで基本中の基本だったりする。それなくしては真理の探究および秘教的な学びや精神的修養の入り口に立つことは出来ない。どの道にも共通することでもある。
それはシャーマンの世界でも同じこと。ビジョンクエストもそうだし、成人するための儀式など、あらゆる通過儀礼にも用いられていたりする。
でも、エゴイズムを克服するのはとても難しいこと。制御しようとして飲まれてしまうこともよくあるし、騙されまいとしてかえってミイラ取りがミイラになって騙されてしまう人も未だ減らない。とくにスピリチュアルな道の人に関しては。
だから、このようなことは一人で対峙するのは危ない。師匠と言うか、導き手としてのマスターの手ほどきが必要で、出来ればグループを作って取り組むのが良かったりする。自分以外の視点と視野、他人という客観的な存在が必要不可欠な作業でもあるのです。
ちなみに私の中のモンスターは怒り狂ったモンスター。こやつ、なかなか手強いですのよ。何度滅しても、復活してくるしっっっ
ここまで書いて疲れちゃった。続きを書くかも知れないし、書かないかも知れない。ちなみに他のエゴイズムの記事はこちらに一覧で貼っておきます。タイトルにエゴイズムが入っているものだけですが、他にも触れている記事はたぶんあるんですよね。でも、探すのが面倒でごめんなさいっっ
って言うかー それでもって、自分の本心。肝心な心の声を聴く方法について書いてないことに気が付きました。うーん。またそれは別に書きますね。しばしお待ちを。
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