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In My Life ~ Promised Land

あれは
初めてこの街に来た時に
クリスマスローズ買った花屋

あの映画館は今日も
3本立て…
パムが連れてきてくれた

噴水にカエル20匹
放り込んで逃げた仲間は
ラルフ・ルディ・トッドとペギー

"おいで おいで"と番人が
ボク達を招き入れてくれた広場にも
来春には家が建つ…

覚えておこう
河っぷちの出店
駅前のアーケード

覚えておこう
何もかも…

    by 三原順「はみだしっ子~つれて行って」

里帰り出産だったので出生地は鹿児島ですが、育ったのは千葉県な私。

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とは言うものの、地元である千葉のこと、あまり好きではありませんでした。家庭環境が色々あったせいもあり、千葉に住み続けることは全く考えて無かったのですね。ある意味で辛い思い出がある土地であったから。でも、年を取ってから、「ああ私にも地元愛と言うのはあるんだな」って思ったのが、2年前の台風で千葉県が被災した時。実家も半壊しましたしね(屋根が飛んでった)。

今もまあ、住む(戻る)ことは考えてないです。実家のあるところは確かに家賃とか安いんですけどね。友人も勿論住んでいるんですが。

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私の地元はこの地図だと、メトロポリタン寄りの工場。だから海ってのはになるから、海水浴は五井から下の方、木更津・君津や館山、あるいは外房に出て九十九里や御宿、勝浦とか鴨川に行かないといけない。それでも千葉県民にとっては「海」は故郷の代名詞って感じかもw 

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私が住んでいた頃は川鉄(工場)は24時間フル稼働だったから、夜になると西の空は燃えるように真っ赤になっていました。だから、西の星座は見れませんでした。クラスメイトはほとんど喘息持ちか気管支炎持ち。私は気管支炎の方。光化学スモッグ注意報は毎度の日課。朝には船の汽笛の音、空には羽田や成田へ向かったり出発した飛行機が、手が届きそうなくらいリアルな大きさで飛んでいて。

田舎では無いけれど都会でもない、ローカルな地方都市と言えばそう。そんな感じ。

私が住んでた頃はいませんでしたよね、ジャガーさん<東京出身者だし

千葉テレビはよく見てたなあ。でもテレビ埼玉もたまに受信できましたよ。

なんかジャガーさん特集になってしまった

東京からは1時間程度の日帰りで行ける距離だから、友人にも会いに行くし、産土さん参りもする。でも町は本当に変わりました。昔はたくさんデパートがあったのに、今はそごうしか無かったりして。無くなったところばかりだけど、残っているところもあって、そういう場所やショップを見つけると嬉しくなってしまう。

緑屋、扇屋(⇒ジャスコ)、奈良屋(ニューナラヤ⇒三越)、セントラルプラザ、ライオン堂、田原屋、十字屋、タバタ屋(⇒パルコ)…そごうがそごうになる前はなんだったっけな、忘れた。何か所かのデパートには屋上にミニ遊園地なんかあって、そこで遊ぶのが好きでしたね。千葉公園には何故か猿がたくさんいて、おさるの電車なんかも走っていました。(乗ったことあるなあ…)

昔は鎌倉に住みたいと考えていました。その後は多摩(青梅)の方に住みたいなとも。けれど、免許無いから不便だろって、あきらめました。働くところも無いと言うか通勤が厳しいし。年を取ると、都内23区は便利すぎて離れられません。

この家いーなあ…

最初に単身生活つかー彼氏と住んだのは、何故か埼玉県ww 東北出身の同僚に「どうして、千葉から都内通り越して埼玉に行っちゃったの?」と聞かれたりしましたが。西武池袋線沿線に勤務先があったので。家賃の安いところをセレクトしたら、そうなったって感じですかね。でも、せめて清瀬とかひばりが丘とか、もっと選択肢があっただろうって、ハイww

でも、嫌いじゃなかったですよ、所沢西武百貨店もあるし、西友パルコもあったし。西武が優勝すると、松崎しげるさんのがうるさかったけれども、セールで投げ売りとかもあったし(そういうの嫌いじゃない。何てったって野球好きだから)。

北赤羽は…物件探しで、なかなか希望のものが見つからなかったんですね。その時、猫がいたのもあるし、集合住宅(アパート)は戸建て育ちの私には上の階の音がダメで、やっぱ一戸建てがいいと…こだわって探したんですが、家賃がね、折り合いがつかなくて。で、たまたま住宅情報誌家賃30万!!の戸建て物件を掲載してた会社に電話して、「この物件の家賃はさすがに無理なのですけど、他に戸建ての家でこの位の予算のとこは無いですか?」と聞いたんですよ。ダメもとで。したらば、

「あの! 今見てらっしゃる、その物件!どうでしょう?それじゃダメですか?」って。「いやさ、30万はとんでもないっす、払えないっす…!」と言ったら「その家、お好きな家賃でお貸ししますよ!」と言う。

な?なに?曰く付きか?…と思いました。したらば、単純に大家さんの都合で期間限定になってしまったので、ということらしく。まずは何がなんだか解らないうちにプッシュされて、内覧に行くことになり、そして「これはもう借りるしかないじゃない?」って流れに。

でも、期間限定だから、また引っ越ししないといけないわけですしね。美味しい話とも言えないけど、3階建てのベランダもトイレも二か所ある家です。一階には水屋もある茶室大広間的な和室もあって。こんなゴージャスな家、一生住めないだろうって物件という事で契約しちゃった。猫もOKだし、職業も問わないというフリーダムさ。そこはそれ、大家さんが某テレビ局社員だったんですよ。出向で地方のキー局に行っていると言うことでの賃貸物件。お陰でイベントのチケット(アレグリアとかサルティンバンコとか)ギフトして頂いたりなんかして。

そうそう。当時住んでいたその家は、ひろゆき氏の実家の近所でしたっっ 後で知りましたが。もしかしたら、すれ違ったことあるかもですね。

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で、大家さんが本社に戻ってくることになり必然的に引越。次は少し南下して赤羽に住むことになりました。次のとこもなかなか見つからなかったんですが、たまたま物件としては流通していなかった家を、紹介ということで(不動産屋さんは入れました)貸して頂いたのですね。ご両親が亡くなられて相続されたとのことでしたが、肝心の大家さんは既に郊外に家を持ってらっしゃる。どうしようかと持て余していたとのこと。今でいうところの所有者亡くなっての空き家問題ってところでしたかね。お陰でとてもお安く貸していただけました。私は実家が建具屋で内装を手伝ったこともあり、小規模なDIYなら出来ないこともない。ペンキ塗りや壁紙貼ったりとか、棚の取り付けとか組み立て家具を作ったりやら、釘打ちくらいなら…だから、ちょっとした修繕なら自分でするということで、その分礼金敷金無しにしてもらいました。昔下宿屋さんをしていたとかで、間取りが変わっていて、6kで2階にもトイレと流しがあったので便利でした。

住宅密集地だったので一階の日当たりは最悪でしたけど、二階は大丈夫って感じで。それなりに広さもあったし、猫もOKでしたしね。そして、北赤羽埼京線しか止まらなくて、買い物するところもほとんど無くて、そこが不便でしたけれど…赤羽は便利でしたから。埼京線だけでなく京浜東北線もあるし、高崎線宇都宮線とかもね。地下鉄南北線も走ってる。西友ダイエーすずらん商店街なんかもありましたし。池袋まで出なくても、結構事足りるっていうのかな。ただ、埼京線の混雑、満員電車…通勤時のラッシュだけは、死ぬほど嫌になりました。二度と乗りたくないです。

で、そこもシロアリが出てしまったのと、大家さんの身内で破産して無一文になってしまった人が出たことから、相談の上、更新せず転居することに。次はまた南下して、駒込です。同じ北区ではあるものの、初の山手線デビュー。二階建てアパートの一階でしたが、ワンフロア一世帯の二世帯住まい。庭付きです。もち、猫可能。余計に敷金取られることもなく、交渉の上、家賃も希望通りの額に下げてもらいました。もともと外飼いをしていた猫だったので、久々のに大興奮。ハーブも植物も育てられるので私も大喜び。

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この家に住むようになってから、アロマテラピーや占いの仕事以外にヒーリングの仕事を始めるようになったのでした。ラズが旅立ってしまって、それで…でしたね。ヒーリングとの出合い。ここは9年住みました。

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駒込は住みやすかったです。山手線はやっぱ便利だし、地下鉄南北線もあったし、何処に行くにも便利。交通の至便がいいのはもちろんのこと、買い物も便利でした。駅前も色々あるし、しもふり商店街から染井商店街通り越しての長い商店街。そして、近所にある旧古河庭園。反対側ですが、六義園なんかもある。お洒落なカフェやセレクトショップもありましたしね。そして、西ヶ原浅見光彦が住む町でもありましたね。春と秋になると、スタンプラリーがあって、原作者の内田康夫さんがシナリオを書いてくれて、ファンがたくさん集まって界隈が賑わったものです。


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旧古河庭園は本当に好きな場所でした。薔薇が素敵で、秋と春のコンサートもよく聞きに行きました。冬も人がいなくて貸し切り状態で、ボッーとするのに良い場所でした。誕生日にはこちらのテラスでお茶して、まったりしたものです。

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六義園も散歩するにはいいコースで、夏にはかき氷が美味しくて…屋外だからあっという間に溶けてしまうのだけども。しだれ桜のライトアップも素敵だったし、四季をたくさん堪能しましたね。

そう言えば、私が駒込に住んでいたとき、ミスタービッグのギタリストであるポール・ギルバードが当時なぜか文京区側に住んでいて、一度だけすれ違いましたよ。ビックリした! ファンだったら気絶したかも。

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田端にも巣鴨にも歩いて行けましたしね。美味しいお店もたくさんあった。住宅街で、治安も悪くないし、のんびりした街で住み心地良かったです。

で、次は巣鴨に移動。まあ、その…イイヒトで善き関係を築いていたお二階さんが転居されたりとか、環境が変わってしまったことで、転居することになりました。詳細はどこか過去記事に書いたかな。

アパートでは無く、初のマンション住まいです。不動産屋さんもすごくきちんとしていたし、大家さんも気遣いの出来る良い方でした。駒込に住んでいると巣鴨は徒歩圏内なので、馴染みのある街でしたから、延長線上で住めましたね。巣鴨に住むようになってから…白山通りの一本裏の家だったこともあり、すぐそちらに出れたので、白山や春日・後楽園や飯田橋、神田方面など、あちこちウォーキングに出るようになりました。大塚や池袋まで足を延ばすことも。ラズもいなくなっちゃってたので。ラズがいた頃はあまり外出しませんでしたしね。ものすごく寂しがり屋で、私べったりの犬みたいな甘えん坊の猫だったので(玄関でずっと待ってたりとか)。

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巣鴨時代のセッションルーム

てなわけで、巣鴨も住みやすくて、居心地よい、いい街でした。地蔵通り商店街は別にお祖母ちゃんでなくても楽しめますww 

でも、やはり3.11の地震の時、ものすごく揺れて、4階でしたけれど… ベランダの植物は倒れるは、テレビは落ちるは、色々と家の中がぐちゃぐちゃになって大変でした。玄関とリビングまで短い通路があって、そこあったものが倒れてドアが開かなくなったりとか。何とかなりましたけれども。

どうも耐震設計が甘い物件のようでした。それもあったし、ストーカー問題とか色々考えるところがあって、転居することに。

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で、今のところ。何故かここ江戸川橋になったわけです。初めてのJR圏外山手線の円内デビューと言えばそうなんですが。山手線が便利だったので、最初は慣れませんでしたが。でも住めば都かな。神楽坂、早稲田、護国寺は徒歩圏内だし、頑張って歩けば都電荒川線の早稲田駅まで行ける(15分位)。

そして、都電荒川線の面影橋は名曲「神田川」の舞台になったところ。モデルになった銭湯は昨年、廃業されてしまいましたけれど。

さすがに池袋までウォーキングすることはもう無くなってしまいましたが…飯田橋も神楽坂を経由していけば、遠いとは感じませんし。後楽園(東京ドーム)まではバスで10分だし。高田馬場も同じくらい。上野もバスで行けますし。江戸川公園は桜の名所だし、関口教会(聖マリア大聖堂)もある。

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鳩山会館は一度行けばいいとこで、近くに越してからは逆に行きませんっっ 椿山荘もお高いからなあ…庭だけ見るならタダですが。そして椿山荘はボンジョヴィが来日するときの定宿でしたね。ライブの後は、六本木のハードロックカフェか江戸川橋駅前のらくらくという中華屋で、ライブ後の夕飯食べるのが彼らの定番でした。でも、私的には味が濃くて苦手かなあ<らくらく

あぁ、早くカラオケでボンの曲を思いっきり歌いたい

好きな街である有楽町には一本で行けるし、神楽坂はグルメの宝庫だし。願わくばもっと神楽坂に近ければ文句無し。

やっぱ都会はなんだかんだ便利ですよね。コンビニもたくさんあるし、夜でも街は明るいし、病院も選び放題だし。外食する場所もてんこもり。エレベーターもエスカレーターもあるし、交通手段もたくさんあるし…どこに行くにも便利です。自然もまあ、ありますしね。

そんなわけで引っ越しもそれなり。実家も今の家を建てるまで3回引っ越ししているなあ。転勤族の人はもっと多いんでしょうけど。引っ越しが多いと、引っ越し貧乏にどうしてもなりますね。でも、色んな街に住むことが出来て、それはそれで楽しかったです。

その街に住んで、色んな仕事をして、たくさんの出会いがあって、様々な人と知り合って、出入りしたお店、お店の人との交流…想い出は尽きないです。もう会うことのない人たち、懐かしい人たち、懐かしい街。既に無い風景、ショップ、あれやこれや。本当に色んなことがありました。数えきれない出逢いと別れ。二度と戻らない場所と時間。一期一会とは言うけれど。

とは言うものの、今の住居では叶えられないことも多々あり、終の棲家とは考えられないなあってのはありますね。先に書いた「夢」もまだあきらめきれないので…さて、次に引っ越しするとしたら、どの街に住むことになるのかなって想像したりします。神楽坂を離れたくないなあってのはあるけど、日本橋三越前とか人形町水天宮辺りもいいなあって思ったりする。いやさ、家賃高そうっっww 

どうしても千葉出身なんで千葉よりの東京を考えちゃいますね。西東京は地理的にも弱いし、住みたいという感覚がないんですよね。かといって、小岩とか錦糸町とか葛西とか、あの辺りは違うなあって思ったりする。だったら、市川本八幡とか? でも昔付き合ってた人の実家がある街には、なんかちょっとって思ったりするしっっ汗 やはり千葉は除外したいwww

さて、ほんと次はどんな街に住むことになるのかな。神様が用意してくれるであろう、私が住むべき街。約束の地たる"Promised Land" 早くその地に行きたいし、出合いたいです。

そして、そこでどんな思い出を、誰と築いていくのだろう。それもまた未知の楽しみですね。

いくつかは変わってしまったが
生涯思い出すであろう場所がある
永遠に変わらないものもあれば そうではないものも
無くなってしまった場所や変わらずに残っている場所
そういった場所にはすべて恋人達や友人達とのひと時があって
僕は今でもそれらをはっきりと思い出せる
死んでしまった人もいれば まだ生きている人もいる
この人生で出会ったそんな人達みんなを僕は愛している


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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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