浜田省吾 - 悲しみは雪のように - 1981
今日は広島の日…という事で、
広島出身、被爆二世でもある省吾をば。
平和への祈りを込めて…
「八月の歌」1986
「A New Style War」1986
「アジアの風 青空 祈り part-1 風」2018
「アジアの風 青空 祈り part-2 青空」2018
冬の歌だけど、悲しみの土地が雪ではなく、
愛と光で満たされるよう祈りを込めつつ…
「悲しみは雪のように」1981
省吾を初めて知ったのは高1のとき。
親しかったクラスメイトが、
「あなたに是非聞いてもらいたい」と歌詞カードのコピーも添えて、この曲の入った省吾のアルバムをダビングしたテープをくれた。
その直後に是非行こう!って、コンサートにも誘われた。
当時まだ省吾はたいして売れてなくて、席数の少ない地方(千葉県)の文化会館。LPレコードが2500〜2800円の時代にチケット代は1500円。今みたいにチケットぴあでの無機質な紙切れではなく、 ミュージシャン独自の個性が出るデザイン・チケット。(半券取っておけばよかったよー涙っっ)
学校帰りの会場は、
人もまばらというか、ほとんど入っていない。
だけども、そんな中でも失望をわずかにも見せず、ステージ上の省吾は満員の観客がいるかのように、クールな姿勢で、 それでいて優しく歌いかけてくれた。
この曲を聞いたとき、ハート持ってかれたわ~マジ。
そして…
「みんな、寂しいから、こっちにおいでよ!」と…
ステージ上から手招きする。
皆「えっ?」って言う戸惑いの顔をして、隣にいた友達や見ず知らずの周囲の人を伺い、「わーい!!」とはしゃいで駆け寄る人を皮切りに、前の方の人も後ろの方の人もステージの袖に駆け寄る。
カップルや、友人同士で来ていた人も一人で来ていた人も…ステージに肘をつけて、ファン同士が肩を寄せ、ほんの少し数メートル先の省吾を見上げる形で。
みんなキラキラとした笑顔を覗かせて、ワクワクとドキドキの表情で楽しそうに…
もうね、省吾のサングラスの下、目がバッチリ見える距離w
町支さんはじめバッグバンドの人たちも楽しそう。
ステージ上にほとんどの人が張り付いて、
あと前列一列くらい、それだけしかいない観客だったけど。
なんていうか、何とも言えない連帯感、一体感に包まれて、ものすごくアットホームな雰囲気で、何かを共有するような大好きなアーティストを囲んで、見ず知らずの人たちと絆や感動を共有する特別な夜…
省吾は優しい笑顔で、全員の顔をざっくり見回してから、「いくよ」と声をかけて、再び曲を歌い始める。
私たち一人ひとりに語りかけるように。
もうね、ファンになるしかないじゃない?
一生ついていきます!! って感じ…
それから何度かコンサート(昨今だとライブか)行きました。千葉に来るたびに。
少しずつ観客が増えて、
場所も文化会館から市民会館になって、
チケット代も2000円2500円みたいな少しずつ値上がりして…
気がつけばものすごくファンが増えてて、
あっという間にビッグになっちゃった。
ステージに肘ついて聞くなんてこと、出来なくなったし。
ファン層もずいぶんと変わってしまったけれど…
昔からのファンとしては、ものすごく嬉しかったよ。
今じゃもうチケット取れないけど(FC入ってないし)。
「路地裏の少年」1976
もうね、泣いちゃいますよね。条件反射で胸が熱くなる。
若くて…出口がない想いを抱えてた、辛かった日々の頃を思い出すのよね。
「いつかもうすぐ」1979
「丘の上の愛」1980
「いつわりの日々」1983
「木枯らしの季節」1977
「途切れた愛の物語」1979
「ラストショー」1981
いや、もう…どの曲もイントロだけで泣いちゃうよね。
なんでだろう…悲しい曲だとか世界観がどうとか、
もうそういうのは超えちゃっているのね。
ただただ、心が揺さぶられて感動しかないの~
いろんな想いがあふれちゃって。
「愛の世代の前に」1981
成人以降はあんまし聞かなくなっちゃってたんだけど、
どの曲も思い出と重なって、感慨で胸がつまっちゃう。
大好きな曲ばかり…たくさんありすぎて選べないんだ。
ここに全部貼ろうとしたら、大変なことになってまう。
すべてに思い出が詰まっている。
忘れてしまった自分の時間が、記憶のすべてが、
過去に置き去りにしてしまったのも、二度と取り戻せない…失ってしまったものたちと共にあるから。
「JーBOY」1986
これ盛り上がるよねー
はっきりいって、省吾はものすごーく上手い、ヴォーカリストというワケではないのね…普通に歌が上手いシンガー。
ギターも上手いけど世界的なレベルではない。
曲の作りも、日本人には通じるけど…ってとこ止まりだと思うよ。アメリカン・ロックの影響で、真似だよって、そう言う人もいるでしょう。
けどもさ…
魂に響くのですよ。歌に込められた想いが…
メッセージが言霊として伝わってくる。
言葉を超えた熱いスピリットがね。
しっかりと声が言葉として、心に…耳に届くのです。
彼は時代のメッセンジャーで、詩人だって思う。
歌という表現でしっかりと想いを届けてくれる人。
音楽に対しても一貫した姿勢を持っていてね。
ポリシーとか人生に対する姿勢とか、音楽やファンに対して誠実に向き合っているところとか…
そこが彼の魅力でもあるよね。
今回の感染症禍のことでもさ、ライブを中止する際のメッセージも、誰よりもファンのこと そしてスタッフのこと、
当日のバイトさんや警備員の人とかのことまで考えて、安全重視で中止すると誠実な文章で説明してくれてて…
なおかつ優先予約とかの意味ないからって、
ファンクラブの会費も希望者には返金するって対応で。
こういう会社としての姿勢にも、
浜田省吾という人柄が出ているんだ。
ライブの告知をして、今なら優先予約に間に合うからって入会促して、蓋を開けたらすべての人が優先予約の申込が出来るわけではなくて、購入者制限があるのにまったく説明もしないし、そのことに関しても問い合わせも無視する。
SNSで聞いてもシカトする、どこかの不誠実なバンドとはえらい違いだ。(そんな風に一部のファンを切り捨てて不誠実に対応しておいて、感染症禍の中 ライブを成功させた自分たちエライとドヤ顔していて、まったく不愉快極まりない胸糞悪いバンドがいたりする←お前らに音楽やる資格などないわ)
「日はまた昂る」2006
この曲は、感染症禍で鬱屈しちゃって参ってたとき、
ものすごく勇気づけられました。
そしてね 省吾のofficial-chのね、みなさんのコメント。
そのコメントに対するファンの同じファンに対する、優しさと労りにあふれたコメントにほっこりとさせられたり、心を癒されたのですよ…なんだろね。ファンってさ、ファンのタイプって、そのミュージシャンがどんな人かってことを、また表すよね。
省吾は、
ファンのそういう人間らしさ、人としての美徳とか、優しさとか、ふだん失いがちで忘れがちな思いやりとか、そういうものを皆んなから引き出してくれる人なのかなって…
なんか思ったよ。
40年前の省吾のコンサート、あの夜がそうだったように。
「家路」1999
そして本当に久しぶりにこの感染症禍で、
省吾の歌をたくさんたくさん聞いて(動画サイトからだけど)やっぱり省吾はいいなあ…って改めて思ったし。慰めとかか勇気とか元気とか色んなもの、前向きになれる力、たくさんのパワーとかをもらって、音楽の力ってすごいなって…本当に思いましたわ。
それだけのものが省吾の音楽、歌曲にはあるんだよね。
込められているというのかな…それが省吾の人としての力で。
そんな本物のミュージシャンな人に、こんなビッグなアーティストが売れてない頃であったとは言え、あの感じやすかった高校生の頃に出合えて、あんな間近で歌を聞けて…貴重な経験をしたなーって思いました。
てなわけで原点回帰した今日この頃
「風を感じて」1979
そして、この浜省だらけの野球大会にはワロタっっwww
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「My Favorites〜音楽のある風景」
2020/11/05 掲載記事より転載