
Pérez Prado(Prado Orchestra) - Mambo No.5 / マンボNo.5 - 1950

ひと昔いやさ戦後?の日本の無国籍映画(日活とか←ロマンポルノではない)とか…なんかまあ、東京オリンピックとか、万博とかその辺りの時代に作られた、テレビドラマなんかのダンスクラブみたいなとこのシーンが出ると、なんかよく解んないけど…よく流れてた?使われてた音楽ってイメージがありまする。
「うっーーーーーーーーぁああ゛っ~!!」
この部分がクセになる。
耳について離れなくなる…っていうのかな?
その昔、派遣の仕事をしていたとき、某製薬メーカーの市販後調査の部署(部署名出すと会社がバレるからアレだ)で臨床検査値の入力(有害事象報告書からの拾い出し)をしていたことがあるのですが…
ああいう単純仕事(ルーチンで数字を見続ける仕事)って、
頭が真っ白になる瞬間があるのねっっ
単なる睡魔との戦いって気もしないでもないですが。(白血球が〜赤血球が〜尿酸値が〜みたいに、ひたすら打ち込むので)

そして私の頭の中には、ジューク・ボックス(これまた死語か)があって…

私の時代はだいたいこれかなー
これ以前の方がレトロでお洒落なデザイン
何かの拍子にキーワードを拾ってインプットしちゃったり?
ふとした弾みでレコードが選択されて、針が落ちて曲が始まってしまう時があるんすのよ、頭の中で。

上記の仕事中、ふとした拍子に頭の中のジュークボックスが作動してしまったことがありまして…
急に‥‥
「うっーーーーーーマンボッ!!」
・・・って、この曲が始まっちゃったっっっ汗
もしくは「あ゛ーーーーーーう゛っ!」かな?
♪チャッチャ ちゃらっチャ チャッチャ
チャラっチャ チャチャチャチャチャッ ♬
みたいな感じにっっ
な、なんで、この歌??? だったのか、よく解らんけどっっ
頭の中 よくわからんぜお。

ちょっと欲しいかも…?
Perez Prado Orchestra「MAMBO №5 / マンボNo.5」1950
まぁ、そんな感じな曲でして…
ちょっとクセになるダンス・ミュージックです。
・・・って、マンボを踊る一般人はあまりおらんか。
先のやつが、ちょっと初めの部分欠けているので、レコードバージョンもペーストしておきますです。
ちなみに「マンボNo.5」
キューバ出身の作曲家で指揮者で、ピアニストのペレス・プラードというバンド・リーダーが作った曲です。
彼はマンボ・キングと言われました。
マンボウ・キングではないですよ~

マンボウ・キングとは俺のことだっっ!! byどこかのマンボウ
・・・そして
「Mambo No.8 / マンボNo.8」1950 もあったりした。
すると、1から4 6、7、9もあるのかな??? 激謎。
ちなみに、マンボっていうのは、ラテン音楽のひとつで、キューバの音楽形式でダンスのスタイルのことなんだそう。
詳細は下記wiki先生にて。
して、彼と彼の楽団のその他の作品をば…
「Que Rico El Mambo / エル・マンボ」1949
最初のヒット曲で、文化放送の『S盤アワー』のオープニング・テーマ曲として使われたそうです。
「La Macaren / 闘牛士のマンボ」1973
この曲は元ヤクルトの若松選手の個人応援歌に使われました。ちなみに映画「血と砂」の音楽の一部をもとに作曲されたそうです。
スワローズドリームゲーム】若松勉 応援歌 @神宮球場
映画 「Blood and Sand / 血と砂」 original sound track 1941. Romance de Amor by Vicente Gomez
「Historia De Un Amor / ある恋の物語」1956
こちらはラテンのスタンダードナンバーとも言える曲で、パナマ人のカルロス・エレータ・アルマランが1955年に作曲しました。たくさんのカバーバージョンがあります。
Carlos Eleta Almaràn オリジナル 1955
「Patricia」1958
こちら、ペレス・プラード最大のヒット曲とのこと。
「Cerezo Rosa / チェリー・ピンク・チャチャ」1955
下記の映画のメインテーマ。
映画「Cerezo Rosa / 海底の黄金」 1955
「Al Compas del Mambo / マンボのビート」
で、日本でカバーされたのが…
東京パノラママンボボーイズ「マンボのビート」1991
もしかしたら、「マンボNo.5」よりも、この曲の方が有名かもです。とくに日本では…
「Tabu / タブー」1957
ドリフターズの加藤茶さん「ちょっとだけよ♪」のシーンでおなじみ。実際に使われたのは原曲ままではなく、アレンジされたものだそうですが…
「ちょっとだけよ~♪」1972〜3
こうして聞いてみると、著作権切れをしている曲ばかりのせいか、わりとあちらこちらでBGMとして、耳にしている曲が多いなって改めて。
んでもって、ペレス・プラードですが、1989年に病気によって死去されたそうですが、カストロ政権下であったため、記事では取り上げられなかったものの、葬儀には彼の死を悼んで世界中から彼のファンが集まったそう。
何でも「史上最も陽気な葬儀」と語り継がれるほど、華々しいものだったとか…
その後、彼の楽団は二代目、三代目と引き継がれ、今日でも活躍されているとのことなのでした。

F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2020/12/04 掲載記事より転載
いいなと思ったら応援しよう!
