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Sammy Davis Jr. - The Candy Man / 陽気なキャンディ・マン「夢のチョコレート工場」1971
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歌手と言うよりは、映画俳優でタレントでエンターティナー…という印象が強いですかね<サミー
タップダンサーでもあって、小柄だけれども、とにかく存在そのものに華がある人でした。
日本では、お酒のCMに出演したときの軽快なスキャットやダンス、独特の雰囲気というのかな、その存在感がインパクト強かったです。
1974 - Suntory Whisky CM
そうそう、このCM。サントリーのウイスキーでしたね~
若干違うバージョン、
最後の「ん~♪ サントリー」のセリフが忘れられません。
ちなみにCM曲のレコードバージョン。
黒人タレントと言うか、俳優としてダンサーとして、当時もっとも知名度のあった人でした。
片岡物産CM 1988
こんなのにも出てたんですねー
私は彼の出てた映画と言うと、「オーシャンと十一人の仲間」を子供の頃に見ましたかね<TVで
映画「Ocean's Eleven / オーシャンと十一人の仲間」1960
映画「The Cannonball / キャノン・ボール」1980
キャノン・ボールにも出てました。
何ていうか、コメディアン系の黒人俳優さんは、その後もたくさん輩出されていますけれど、独特のキャラクターで、ちょっと毒があると言うか~アクの濃い、不思議な存在感というのかなー
他の人には無い、他の俳優さんでは代わることが出来ない、彼ならではの特徴的な個性を醸し出している人でしたよね、うん。
Sammy Davis, Jr. Dancing Boogie in 1938 with Will Maston Trio, Classic.
それは多分見た目もかなあ。黒人なんだけど、純粋なアフリカ系と言うのではなく、ジェームス・ブラウンがそうだったように、黒人の血が半分と言うミックスだったせいもあるのかも知れません。
お母さんがプエルトルコ系ユダヤ人だったという事で、南米系とユダヤ人という血が入っているせいか、容貌や骨格が華奢で、アフリカ系黒人とは多少異なっていますよね。
そして、あの陽気さは、カリブ海の血のなせるわざなのかな‥とも思うし。
とは言うものの、黒人もプエルトリカンもアメリカでは差別の対象。ユダヤ人もそのような背景を持っていますし、実際、彼も人種差別に苦しめられ、成功している裏で、そうした非道な扱いの日々に、幾多の挫折と苦渋を舐めた人なのでした。
ただ、後にシナトラ一家(ハリウッド・マフィア)に加わることにより、エンタメの世界においては、守られることになりましたが(シナトラはハリウッドにおいては、女優を枕営業に斡旋するなど、ダークで腐敗した面もありますが、イタリア系として苦労し、自らが差別され、不遇を経験していたことから、人種差別を嫌っていたのです。なんかダブスタって気もしないでもないが)
そうですね、シナトラ一家って、退廃的な石原軍団みたいなイメージ? まあ、両者は全然違うけど。リーダーにカリスマ性があって、結束感が強い仲間ってだけか、共通点は。
映画「Sergeants 3 / 荒野の3軍曹」1962
1939年の映画「ガンガ・ディン」をリメイクした作品で、
主演はフランク・シナトラ、ディーン・マーチン、そしてサミー。シナトラ一家勢ぞろいの映画です。
「Porgy and Bess / ポギーとベス」1959
ちなみにニューヨークはハーレム出身ですが、幼少期からダンスと音楽(楽器や歌)のレッスンを受け、3歳には初舞台に立っていたそうです<1928年頃
両親はサミーの才能を見抜いていたのか、それとも芸を身に付けさせようとしていたのか、どちらか何でしょうね。
そんなんで巡業でアメリカ全土を回っていたので、高校は通信教育で卒業したそう。働きながら通信で学ぶのも大変だから、相当努力したのでしょうね。
1944年には徴収されて軍隊に入隊するのですが、経歴が経歴だったので、兵士としてではなく、慰問部隊に配属されたそうです。
1954年にはレコードデビューすると、その高い音楽性とエンタメ性、ダンスのテクニック、才能の素晴らしさなどから多くの評価を受け、一気にスターダムにのしあがることとなりました。
また、ダンサーやシンガー、楽器の演奏など、ミュージシャンとしての技量だけでなくて、他のダンサーやシンガーの物真似芸もこなすなど、その才能は多岐に渡っていて、まさにマルチなエンターティナーでした。
「The Candy Man / キャンディ・マン」1971
キャンディ・マンとは、ワゴンなどで子供たち向けに、キャンディや菓子類などを販売している人物のこと。
隠語では、コカインや大麻などドラッグの売人も指す言葉だったりしますが、この歌はその類のことを言っている歌ではないのでしたっっ
そして、サミーはこの歌のことを「サッカリンだ!」と言って、とても嫌っていたそうですっっ ベストアルバムのタイトルにもなった曲で、彼にとって最大のヒット曲でもあるのですがっっ汗 グラミー賞にもノミネートされましたしね。
ちなみにこの歌はもともと、
1971年の映画「夢のチョコレート工場」の挿入曲。
「Willy Wonka & the Chocolate Factory」1971
「The Candy Man / キャンディ・マン」
オリジナルは、1964年にイギリス人ジョセフ・シンデルマンによって書かれた、児童小説の「チャーリーとチョコレート工場」はい、ジョニデが主演してリメイクした、近年のが有名ですよね…
2005版
最近って言っても、16年も前だったか…
Zedd カバー 2016
結構、カバーもされていたりする。
「New York, New York / ニューヨーク・ニューヨーク」
親分、シナトラの曲をカバー。
「Mr. Bojangles」
「BAD」
マイケルの曲を熱唱。
「I'll Be Glad When You're Dead You Rascal You」
子供の頃の貴重な映像が残っていました~
「Don't Get Around Much Anymore」
トニー・ベネットとの共演。
Fred Astaire & Ginger Rogers Medley - Sammy Davis Jr. & Diana Ross
タップはピカイチ。
アステアとの共演とか、動画はないのかなあ…
アステアとジンジャー・ロジャースのコンビをダイアナ・ロスとジョイントしたものは出てきましたが、無いなあ…共演したことないのかしら、残念。いや、絶対あると思うんだけど。
「Me And My Shadow」
シナトラとのステージ。
てな感じで、とても稀有なキャラクターで、素晴らしいマルチエンターティメントでした。
子供の頃からこういうホンモノというか、とにかく凄いダンサーの踊り、TVや映像からとは言え、見ていますからね、なので申し訳ないけど、アイドルタレントのダンスもどきには、感動出来ないわけです。
やっぱね、生い立ちとか、人生とか、民族のルーツを背負った人たち…そして、あまたの優れた才能の中から発掘される人って、違いますよ。アメリカって実力と運と努力の中から、その中でも択一した匠的才能の人が脚光を浴びるシビアな世界(ショービズ)ですからね。
ちょっと出来ます…って程度ではなぁ~それじゃあ、プロとは言えんでしょーがっって、思っちまいます。
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F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/10/13 掲載記事より転載
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