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こちらnoteにしてから、読む人の役に立つ内容でないと…と気負いすぎて、かえって新しいことや日常の想い事を書くことから遠ざかっていますww 過去記事(旧blog)からの役に立ちそうなもの、読む人に考える材料を提供できるもの、知識として知って欲しいこと、そして心に響くもの=感じられる「something」 を与えられるものetc…をチョイスしてのアーカイブ化、それにばかり注意が向いているなというところ。

もちろん、日々の想い事や考えていることなどはあるんですけどね。取り組んでいることなども引き続き。そっちはなかなか結果でないけどっっ汗

気が付けばもう2月も終わり。来週には3月です。早い。そしてコロナ騒ぎからは既に一年。去年の今頃はイベント事などが中止になり始めてはしましたけれど、皆すぐに過ぎ去るだろうと、そこまで深刻ではなかったですよね。

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さて、たまには仕事関係のこと、というか私の職業関連の話もしましょうか。電波話です。今はリモートでのセッションの方が多いわけですけれど、遠隔が得意でない私であるものの、このコロナ禍下でリモートで対処せざるを得ない必要に追い込まれたせいか、そのお陰で鍛えられています。幸い筋の良いクライアントさんが多いので、とても助かっています(楽させて頂いているというか<ヲイ)。

やっぱりこの仕事が好きだから、こんな状況下でも仕事をさせて頂けるのは本当にありがたいことですね。セッションは毎回、新しい発見や出来事もあって、飽きることがありません。似たようなパターン、類似ケースというのはもちろんありますけれども、一人ひとり違う状況にあり、違う人生を生きているし、霊的な資質もレベル(成長の段階やカルマのレッスンや今生のノルマたる課題)や霊的な身体の状態(サイコ・ノエティカル体/神体の生育度)も異なるので、現れ方も違うし、対処法も変わってきます。

なので毎回新鮮だし、私もその度に新しいことを学んで、別のやり方を実地で教わっているという感じです。この仕事初めて、相当経っていて、先生として人に教えたりとか、いちおうベテランだろって思いますけど、初心者とは言わないまでも、相変わらずインターンというか研修医の気分です。

セッションの時は見えない透明なヘルパーさんたちと二人三脚で、媒体に徹しながら行っているわけですけれど、自分が伝えたことの意味を後で知って、「ああ、そうか…なるほどだからそうなるわけなんですね」と、一人で納得していたりなんかして。以前は「操り人形にはなりたくないんで!!」と意地張って無視していた、意固地な自分が懐かしいっっ(遠い目)

抵抗を止めると楽なものです。色んな意味でホントにっっww

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この仕事は、私にとっては呼吸をするより楽なことです。だから仕事という感じはしないです。趣味とも違うし、生活の一部であると言えばそうだけど、無理のない自然でラフな状態。自分らしくあれる時間と言えばそう。自分を隠さなくてもいい。本当の自分として、自分を表現すること。そして、とても楽しいし、とにかく悦びしかない。

人類への奉仕、世の中に恩恵をもたらしている価値あることだと、そう誇りをもてた時から、苦痛だった自分の個性や資質が好きになりました。

昔は、「胡散臭い仕事をしています」なんて卑下もあったし、人とは違う自分の個性にコンプレックスを持っていましたから。昔と言っても、つい最近まで。罪悪感とか、人には自慢できないような、あまり世間体のよろしくない、人様から褒められるような仕事ではないっていう後ろめたさとかもありましたし、この仕事をすることでのデメリットや悩みごとの方に焦点が向いちゃってましたからね。

そうですね。成仏できていない霊というか、行くべき場所を見失って迷子になった肉体を失った人を次の次元に誘導したり、不浄物で汚れたご神域や縁ある場所をお掃除したり、主を失くして、"はぐれ"になってしまった使役さんや使い捨てにされた式神や人間に利用された動物霊とか、その類のものを引き取り場所へと誘導したりすることも、やりがいがあると言えばそうで。さすがにレギオン級のグループ・エレメンタル(ネガティブな集合体無意識)なんかはとても私一人じゃ無理だから、手出しできないけども。

上記のことも含めて、クライアントさん一人ひとりの過去生のパーソナリティを癒して、それに関連するいくつかのエレメンタルを解放したり浄化することは、その人の心を癒したり問題を解決して、その人が自分自身を取り戻して行きたい場所、なりたい自分になっていくという未来を創造するためのサポートをするばかりでなく、結果として人類(地球全体)の波動を上げていくことだもんなー!! なんて寝ぼけた自負が生まれてきたのが、ようやっとの昨今ww 

まあ、勘違いな自惚れですけど。その程度の勘違いセルフイメージで自分の気分がアゲアゲになったり、この仕事を頑張れる励みになっているということは、きっと周囲の人にとっても良いことだと、そういうことにしておこうww 手前勝手かつ奇妙な使命感と言えばそうなんですがっっ

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そうですね。先日もクライアントさんが、あまり拝まれていないお寺さんの仏像さんからのリクエストを拾って来られたことがありました。(訴えというか、要望みたいなもの。あたしゃ、目安箱じゃないんすがっっ)

私は仏教についての知識は何しろ、「聖☆おにいさん」と手塚「ブッダ」くらいですからねww 知人に真言宗の僧侶がいることはいるんですが、向こうも忙しい人だから、もう何年も連絡とってないし、彼の饒舌トークを聞いてもチンプンカンプンでまったく耳に入って来なかった人… でも、まあ、仏像にはそれぞれ「拝み方」があるっていうのは知っているわけです(漫画からの付け焼刃知識のお陰。永久保さんや玲子さんの漫画は勉強になります)。

なんかね、その何というか、そのお方はちゃんと拝まれていなくてってことを訴えなさる。いやさ、それは本職の方にお願いしますよって話なんですが…こっちやり方なんて知らないし。無人寺なわけではなくて、そのお寺さんがサボっているのが問題。もしくは間違えているというか何か。とはいうものの、それを伝えにいくのもなー だし。さて、困った。どうしようか。

ええ、拾っちゃったクライアントさんにちょっとした"障り"として出ちゃってますから。そのままにはしておけない。そうなんです。神仏だからって、自分で自分のこと何とか出来るわけではない。人間を助けることもしてくれるけど、その逆もあるんです。人象化された存在としてのエネルギーが主なので、決して創造主なわけじゃないから。人の祈りや拝みのエネルギーチャージあってこその神仏。だから、きちんとした作法に乗っ取って、拝まれてないとその力が発揮できない。神仏と人間て持ちつ持たれつなの。

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とりあえず、ご縁のある某所にお任せすることにしましたけれども。こういうのって、たまーにあります。神様も仏様(この場合仏像)も困っていること、結構多いんですよ。そっち方面からのヘルプミー要請って、意外とあります。そういうのはそっち(それぞれ本職の神主さんとか僧侶の人とか)でなんとかしてくれって思うけど(あっしは確かにレッツ多神教な人ではありますが、基本は西洋魔女ですぜ)。

ホントそれをしていたらば、きりがない。ご褒美というか報酬くれるなら、やってもいいかもだけど。でも、神様とは取引しちゃいけないからね。そもそも、それは私のお役目じゃないと、思っていますし。

そんな感じで毎回、ああこういう時はこうすればいいのか、なるほど今回のケースだとこうするといいのか…などと、新しいことばかりで面白いです。

好きだし、面白いし、楽しいし、喜びがあるから、疲れない。

同じクライアントさんでも、今回はどんなんかなー、何が出てくるのかな~って、ワクワクもする。仕事なんだけど仕事というプレッシャーはないですね。ただ、緊張はしますよ。その都度その都度が真剣勝負ですから。とにかくベストを尽くす、自分に出来ることを精一杯する、集中して意識をクリアにしつつ身を委ねる…それしかないわけですが。

後は器としての自分の状態を整えておくことくらいで。毎日の生活が修行デス。

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過去生と言う名のパーソナリティやエレメンタルの情報を読み、紐解いていくとき…様々な人の生き様や創られてきた想念に触れるわけですが、その一つひとつが愛おしいです。みんなその時々を一生懸命生きてきた。不器用ながらも、過ちを犯したり、選択を間違えたりしながらも。愚かなことをしたり、感情や欲望に囚われて盲目的な生き方をしていたとしても、そこで自分を表現をしようともがいていた。

クライアントさんの記憶の中に過去の失われた風景の美しさ、人々の生活や生き生きとした営みを見させていただく機会を持つとき、人間はたくましいもので、命は尊く素晴らしいものだとも何とも言えない感慨と感動を覚えます。儚く弱くもあるし、愚かでもあるけれど。どちらかというと醜悪さや残酷さ、悲劇的な歴史の方が、そうした美徳や人間らしさを上回るくらいにてんこもりなわけですが。

以前はそういうのに辟易させられるというか、毎度うんざりさせられていたわけですけども、今は慣れたというよりは見方が変わったんだと思います。それも人間なのだと、受け入れられるようになってというのかな。ある意味では機械的な冷たさを手に入れて、客観性を身に着けたからなのかも知れません。また、どんな罪を犯した人でも、いつかは変わって行けるものでもあると、それに気づけたお陰もあるのかなあと思ったりもします。

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そうですね。カルマは与えられたり与えてもらったりで、結局お互い様なのだと言うことを改めて認識している今日この頃。

そう。出会う人物や出来事の中にすべての答えがある。人生の出来事すべてが自分が向かい合うべき、解いていくべき「テキスト」たる「問題集」なんですよね。だから、良き人も悪しき人もすべて教師。痛い思いを与えてくれる人も、優しく支えてくれる人も、写し鏡として欠点が目に付く人も全部自分のありがたい先生です。そうしたら嫌いなものや嫌いな人がいなくなりました。みんな自分に何かを教えてくれる人なんだなって、ありがたいなって感謝しかなくなった。

その後は悩みと苦痛と苛立ちや怒りの源をただ見つめてそこを手放していけばいい。余計なものを減らすだけ。

まあ、今は家に引きこもりで、平穏無事な日々を過ごせているから、そんな安直なところに落ち着いているのかもですけどねww また何か怒りの沸点に触れることがあったら、前言撤回して、妖女ゴーゴンに変身するのかも知れませんっっ苦笑

そんな感じで相変わらずの内省はまだ続きます。んでもって、過去のものを掲載するのに、イメージ画像を探すことで苦労しています。ふー あと誤字脱字見逃してしまって見つけられてないのもあるかもー 以前のblogでこの記事は残して欲しいからこっちに転載して欲しいというのがあったら、コメント頂けると嬉しいです。向こうはもしかしたら、削除する可能性も否定できないので。とはいうものの、いつになってしまうか解りませんけど。作業が遅々として進まないのでっっ(時間あるくせに)

そうそう、忘れてたというか、ふと思い出しましたが、以前クライアントさんとしていらして頂いた方がセッションに来て下さったときのことを書いて下さっているのでした。占い師として表記下さっていますが、この時はもう占い師ではなかったのですけどww 確かに私の職業区分は解りにくいですもんね。もともと占い師からのスタートであったのは事実で。興味のある方は、こちら桃子さんのページ、読んでみて下さい。てとてとさん、とても素敵な夫婦ユニットで、されていることも面白そうで素敵なプロジェクトばかりです。


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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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