未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ③
その歌をライブで聞いたことももちろんのこと、CDも一時期は持っていて(後で手放してしまった) 友人の昔からの友人になる人なのだけれども…
※メジャーだったけど、今はインディーズ・メインな人
プライベートで直接お会いする機会があった時に、ものすごく重たいカルマを背負っている人なのだなあ…と実感させられた人がいた。
その人のパワフルな歌声からは、密かに…
血を吸った、乾いた大地の痛みの声がする。
血の匂いっていうか、ジェノサイドの匂い。
嘆きの民族が、大量に殺戮された憤怒の叫び声。
一族を根絶やしにされた、声にならない嗚咽と悲しみ。
「ああ
この人はその傷を癒すために歌っているんだ
彼らの魂を慰めるために
仲間の死を痛み 弔うために
確かにあの日あの時 確実に生きていた
一人ひとりの命を讃えるために
歌い続けているんだ」
そんな風に思ったのを覚えてる。
でも、もちろん、その人がその人生に導かれたのも、その前の人生の因果関係が理由としてあってのこと。だから二重の意味での、重石を背負っているとも言える。
それを理解し、その重石を軽くしようと手を差し伸べて、共に背負ってくれた人がいたのは救いであったけど、その人を失った今もその人は歌い続けていたりする。その姿がとっても痛々しくもあるのだが・・・
いつか貴方が光を抱けますように…と祈らずにはいられない。
そんな風に、慰霊をするがごとく、自らの過去を葬り、もしくは讃えるために、これまでに生きた幾多の人生での想いを昇華するために歌を歌い、音の調べに想いを乗せて、楽器を奏で、詩を書き、曲を作る人はそれなりに多かったりする。
画家や小説家(脚本家)や映画監督などもそうだが ※漫画家も
それ以外で歌手というか、まあ、シンガーソングライターな人の中には…
「ああ、この人…吟遊詩人だったんだな」という人も多かったりする。
あと"プルチネッラ"とか"旅芸人"や芝居小屋、ロマ系統の人。
こういう人たちは当然ながら、役者としての演技もできる。
歌唱力に定評のあるバンドAのTさんなんかは、まさに吟遊詩人だったんだなあって、超解りやすいww
友人がその昔、ライブのプロモーター会社に勤務していたので、常にギターを離さず、いつでもどこでも即興の歌を一日中作るのを、楽屋や移動の際に
いつも聞かされていたのだそう。(友人のお陰でたまにチケットもらったりなんかして<しかし単なる空席の穴埋め。アリーナ空いてるとアレだから)
吟遊詩人ってどんなん?っていうと、60年代の映画「ロミオとジュリエット」の二人が出会うシーンで歌ってるお兄さん…と言えばなんとなくイメージできるかと。
単純にああいった場所(王宮や貴族や金持ちの家)でソネットを歌うような、歌手のルーツみたいな人もいるし、町から町へと旅して回る半分旅芸人のような人もいる。
ヨーロッパのあちこちに類似の職業の人がいたけれど、それぞれ地域によってちょっと違いもあって、イギリスなんかだと地域のニュースを歌にして伝えて、町から街へと噂を振りまくというか、出来事の語り部的な役割を担ってもいて(瓦版屋か)… ※マザーグースとかマーダーソングとかの文化参照のこと
彼らは観客や依頼主のリクエストにすぐ応えて、既存の古い歌を歌うことができなければいけなかったし、そればかりでなく与えられたテーマや、ちまたでの面白い噂話や事件やニュースを即興で歌にして、聞かせられる腕を求められたし、もちろん楽器の演奏技術もそうだし、社交性というか歌以外に相手を褒めてご機嫌取りをする話術なんかも含めて、ありとあらゆる裁量を身につけなければならなかった。
雇い主というか金蔓?な有力者のご機嫌とるために、彼らの作ったクソミソみたいな詩を褒め称えて、それに美しい曲をつけて満足させないといけなかったし。(そりゃ作曲技法も身に付くってか上手くなりますね)
そして、それだけでなく時と場合によっては、"男妾"もやらないといけなかった。いわゆるご婦人の閨のお相手、男娼と言うべきか…
だから今生において、恋多き人であったり、女性の扱いを心得ている人が多いのも頷けたりする。やたらとフェロモンあるなーって、歌い手さんは一定数いますから。
旅芸人もそう。
川端康成の「伊豆の踊子」でも描かれていますけれど、彼ら旅芸人は芸だけでは食べていけず、受け入れてくれた先の豪農や豪商の人たち、その主人たちのお相手…つまりは枕営業つか売春がセットだった。(学生さんが心惹かれた彼女はまだ幼くて、あの、ふれあい旅の中ではそれをしなくても良い無邪気なところにいられたけれど、やがてそれをしなくてはいけなくなるって、匂わせがあって、悲しかったですよね)
瞽女たちも同じ。芸だけでは食べていけないから、
どうしてもそういうのがついて回る。
なんかそういう昔から、芸を見せる人=パトロンとのご奉仕関係…なんてのがあったということを考えると、現代の芸能界の腐敗具合ようするに、性接待みたい最低な風習も、理解したくないけど理解できるかな。
女優さんなんかは過去生で芸妓や高級娼婦やってた人も少なくないし、
ひと昔前のハリウッドの女優さんなんかは、お貴族様の時代に貴族の嗜みで演劇や歌や楽器とかを手習としてしていた人多いですし。
ジプシー(ロマ)は歌や踊り、芝居…そして占いや魔術、あとはプチサーカス的な大道芸やってたけど。(フェリー二の映画「道」みたいなイメージ)
その時代に占い極めた人はそっち行くけど、歌とか踊りとか芝居が好きだったという人は、やっぱそっちにいきますね。芸妓・舞妓さん、妓生とかやってた人もそう。
とある昭和の女優さんは、過去生の自分の人生を実際に演じていたりして、
なんとも不思議な縁です。そのために女優の道に進んだのか、たまたま自分以上に過去の自分の役をやれる人がいなかったのか…
いやはや、必然であったのでしょうね。
けれども過去の自分の人生を演じて、現代の人に当時の自分の真実の思いを
自分をして伝えたかったとしても…"死"までも、過去をなぞる必要はなかったと思ったりする。
さて少し脱線しましたけれど、歌い手さんというのは、やはりカリスマ性あってこそのもの。
そして宗教が人々の道徳心を支えたり、良心を呼び覚まし、生き方や導きを啓蒙する灯台となり得なくなった現代においては…
歌というのはものすごいパワーと意味、時代の役割を持っているのですね。
歌手すなわちアーティストって、ものすごい影響力と求心力と先導力を持っていて、ファンに様々なことをアピールすることができるわけですから。
昨今はともかくとして、ひと昔前のミュージシャンはとくに。
(ジョン・レノンのLove&peaceとか、プロテストソングとかウッドストックとかライブエイドとか)
日本ではミュージシャンが政治的発言をするのはタブーですけど、
海外ではそのあたりオープンですし。
ですからね。ファンを教育するっていうと言葉が悪いんですけども、自らのファンに伝えられることを伝えるってのも、天から与えられた彼らのお役目でミッション、ノルマだったりするのです。
また、それが出来るかどうかが、カルマのレッスンだったりすることも。
自分たちの影響力を理解した上で、それをどう利用するかってこと。
社会的な影響力そして発信力、それらをどのように使っていくべきか…
ちゃんと考えないといけない。言葉という言霊(言魂)をどのように使っていくのか、曲(歌)を聞いた人に対する責任があるってことを理解して、自分たちの活動の方向性に責任持って取り組まないといけないのです。
実際のところ、そこまで考えて音楽やっている人って少ないと思いますけどね。ただ歌うのが好き、音楽やってるのが楽しいとか、ほとんどの人が皆そんな理由なんでしょうし。
いやさ、その辺りはミュージシャンだけでなくて、芸能人とかタレントとか芸人さん、役者さんとかとか、メディアに露出する機会があって、一般人に対して影響力を持っている人、ファンを獲得している人すべてに通じることですね。同時にそれは責任でもあって、そのために今のポジションを与えられているということを謙虚に考えないといけない。
ファンを大切にするとかも大事だけど、それ以上に自分たちの音楽で何を伝えていくのか、歌で人を癒し勇気付けたり元気にするだけでなく、それだけでなくてその先を考えてないと、いつかは行き詰っちゃって、長くは続けられないってのはありますしね。
今の時代では芸術的なこと、アーティスティックな活動とか音楽やってる人は時代からそこまで求められていたりするのです。
俳優さんとか女優さんに関しての書き残したことなどは次回に。