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霊的成長を阻むエゴイズム①
まずは自分語りになりますけれど。
中学高校とアマチュアで、クラスメイトの相談に乗ることを初めてから、23の時に交通事故に遭ったことがきっかけで人生180度想定外の方向に回り始め、24歳の時に占い師として働くようになって、その後サボリ?というか休業というか、他の仕事に逃避しながらもダラダラ続け、40歳になってからヒーリングとか、過去生リーディングやらヒプノをやることになり、今のセッションスタイルになって、生徒さんに教えるようになって…
派遣の仕事をしながらの片手間で、そんなに忙しくしていたわけではないけど、なんだかんだ40年くらいはカタチを変えつつも、他人の人生を視る仕事をしていることになります。そんなこんなで40年以上やっているわけですから、それなりに膨大な事例数を扱ってきたというか、たくさんの方たちを見させて頂いたわけです。様々なケース、多種多様な問題を見させて頂いてきたといいますか…
そのような年月の中で、何度も繰り返し実感させられることは、
結局
その人の身に起こっていることは、それが痛みや苦しみを伴う問題にしても、人生上の障害やトラブルにしても、どれもこれも、その人にとって必要不可欠だからこそ、起こっているのだと言うこと。
主にそれはその人自身が、成長するためだったりするのですが…
これら一見すると障害と思えることを・・・本人を楽にするために、第三者が関与して取り除こうとすることは、実のところ、その人のためにはならないのですよね。
当人が気付くべきことから視点を遠ざけさせ、成長をするためのチャンスを阻むばかりで、せっかくの機会を奪っているんだなって、改めて気付かされるのです。
その人の人生に起こる障害とかトラブルとか、壁のように立ちはだかる大きな問題は、ある意味でその人の行動を抑制させ、その場所に留めるための重石のようなもの…であると、ホント痛感させられますし。当人が答えを見つけないことにはといいますか、その出来事の起こった意味をちゃんと理解して、自分の中に消化して取り込んで…が無いことには、なので。簡単に答えを上げたり、回避する方向性に導いてはいけないんです。それは罪以外のナニモノでもない。
それがコンプレックスにしても、痛みにしても、それらはその人がきちんと真正面から向き合わないといけないことであり、熟考して気付きを得ないといけないんですね。考えて悩んでとことん向き合って、乗り越えようと努力して克服して、絶望の中から這い上がろうと…そうやって自分を磨いて人間力を蓄えて、力も知恵も身に着けないといけない。
そのために起きていることが、ほとんどだから。
これは魂が自分自身に架したことであり、レッスンでもあるが当人の望みであり、意思として決めたことなんですよね。
ちなみに聖書では占いや予言は悪とされています。
なんで悪なのかって? それは未来は自分で創るものだから。未来とは知るものではなく、当人が望んで創造していかないといけないから…与えられるものを待ち望むのではなく、自らが望んだ未来を自分に与えるべきだから。
「決めつけ」てしまうと制限が入るし、起こることに対して「待ち」の姿勢になり、自分で努力することを止めてしまう。
ちなみに過去生の情報は、当人が霊的成長に伴って、自然と思い出せる段階に至るまでは、そのような情報を与えることは罪とされています。過去生の情報を与えることは、宜しくないというか、実際、弊害の方が多いです。
癒しという名の解放を与える場合もあるけど、情報を与えていいのは、ある段階に至っている人に限りますね。当人が知りたがっているからと言って、誰にでも開示していい情報ではない。
知ったことによって、そこから「教訓と学び」を得られるのでなければ…
知ることと合わせて今の人格に、霊的成長の機会を与えることがないのであれば、知ったことは当人にとって実害でしかないのです。
なんで改めて、そう思うに至ったかというと…
例えば、エネルギー的関与によって、あるいは過去生や未来の情報を与えることによって、その人が問題と思っていることや苦悩の原因となっている現在の問題から、離れることが出来たとします(一時的解決)。
するとその途端に…自分を抑圧していたものから解放された直後に、ほとんどの人が謙虚さを失くして、エゴイズムを暴走させるんです。
まるで重石が外れたとばかりに、性格的な問題を全開にしてしまう。自己内省はおろか、人の話も聞かなくなる人のなんと多いことか。
その時に、
「ああそうか…この人を苦しめるこれらの出来事や、こんなあんな出来事は、すべてこの性格を矯正するために、自分に内在する問題と向き合わせるために(反省を促し、心を成長させるために) 必要な経験として起こっていたんだな」
なんてことはザラです。
そうですね…人って、自分の人生が上手く行かないときは、あれこれ考えるものです。
というか、そのような追い詰められた状況でないと、他人のアドバイスに耳を傾けようなんて人はあんましいないですね。
上手くいっているときに、自分に問題があるのでは?なんて…
我が身を振り返って考える人は少ないわけで。
だからまあ、自分の内面に自分自身の問題に気付かせようと、その人の内面的な問題が外面的な世界に投影され、その人を苦しめる「痛み」として「出来事」として、そして「痛み」を与える存在として「人」の姿をした反面教師が写し鏡で表れる。
悩んだり苦しんだり挫折したり自信を無くしたり、そういう状況下に自分が置かれないと、人間てなかなか自分を見つめ直せないし、謙虚な姿勢も取ることは出来ない。
その中から自分が学ぶべきことを学んで、気付きを得て、感情も成熟させて、人としてしっかりと成長できたら御の字で、そのための一大プロジェクトなんですが。
魂の計画を無視して、三次元で起こっていることだけを問題視して、楽にしてあげようという仏心から、安易に「解決」を図ったり「取り除く」方向へと働きかけたり、当人の願望(実のところはエゴイズムの欲望)を具現化して引き寄せることだけに焦点を絞っても…
結局のところ、霊的成長をするための機会から遠さげ、本来の道から寄り道させて(学校で言うなら留年させること)、魂の道から外れさせるだけになっちゃう。
カルマのレッスンから落第させて、新たな宿題や課題を増やしてしまうだけという。そんな感じです。
そういう意味で、私たちのような仕事っていうのは難しい。ある意味では罪深い。そのことをきちんと理解していないと、堕落の道へと誘いこむ反逆者になってまう。
でもね
ほとんどの人が、自分の人生が何故こうなのか?
自分の人生の諸問題はどのような理由で起こっているのか?
それらが自分に何を伝えようとしているのか、自分が何に気付くべきなのかってことに関しては、興味ないんですよね。自分の人生に起こっていることの意味を知りたがる人は本当に少ないです。
そんなことよりも、欲しいものを手に入れたい。思い通りの人生を生きたい願望を叶えたい。お金が欲しい恋人が欲しい。そんな風に、欲望を叶えることにみんな夢中です。
願望を持つのは無意味じゃなく、必要な欲望ではあるけれど、望んでも叶わない理由が何なのか、どうして「おあずけ」をくらっているのか、その「制限」が何処から来ているのか…それが自分にとって何を意味しているのか。
結構大事なメッセージが含まれているのに、そこに取り組みたがる人はあまりいません。
そういう説明をしても、霊的知識を教えても…手っ取り早く願望が叶う魔法の杖を、皆さん欲しがって、探す努力にエネルギーを注ぎます。
まあ、自分の中にある問題と向き合うのは、確かに怖いことなんだと思います。色んなことを認めることでもありますしね。
そして、この話ちょっとだけ続きます。
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