見出し画像

ジローズ - 戦争を知らない子供たち - 1971

「日本のいちばん長い日」1967年 予告編

1945年8月15日から、あっと言う間に77年。
「もはや戦後ではない」と言ったのは、確か首相の岸信介氏(故安部首相の祖父)だったろうか…? 

いやさ、この言葉は1956年の経済白書(経済企画庁/執筆責任者は後藤誉之助氏)「日本経済の成長と近代化」に書かれた、むすびの言葉であって、1人当りの実質国民総生産(GNP)が、55年に戦前の水準を超えたことを受けて、そのように語られたに過ぎない。

そしてこの同年、戦後11年にして日本は日ソ共同宣言に署名し、国連加盟を果たしたのであるけれども…

どうなんだろう。私は1960年代の生まれで、オリンピックも万博も知ってはいるし、テレビも冷蔵庫も洗濯機という三種の神器もうちにはあったけれど、傷病兵の人たちを街中で見かけることはあったし、テレビでは戦争を忘れないための番組もたくさん放映されてて、親の世代からは戦中の苦労話をうんざりするほど聞かされたりしていた<私たちと比べてお前たちは恵まれているだのなんだの

戦後の帰還兵 空母「葛城」でラバウルから帰国

同級生ではまだバラックに住んでいる人たちもいたりなんかして、まだまだ戦後は引きずっていて、豊かさと貧しさが混在している混沌とした中にいたような気がする。

※バラック…トタンで囲まれた、プレハブよりも簡易な掘っ立て小屋のような、物置の様な…とても家とは言えない建物。後進国では似たようなものを見かけることが出来る。「あしたのジョー」のドヤ街なんかの建物はまだいい方。

東京のバラック小屋と住人のインタビュー音声

さすがに77年も経ってしまうと、戦争体験者は少なくなり、語り継がれることも稀で、忘れ去られて、人々の記憶の中に埋没してしまうことばかり。

けれど、未来のためには忘れることも大切で、忘れてはいけないことと風化させないこととのバランスが重要となってくる。

過ちや悲劇は忘れず、そこから得た教訓となることは記憶に刻んで未来に生かすべきだが、遺恨は忘れて、後顧の憂いを残さないことも必要だ。でなければ、いつまで経っても私たちは負のループを繰り返してしまうから。

とは言うものの、
この77年の間、日本という国では戦争が無かっただけの話で、それ以外の国ではたくさんの内乱や戦争が起こっている。国同士のもの、民族間のもの、宗教の名を借りた殺戮、独裁者の恐怖政治の末の虐殺を含めて…
戦争という問題は、人類に常に突き付けられている課題でもある。

この世、この地球に住まうすべての人々が、
「戦争を知らない子供たち」になることをただひたすらに願うのみ。「人類は皆兄弟姉妹で家族」という理想と真実が、一日でも早く実現化されることを望み、祈るのみ。


ジローズというと、この曲しか知らなかったりしますっっ
当時は、テレビや町中でガンガン流れていた気がしますけども…昨今ではめっきり聞く機会がありません。

たぶん…グループ名の由来は、杉田二郎(ジロウ)さん、塩見大治郎(ダイジロウ)さん、細原徹次郎(テツジロウ)さん、このお三方のジロウから取っての名前でしょうね。

私もジロウです

この三人で大学生時代、1967年からアマチュアとして活動したあと、1968年の大学卒業と同時に解散、杉田二郎さんは、はしだのりひことシューベルツに参加しますが、
シューベルツは1970年に解散。

はしだのりひことシューベルツ「風」1969


そして、森下悦伸(次郎に改名)さんと杉田二郎さんで、
第二期ジローズの再結成となります。

これはラーメン二郎

して1972年に解散。
杉田二郎さんはソロに、森下さんはラジオ関西に就職。
で…2013年に再結成されたそう。

杉田さんと言うと‥

「ANAK(息子)」1978

まず、この曲が思い浮かびます。親心を歌った歌。
家庭内暴力というか、積み木崩し的な息子を持った、
両親の苦悩ってイメージな、物語の歌でもありますね。

「積み木くずし」1983

そしてジローズのこの歌。
カルチャークラブの「戦争のうた」からの流れというか、
それでこの歌を思い出したわけですがっっ

いやさどうせなら、
終戦記念日に取り上げろよって思いますが…
どうしてお正月にって、自分でも。

まっ、いっか。

昭和だなあ、という気がします。雰囲気がもろ戦後だー

「戦争を知らない子供たち」1971

下記はフルで、レコードの音源。

作詞は北山修さんで、作曲が杉田二郎さんですね。

なんでも、大阪万博で歌われたのが最初だそうです。
レコード大賞の新人賞を受賞し、
「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」には挿入歌として使われました。

地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」 予告編 1972

んでもって、この曲をテーマとした映画も、1973年に作られたりなんかして…

ちょうどベトナム戦争の最中で、反戦運動の機運が盛り上がってた時だった頃ということもあり、日本を代表するプロテストソング、反戦歌となりましたね。

なんかねー 成田空港はんたーい!!って、バリケード作って
デモやってた人たちも、この曲流したり歌ってたわ~

そして、この歌には続編があって…

「戦争を知らない子供たち'83」1983

ネトウヨから叩かれそうな歌ですねっっ
ほとんど知られていないのが、ちょっと寂しい。

作詞は北山さんですが、作曲は坂庭省悟さん。
はしだのりひことクライマックスの「花嫁」コンビです。

はしだのりひことクライマックス「花嫁」1971

あと、オマージュとして、
2002年にアフガニスタン戦争について思うところのあった、今川夏如さんと言う方が作られた「戦争しか知らない子どもたち」という曲もあるんですけど…
そちらはYouTubeにはありませんのでした。

また、中村中さんのこの曲もオマージュになりますね。

「戦争を知らない僕らの戦争」桜美篇 2010

パロディもたくさんあって、2002年のものとは別に、替え歌「戦争しか知らない子供たち」が1972年に作られていますし、タイトルをもじった「ビートルズを知らない子供たち」という曲もあり…

阪神ファンとして忘れてならない曲として、

「阪神タイガースの優勝を知らない子供たち」1985

リリアンさんという方が歌っています。

こちらは2019年バージョン。

そんな感じです

玉音放送「君が代」

聖断、下る - カラーで蘇る日本ニュース 第255号

戦中・終戦直後の日本 【カラー映像】1/3

戦中・終戦直後の日本 【カラー映像】2/3

戦中・終戦直後の日本 【カラー映像】3/3




F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/01/08 掲載記事より転載


もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛