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選択肢は我に有り〜生きたい人生 かくありたし己を生きるのみ

一瞬一瞬が運命の分岐点となって
いろんな世界が
どんどん枝分かれしているんじゃないかって

都志夫さんが
まだ生きている世界もあるかもしれないし
いろんな世界それぞれに大勢のわたしがいる

泣いてるわたし
喜んでるわたし
怒ってるわたし
笑ってるわたし

枝分かれしていった
たくさんの世界にいる大勢のわたしの中には

いま この瞬間に同じようにして
思いをはせているわたしもいるのかしら?

 by宮脇明子「ヤヌスの鏡-秘伝」

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とある女優さんがいました。この方を仮にAさんとしましょう。

Aさんが女優という仕事に就いたのは、映画が好きだったということと…
"演じること" 自らの肉体をして"表現すること"が好きだったからであり、

本来の自分とは性格も生き方も異なる、様々な人間の生き様を演じることで、いまの自分とはまったく違う個性を持った、別の自分や他者の人生を擬似的に体験でき、そこにカタルシスを覚えられる、独特の快感や刺激が得難いものであったから。

なので、この方はスターになるというか有名になることというより、女優という仕事をする第一の目的として、実際の自分とはまったく別の個性を持った別人を演じる(演じられる)ことの愉しみや悦び…そこにプライオリティを置き、仕事の価値や意義を見出していたのですね。

だから出演料が高いとか安いとか、共演者が誰であるとか監督やプロデューサーやスポンサーがどうのこうのとか、そういうものは二の次だったわけです。

で、恋人ができたとき…
恋人はそれが演技であり仕事であるとは言え、彼女が自分ではない他の男性とキスしたり、色恋的なシーンを演じるのが耐えられない。だから、結婚したらそうしたシーンは断って欲しいし、本当は引退して家庭に入り自分の妻としてだけ生きて欲しい。

…などと言われた時、恋人からのプロポーズをあっさり断りました。

また別の女優さん…Bさんとしましょうか。

この方は家が貧しくて、親も病弱だった。たまたま容姿が美しく生まれついたので、スカウトされて女優にと…提示された契約料が家計の足しになると…自分がそれをやりたいとかやりたくないとか、そんなこと考える間も無く、何よりも家族のためにもなるし、生活のためと割り切って、望まれるままに銀幕へと自らの姿を晒すことになった。

もちろん仕事として考えるからには、そこはそれ。演技の勉強もするし、周囲のアドバイスなども受け入れて、監督や演出家の指導のままに演技の研鑽も積み、見せ方や女優としてのスタンスや自らの美も所作も磨いたわけです。お金を頂くからにはと言う考えのもと、仕事というプロ意識を持って真摯に取り組まれました。ですが、演じることの楽しさや仕事の醍醐味も知った頃、誠実な人との出会いがあり、悩み考えあぐねるも、経済的な問題も解決しており、家族(両親)にそこそこの孝行もできていたので…

皆の引き止める声、惜しむ声を振り切って、あっさりと女優業を引退し、暖かい家庭へと自らの居場所を求めることに至った。当初の目的は達成された後なので。

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二人の決断の違いは、価値観の違いでもあるし、同じ仕事に就いたとはいえ、その仕事をすることになった(していることの)動機や目的、その違いでもあります。

何のためにその仕事をしているのか…
ここがはっきりと明確にそれぞれ自覚(目的意識)があったから。

女優(役者)という仕事に対する自分の気持ち 
女優(役者)という仕事から得られるものに対する気持ち
女優(役者)という仕事から自分は何を得たいと望んでいるのか
女優(役者)という仕事を選んだ目的と動機とかとか

それをしっかりと理解をして、誰でもない自分が自身の理解者であったが故に、おのが人生の決断も迷わずできたのでしょう。

人生のターニング・ポイント

そこに立たされた時、自分が人生で得たいものがなんであるのか、
何のためにそれをしているのか…

そのような目的がはっきりしていて、
自分が幸せになるために自分には何が必要なのか…
自分の魂を燃焼させることや心の満足を得られることが、
どのようなものであるのか…

それが解っていたならば、人はさほど迷わないで済むのでしょう。

人は生きたいと思う、望むままの人生を…成りたいと思う自分に成って生きる権利を、誰しもが与えられているのですから。

ただ、そこには何を優先するかという…限られている、この世の人生の時間を生きる上での、これだけは絶対に譲れないという、これだけは絶対にやっておきたいことや叶えるべきことを、理解しておかないといけません。

でないと、人生は駆け足であっという間にすぎてしまいますから、無駄なことに時間を取られて、本分に至るまでの序章で、タイムリミットを迎えてしまう可能性も否定できません。

次に持ち越す前に、 
今回の人生でこれだけは絶対という優先順位は掲げておくべきです。


「愛と喝采の日々」原題 The Turning Point 1977

※日本語の予告編が無かったっっ

女性のキャリアに関しての、結婚(出産)か仕事を選ぶか…という問題を描いた映画に「愛と喝采の日々」という映画がありました。

バレエダンサーの女性ソリスト二人のキャリアの選択とその後。妊娠を機にキャリアを手放して結婚を選んだティーディーと、独身のままキャリアを積み その道のトップにあり続けるエマ。

かつて、ティーディーの夫を挟んでの恋敵でもあった二人は、それぞれ…
自分がもしかしたら彼女だったかも知れないという、自分が得られることのなかった未来(現在)の自分を羨み、無いものねだりをして葛藤し、手放したものを悔やみ、変えようもない過去の選択をした自分を責め悩むのです。

主演のシャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトが良かったですし、
ミハイル・バリシニコフ、レスリー・ブラウンなども良かったです❤️

立ち止まって 足を止めて 
今を考えて 後ろを見て

自らの人生を振り替って、これで良かったのか、これでいいのか?と…
自らに問うような、迷いを禁じ得ず、選択を迫られる分岐点に立たされる時が、誰にでも少なくとも人生に一度は訪れ、経験させられることがあると思います。

そんな時に人は虚しいことと分かりつつも、自分にとっての「正解」を探そうとします。

どうするのが一番良いことだったのだろう?
自分にとっての本当の道、進むべき道はどれだったのか…
もしもあの道を、もう一つの道を選択していたならば、
どうだったろう? 違っていたのだろうか?
向こうの道、別の道を選択するのが正解だったのだろうか?

この道は間違いだったのでは?
自分が幸福になれる道はもう一つの方だったのでは??

などと言うように。

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言えていることは、どの選択も間違いではないし、どの道を選んでも正しいし、今の道も間違えてはいないってことなんですけどね。

正しいとか間違いとかそもそも無くて、進みたい道をその時に選択したって
それだけのことなんですが…

輪廻転生の過程においては、その人生を生きるのが今か後かって話でもありますしね。

目的地は決まっていて、その目的地に行くためにたくさんの方法が…道(航路)があって、全部通ってから行くか、最短ルートで時短で行くか、同じ道を行きつ戻りつつ、あっちこっち通ってみて行くか、こっちを通ってから、あっちを通るか、あっちに行ってから、こっちを通るか…

そんな程度のことなので。

ゴールに至るまでの、タイムリミットさえ気にしなければね。

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さて、もう一つ…やはり女優さんの例えです。

Cさんという女優さん。
演技力はありますが、いまいちブレイクしません。これといったヒット作に恵まれず、パッとしないのです。そして、とある小説に惚れ込んで、その主人公をぜひ自分が演じたいと切望します。
で、原作者たる小説家に、映画化するなら自分が主役のこの女性を演じたいと熱弁し、あちらこちら奔走して、小説の映画化のために尽力し、念願叶って映画化が実現し、見事主役を演じることになりました。

けれど残念ながら、映画はヒットしませんでした。

彼女はその作品が映画化されて、その主人公を自らが演じることが出来たこと。この結果には満足でした。脚本も演出もとても素晴らしいものでした。

けれど一般大衆は、この作品の映画化には納得していませんでした。

なぜなら 小説の主人公である女性のイメージと、Cさん当人のイメージがあまりにもかけ離れていたからです。演技力がどうとかそういうのでもありません。

Cさんが悪いというのではなく、フィットしないのです。
この小説、この映画の役柄は、Cさんの魅力や個性を殺すものであって、まったくといっていいほど合っていなかったのです。
(時代や人々が、求め欲している内容ではなかったのかも知れませんし、見たいと思われる作品ではなかったのかも知れません。もしかしたら作品が不出来だったり、実につまらないものだったのかも知れませんが)

興行的に失敗したこともあって、事務所が借金を背負ってしまい、その責任を負う形でCさんはその後、我を通すことができなくなって、

「こんな役、自分は演じたくない」「不本意だ」
と思うような役柄を引き受けないといけなくなりました。

逆に周囲が求めるままの彼女に与えられた役、彼女のイメージにピッタリという役柄を演じることになったのですね。

結果は大成功。

彼女が望まない役柄で出演した作品たちはヒットし、興行的に大成功を収め、それまでパッとしなかった彼女の知名度は一気に上がって、次から次へと出演依頼がやってきました。早い話がブレイクしたということですね。

ようするにCさんは、セルフ・プロデュースが下手くそだったのです。

自分を活かすことのできる道、自分にフィットした役柄、自分が世間から求められるポジション、女優としての自分の魅力を最大限に引き出しアピールできる役柄 (ようするにハマり役)がどんな役であるのか、そういうのをまったくわかっていなかったのですね。

でも他人はわかるんです。周囲の方がそれは解っていたりする。
(マネージャーと言われる人たちが客観的な視点で、商品としてのその人の価値をよくわかっていると、売り出し方が的確に解るので作品選びも大体うまく行きます。こういう世界って、本人の希望や意見を優先すると得てして失敗するものです。主観はあっても客観性がないから。だから、おのが長所も欠点も知り尽くしている、自分にとってのファン第一号とも言うべき良いマネージメントができる人とのコンビネーション、信頼関係を作れるそのような人との出会いはとても貴重)

Cさんはそういう自分を活かす道ではなく、こういう作品の中のこのような役柄を演じたい、自分が演じたい役で評価されたい。そして、他者からこういう女優だと思われたい、こういう女優と言われたいし見られたい…

そういうところで女優という自分の仕事を考えていたのです。

でもそれは、Cさんが評価される道ではなかったのです。
世間がCさんに求めているものではなかったといいますかね。

周囲・世間(一般大衆)がCさんに、称賛を送りたい(お金を払ってでも見たいCさん)部分と、Cさんが周囲・世間から称賛を得たい(やりたいことでお金をもらいたい)部分が、不一致だったってことです。

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さて、この場合、Cさんが女優という仕事を通して何を得たいのか…どのような結果を求めているのか…によってもCさんがとるべき道が異なってきます。

Cさんにとっての成功が、世間に認められる道とかお金をたくさん得ること、たくさんの映画に引っ張りだこで出演することとかだったら、周囲がCさんに求めるキャラクターとしての仕事をして、女優の道を極めるべきでしょう。

けれどそのようなものではなく、世間に認められなくてもお金が得られなくても、方々から映画出演を求められなくても、自分が演じたい役を演じることが快感で、そのことに幸福感を覚えるのであれば、そこに価値を見出すのであれば…演じたくない役柄は断って、三流役者と言われてもなんでも、我が道を行けばいいのだと思います。

たぶん、周囲や事務所は、ブレイクする道を選ばないCさんを愚かだと…自分の生かし方を間違えていると、せっかくのチャンスも棒に振ってとか批判するでしょうけども。

世間の評価が何であるかなんて関係ありません。

当人が自分の人生で何を得たいのか、
何を最終的に収穫したいのか、ですから。

ええ、究極を言うと、死ぬ時にどんな想いを抱いてあの世に旅立ちたいか…

それが全ての答えを導き出します。

人生で得たいもの、まっとうしたいもの、自分がやり遂げたいこと、それが何であるか、ただそれだけですから。

本人が満足いく人生であるか否か、それだけなんですね。

自分の人生なんですから、損も得もない。どちらも選ぶことができるし、どっちを選んでもいい。

そして、私たちはいつでもどこからでも、人生を軌道修正することができます。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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