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志望校の先輩はアイドルの彼

去年娘が生まれて以来、我が家には定期的にお客さまが遊びにきてくれていて。嬉しい日々が続いている。

数日前はなんと3日違いで女の子を出産した、同い年の友人が遊びにきてくれた。その子と出会ったのは今から約20年前の(自分で書いてゾッとするけれど)高校一年生の頃。私たちは同じ予備校の、同じ校舎に通っていた。

一緒に授業を受けていた時間はほぼなかったけれど、気づけば「自己推薦」という少し特殊な形で同じ大学を受験して、共に受かり、同じ学部に進むことになった。そんな彼女と互いの娘と共に4人で会う日が来るとは……つい「エモい」と言いたくなるほどの、感慨深さだ。


高校生だったあの頃は結婚して子どもが生まれる未来なんて全く想像できなかったし、もっと手前にある「行きたい大学に行ける未来」でさえも、信じきれていなかった。

偏差値が決して高くない高校で、大学受験へのモチベーションが高い方が少数派……という環境にいた私は、志望校を周りに表明すること自体、臆病になっていたと思う。「私なんかが志望していい大学なんだろうか」と。それでも行きたい、と気持ちを固めて、高校生活を受験に捧げることにした。


大学受験へのスタンスの違いが原因だったのかは今もよくわからないけれど、仲の良かった高校の友人たちからは少しずつ距離をとられ、いわゆる「ハブられる」状態になった。

予備校でも仲良しグループに所属することはなく、数人の友人たちと個別に仲良くする程度で。孤独に自習室にこもる日々が多かった。仲良しの男女グループでキラキラと楽しそうに予備校ライフを送る人たちを見て、うらやましくて。自分が惨めに思える日もあった。


そんな孤独な戦いを支えてくれたのは、志望校の卒業生でもある、アイドルの存在。彼は「大学に進学するアイドル」の先駆け的な存在でありながら、時に周囲の協力を得ながら学業と仕事を見事に両立し、留年することなく卒業した。

もちろん、彼が卒業したから志望したわけではなく、たまたま志望校が彼と同じだった……という順番だけれど、なんだか勝手に誇らしくて。学業とアイドル業の両立の前例がない中で彼の選択は賛否両論あったと思うが、自分の軸をぶらさずにやりきった彼のことを心から尊敬していた。

ポスターを部屋の壁に貼っては、毎日眺めて「絶対後輩になるぞ」と心の中で誓って。恥ずかしくて周りには言えないから、あくまで自分の中のひそかな儀式として、毎日毎日ポスターの彼と目を合わせていた。

そんな地味な日々を積み重ねて、自信なんて持てないまま受験の日を迎えて。終わってから結果が出るまでは気が気じゃなかったし、落ちたものとして、一般受験に備えて引き続き勉強を続けていた。たとえ落ちてもまだチャンスはある。そう自分に言い聞かせるようにして。


結果は平日の学校がある日に発表だったので、自分の代わりに母に見に行ってもらった。本当は持ち込んではいけないガラケーをこっそり持ち込み、休み時間にトイレに駆け込む。

電源を入れて、センター問い合わせをすると一通のメールが届いていて。

送り主はもちろん、母。

恐る恐る見ると、件名には「桜咲く」の文字と共に、桜の絵文字がついている。

しばらく放心状態になりつつ、

ああ……受かったんだ……もう勉強しなくていいんだ……

志望校に行ける喜びなのか、苦しさから解放される喜びなのかは、よくわからなかったけれど。

憧れのアイドルである彼が歌う曲が頭の中で鳴り響き、まるで祝福されているような気分だった。


結局、一般受験をするみんなより早めに合格したことがさらに拍車をかけたようで、高校の仲良しグループからは卒業式の日までずっとハブられていた。

それでも私には志望校に受かったという自信があったし、大学という次の行き先があったから不思議と怖さや寂しさはあまりなく。

実際、全てがリセットされて大学で広がった世界は私にとって大きな財産になった。今も娘が生まれてから我が家に来てくれる人たちの多くが、大学時代の友人たちだ。


どんな逆境に立たされても、未来を信じて自分が信じた道をひたすらに突き進む。そんな姿勢を教えてくれた彼のおかげで、私の未来は大きく拓けた。

もうあのポスターはどこかにいってしまったけれど、今でもテレビの中の彼と目を合わせては、時々あの頃のことを思い出している。

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