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「選ばれなかった理由」と向き合い書き残す
受験期に志望校に受かったとか、就活でなんとか内定をもらえたとか、好きな人と両思いになって結婚できたとか。
どれだけそこに辿り着くまでの道のりが辛くても、最終的に「選ばれた」経験があると、それについては人に語りやすいし、積極的に書き残したくなるものだなあ……と思います。
企画講座でお世話になった恩師でありコピーライター・作詞家の阿部広太郎さんが、ご自身の「選ばれなかった」エピソードをもとに、その気持ちとどう向き合い一歩踏み出したか?を綴った「あの日、選ばれなかった君へ」という本があって。
これにハッとさせられた私は選ばれなかったことも含めて、「忘れたフリをした過去たちと向き合って言葉にしてみよう」とこんな記事をいくつか書いていたことがありました。
でも、今読み返すと、結婚・仕事・就活・部活・受験……と最終的に「選ばれる」ための努力が報われたことは多くて。だからこそ言葉にできたのだろうなあと。
一方で、最後まで「選ばれなかった」ことについてはどうだろう。
私は向き合う覚悟が本当にできているだろうか。傷つくことを恐れて逃げてはいないだろうか。
そんな気持ちを試されたのが、こちら。
編集者の藤原華さん主催のnoteコンテスト。
「なぜ、私は書くのか」がテーマで、私も応募させていただいていました。
結論から言うと、選ばれませんでした。
中間選考さえも突破できませんでした。
正直、久しぶりに胸がズキズキしたし、落ち込んだし、こんな気持ちには蓋をして、見て見ぬフリをすることもできるのですが……
「選ばれなくてそのままにしてるようじゃ無理か。選ばれなかった理由くらい、向き合わないと。」
と心の中の菊池風磨が言ってきまして(詳しくは「菊池風磨構文」で検索ください)
一番落ち込んでる今こそ向き合い、言葉にしよう!と思い立ち、こうしてnoteを綴っています。
今回とてもありがたかったのが、「選ばれなかった理由」を藤原さんのマネージャーであるジャスミンさんが、きっと心を痛めながらも言葉にして届けてくださったこと。
それを読んだうえで、再度自分の書いたものを読み返すと驚くほど思い当たる節がたくさんあって。
これだけ思い当たる節があるなら、なぜ応募前に見直せなかったのか?「落ち込んだ」と言えるほど、いろいろな角度から見直し、検討しきったのか?しきれてなかったのでは?と、自分に自分が怒涛のように詰めています。
私が書いたのはこちらですが
ジャスミンさんが書かれてたこととあらためて照らし合わせるとこういうことかなと……(違うかもしれません。あくまで自己分析として。)
読むからには、「得をしたい」
自分なりに魂は込めたけれど、それが伝わり、相手のためになるような具体的な中身が何もなかったと思います。そう、とにかく具体性に欠ける……致命的です。言いたいことがふわっとしすぎていて、ありきたりな言葉が並んでるだけになっているなあ、と。
メインディッシュが出てくるのが遅い
遅いどころか、メインディッシュはどこですか?と聞かれると「見当たらない」ですね……自分でも何が一番言いたいことなのか。なんのエピソードでそれを伝えたいのかがブレブレで結果、中途半端な文章になっている。これまた致命的。
他にもいろいろあると思いますが、主にはこれらで……総じて「読んでいて中身がないおもしろみのない文章」になってしまったのではないかなと今では思っています。
応募したときには、決して中途半端な気持ちで書き上げたわけではないはずなのに。なぜこうして指摘されて、読み返すとこんなにも思い当たる節があるのか。悔しいです。
「選んだ人」だけを発表すれば良いものを、こうして、「選ばれなかった理由」を届けてくださったことで自分と向き合うことができ……きれいごとに聞こえるかもしれませんが本当に感謝しています。
藤原さん、ジャスミンさん。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
この経験を今後に活かせるよう、まずは苦しくても今日書いたこの文章を時々読み返しながら、今後も書き続けていきたいなと思います。
今はまだうまく言葉にしきれないけれど。私に「書く理由」が何かしらあるということだけは、間違いないので。