短歌エッセイ𓍯5ml
「今週末、産みましょう」
出産予定日の2ヶ月程前、先生からそう告げられた。母子両方の命の危険を考慮しての判断だった。
理解がすぐに追いつかなかった。いつ急変するかわからない恐怖と同時に「私、まだ頑張れるのに」という思いもあった。
先生からの「ママも赤ちゃんももう十分頑張ったんだよ。ここまで来るのも大変だったでしょう」の言葉に、涙がポロポロと溢れ、徐々に産む覚悟ができてきた。
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣
出産をした翌日。私のせいで早く産んでしまった。もっとお腹の中にいたかったはずなのに。「ごめんね、ごめんね」と1人泣いてばかりいた。
病室を訪れた助産師さんに「ママの体調も落ち着いてきたから、赤ちゃんにおっぱいをあげる準備をしようか」と言われた。
授乳と同じように3時間おきにマッサージするように言われ、マッサージの仕方を教わった。助産師さんにやってもらったときにはじんわり滲んでいたのに、自分でやっても微塵も出てこない。
周りのママたちはもう授乳をしていた。同じ日に出産したママも、私より後に出産したママも、もうみんな赤ちゃんを抱っこして授乳している。
焦りが募っていく。私はちゃんと産んであげられなかった上にちゃんと母乳もあげられないのか。
「母乳 出ない」「母乳 出し方」「母乳 赤ちゃん NICU」——
何度も調べた。何度も調べたけれど、いくら調べても「赤ちゃんに吸ってもらう」という記事ばかり。赤ちゃんに吸ってもらえないから調べているのに。
みんな「ママのせいじゃないよ」って言ってくれるけれど、「何言ってんの、私のせいだよ、ごめんねごめんね」って何度も泣いた。
泣きながらマッサージを続けた。抱っこもおむつ替えも授乳もできない私が、唯一赤ちゃんにしてあげられることだから。
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣
出産から3日後。
ようやく母乳が少しずつ滲んで「ポタ、」と垂れるようになってきた。小さな注射器のようなものを渡され、「このシリンジに垂れてきた母乳を吸って集めてみて」と言われた。
じんわり滲んだ母乳を一生懸命集めてみる。2,30分程経って、ようやくシリンジの中を満たすことができた。
それまで車椅子で生活していたけれど、今日だけは自分の足で歩きたくなった。医師に許可をとり、車椅子を降り、ゆっくりゆっくりと歩いて、NICUに向かった。
シリンジに集められた、たった5mlの母乳。
私の育児はここから始まった。