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また会おうの先へ

Without friends no one would choose to live, though he had all other goods.
友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。
たとえ、他のあらゆるものが手に入っても。
(アリストテレス)

こんばんは。wisteriaです。

昨晩は、かつての同期で、

私の数少ない、心許せる、気の置けない友人たちと

オンライン上で会った。


とても楽しい時間だった。あっという間だった。

あの心地よい空間は何だろう。

話すことがなくて、黙っていても成り立つ空間。

物理的に隔絶されているにもかかわらず、

まるで隣にいるかのような、

どこかノスタルジアを感じるような、温かい空間。


最後は、

「今度は、どこか対面で会おうね」

そう交わして、笑顔で別れた。


正直なところ、今度会う話は出ずに終わると思っていた。


私としては、2人とは過去の繋がりだけでなく、

これからも繋がっていたいと、

心から強く思う存在であることに、

嘘偽りはない。

そう思う一方で、

研究室に残った私から発せられる、

研究室の闇塗れの話を聞いてもつまらないだろうし、

つまらない私と付き合う理由も彼らにはないと思っていたし、

本当のところ、

研究室での同期という繋がり、

それが隔絶され、消失した現在では、

彼らにとって、その繋がりは過去であり、

係り合いたくない過去かもしれないとも思っていた。


私も、これ以上、研究室という繋がりで、

繋がらない方がいいのでは、

と思う時もあった。

もう解き放たれた彼らを繋ぎとめる糸や楔は、必要ない。



だけど、

「また、今度会おうね」

と言ってくれた。


社交辞令かもしれない。良い様に捉え過ぎなのかもしれない。

だけど、なぜだか、私には、

彼らが、

私のことを研究室の同期という過去の繋がりだけではなく、

一人の友として、

接してくれているように感じた。


そして、


明日からも、彼らがずっと傍にいてくれている


そんな感覚と、


これまでも、これからも、繋がっていよう


と言ってくれているような、
明日への希望を照らすかのような言葉に感じた。



最近の私は、結構、色々雑多なことに塗れていた。

明日も書類の片づけしないとなぁ、

と思って、目を閉じる。


そんな日々を過ごしているうちに。

明日という日に、

明日が来ることに、

楽しみを、希望を持てなくなっていた。

同じことを繰り返す日々。

その日々に対して、恐怖すら感じることもあった。


「また、会おうね」

とてもシンプルで、何気なくて、飾らない、

この数文字が頭から離れなかった。


座っている私の両手を彼らが掴んで、引っ張って、

明日へと連れて行ってくれようとしている感覚。


大げさかもしれないが、

"一緒に生きよう"

今の私には、そう聞こえた。



そう思うだけで、こみ上げてくる想いの大きさに、

私自身耐え切れず、反射的に外に流れてくる。

これを書いている今も、その想いに耐えきれなくなっている。

本当は、もう少し派生した話を書くつもりだったが、

話が発散しそうなので、ここで一区切りにしようと思う。



私の愛すべき・かけがえのない友へ

私に明日への力を与えてくれて、ありがとう。

一緒に、明日からも生きよう。

そして、必ずまた会おう。



friend の語源は、古英語 freond にさかのぼり、
「愛する」という意味と関連する。

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