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リスクの秤


皆さんも一度は経験があるだろう。


リスクAとリスクB、

どちらも同じ大きさをもつリスクだが、

これらのうち、いずれか1つを、

どうしても選ばなければいけない時を。


この選択の正解はない。


選択したリスクと、そのリスクを選んだ理由は、

個々の状況や考えに依存するからだ。


上記では、簡単に2つだけのリスクを挙げたが、

2つに限らないこともある。


いずれにしても、私は、このような状況に立たされた時、

私以外の全てのパラメータが、正の値を示すリスクを選ぶ。


最善を言うと、私を含めたパラメータの合計が、

正に最大値を示すリスク・選択肢を選びたい。



だが、私は、この世に"最善"・"BEST"な選択は、

あってないようなもので、

"BETTER"な選択を常にせざるを得ないと思っている。


だから、たとえ、選択肢を2つ提示されても、

自分なりに、別の選択肢を新たに考え、

すべて机上に出揃ってから、選別する。


今まで、そういう選択を繰り返し、

可能限り、リスクを減らしてきた。



しかし、今回の一件は、非常に悩まされた。

皆さんならどう考えるだろうか。



いとこが、週末に来訪する。

いとこだけなら、良いのだが、

生まれて間もない、いとこの子供も連れて来ると言う。

私の両親は、家中響き渡るくらい、強い口調で、

「コロナ禍で、緊急事態宣言も発令されてるから、来なくていい!」

と言ったにもかかわらず、来ると言う。


非常に冷酷な言い方をすれば、

そこまでして、子供を見せに来たいか?

と言いたい。


私には、コロナというリスクを背負ってまで、

子供を危険に晒す親がいるだろうか、と思うばかりだった。


いとこなりに、私の両親からの出産祝いのお返しもしなければ、という心も理解できる。


だけど...今は事情が違うんだよ、そうじゃないんだよ。


考え直してくれ、と何度も願った。



なぜなら、私は、今週末、研究室に行く予定をしていた。

一日だけ。

その日は、業者による特殊な機器のメンテンナンスで、立ち会う必要があったので、事前に日程調整した上で、登校する予定だった。


だが、週末に、いとことその子供が絶対来る、となって、私は、2つのリスクに対して、ここ数日、非常に悩んだ。


研究室に登校して、いとこに会わない。

そうすれば、最低限のコロナのリスクは避けられる。


だが、コロナも私が仮に感染してしまっていたら、

家庭内感染で、結局同じことかもしれない。

そして、居留守を使えば、私に対する非常に心象が悪くなる。



一方で、登校せず、いとこに会う。

コロナのリスクを最小限にできる。

だが、日程調整までして、合わせたメンテナンスの日を蹴る、ということは、指導教員の心象が悪くなり、信頼に再びヒビが入る。

そうでなくても、以前の記事でも書いたように、

壊れた信頼を取り戻すために、積んできていたのに。



どうしよう。どうしよう。どうしよう。

どうすればいい。

考えあぐねた数日だった。



結局、私は、後者を選んだ。

いとこの子供に会いたいからではない。

指導教員との関係性を悪化させたい訳ではない。


ただ、

目に見えない脅威やリスクを背負いながら、

新しい命に対面するリスクを考えると、

容易に外出して、他人と会う気になれなかった。


怖い。

臆病者の私は、ただただ恐怖しかなかった。



事情の全ては話していないが、

先程、指導教員にその旨を伝えたのだが、

見ているはずなのに、返信が来ない。


真の事情を話した方が良かったのだろうか。


大きな不安が私を襲う。



私だって、こんなリスクの選択など、したくない。

どちらも避けられる方法も考えたけど、全く思いつかない。


何度考えても、リスクの秤は、平行を保っていた。


だが、ほんの少し?

いや、大きくて弱いファクターが見えた時、

秤は大きく傾いた。



やはり、大きくて弱い、

最も守るべきファクターを無視することは、

私にはできない。


たとえ、

誤解を生もうとも、

軋轢が深まろうとも、

私の信頼を失おうとも、

何にも代えがたい、大切なものを失う恐怖には勝てない。


それは、血がつながっているからではない。

たとえ、血がつながっていなくても、

私はそのリスクを選ばないだろう。




非常に苦しく、胸がしめつけられる決断だった。

もう二度としたくない。


今日も、あまり眠れそうにない。




お前は自分の立場に忠実なのは結構だが、
同時に恕、つまり相方の立場も理解してやるという広い気持ちを持たねば、世の中に円満に処していくことはできない。
(渋沢栄一)


管理職が部下に対し、
「仕事が終わるまで会社にずっと張りついていろ」と命じるのは、
基本的には管理職のエゴで、
自分が見ていないとその人たちが働かないと思い込んでいるからだ。
こうした発想は、そこまで人を信用できないのかと情けなく思う。

「俺の目が届く範囲で必ず仕事をしてくれ」と思っているわけだから、
これは結局、部下を信頼していない証拠だ。
しかし管理職が部下を信頼できないのであれば、
組織でうまくやっていけるわけがない。
みんなに常に見られている中で、行動も発言もがちがちに抑えられる。
そんな縦社会の中で、創造的な発言ができるだろうか。
斬新な発想ができるだろうか。
(桐山一憲)


「信用」するのではなく「信頼」するのだ。
「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。
裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。
(アルフレッド・アドラー)

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wisteria
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