信頼という積み木
信頼が失われたならば、何を語っても意味がない。
(フランツ・カフカ)
こんばんは。wisteriaです。
昨日は、取り乱してしまい、申し訳ありません。
そんな記事に、スキして頂いた方、コメント頂いた方、
本当にありがとうございます。
皆さんの温かい気持ちを受けて、胸がいっぱいになって、
また、今夜も違う意味で泣きそうです...(笑)。
noteを始めてよかったと心から思いながら、
一日をゆっくりと過ごしました。
そして、冷静に、客観的に、
昨日の慟哭、かなしさについて考えていました。
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私は、ある時をきっかけに、人を信じられなくなった。
それは、高校生の時。
大好きだった祖母が亡くなり、そのお葬式に参列するため、学校を休んだ。
その休んでいる日に、ある冊子が配布されていた。
次に登校した時に、授業のプリントなどはあったが、その冊子はなく、
クラスメイトから、その冊子の存在を知らされた私は、担任にその旨を伝えた。
担任も、私が学校を休んだ日に偶然休んでいたようで、
その冊子の配布に関しては、違う教員が配布したから、分からない、と言われた。
だから、私は、その配布した教員に聞いた。すると、
「君がいる時に配った」
と言うばかりだった。
私は、そんな覚えが全くなかったので、貰っていないと主張したが、
なぜか取り合ってもらえなかった。
結局、配布した教員の記憶違いと伝達忘れだった。
その時あたりは、私の家族、学校、友人関係がぐちゃぐちゃで、
私自身もぐちゃぐちゃだったので、
あまり記憶にないのだが、怒りと哀しみの感情だけは未だに残っている。
その時から、人、特に、当時だと大人を信じられず、
まず、疑うことから人を見るようになった。
あまり良くないことかもしれないが、
個人的には、疑うことで、よかったこともある。
観察眼、観察する習慣が身に付いた。
人を良く見て、人の話を聞いて、態度を見て、その人の人物像を形成するようになった。
そして、人の良い部分を、真似・模倣することができるようになって、自分の身に付くようになった。
だけど、一方で、人を信じない私は、
何でも一人で行動してしまう癖がついてしまった。
誰かを信じて任せることができなくなっていた。
なので、今は、黙って見守ることを、できる限り心がけている。
人を簡単に信じられなくなって、分かったこともある。
信頼の示し方だ。
誠実の積み重ねによって、
信頼が蓄積されていく。
そこに、信用もあれば、尚のこと良いが、なかなか難しい。
じゃあ、その誠実、とは?となるが、
【誠実】
私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。
まさしく、この通りだ。
だから、誠実の積み重ねこそ、信頼の構築過程だと私は思っている。
そして、積み重ねた先に待つのは、揺るぎない信頼だ...
と断言したいが、簡単なことではない。
なぜなら、この積み上げた信頼は、積み木のように、
いともたやすく、軋み始め、音を立てて、崩れる。
大抵は、偽り・嘘・虚言・欺瞞・傲慢などの不実の連続、
時に、勘違いなど、想いのすれ違いによって。
昨日の場合は、両方によって引き起こされた不信感からくる哀しみだった。
私は、積み重ねて、積み上げてきたつもりだった。
そう思っていたのは、私だけだったのかもしれないと、
今日、ふと感じた。
私は、分かっていたはずなのだが、
あの方が、口だけだということを。
忘れっぽいのも、責任を逃れようとするのも、知ってたはず。
少し嫉妬も入り混じった言葉の数々。
だけど、計り知れないくらい受けた恩義やあの人の立場を思い、
必死に、あの方の"不実"を受け流してきたつもりだった。
が、私の中にある、あの方に対する信頼は、
当の昔に受けた多数の亀裂によって、崩れかけており、
昨日、ついに、崩壊した。
私の心のダムも決壊した。
信頼というのは、すぐに生まれないが、急になくなる。
積み木のように。
だから、再び、積み上げようとするのには、時間と気力を必要とする。
崩れると、もう一度積み上げようと思う心がそがれたり、
二度と積み上げたくなることもある。
どうすれば、あの方に私の真意を分かってもらえるだろうか。
これから、どうしようか。
昨日から、その事ばかり考えている。
とりあえず、昨日今日で、あの方のスタンスが分からないと思った。
どの立場で、私の研究に携わるつもりなのかがわからない。見えない。
まずは、そこから聞いて、理解する必要があると思った。
上手くいけば、そこを皮切りに、思っていることを正しい表現で伝えて、
再度、信頼を積み上げていきたい。
また、はじめからスタート、仕切り直しだ。
上手くいくかどうかは、やってみてから考えよう。
なぜなら、時間がないから。
どれほど愛し合っていても、
相手を100パーセント信じては駄目。
98パーセントにしておきなさい。
残りの2パーセントは、相手を許すために取っておくの。
(渡辺 和子)
信じるということは大切なこと、美しいことですけれども、
悲しいことに人間の世界に“完全な”信頼はあり得ません。
信じることを教えるのも教育なら、
人を疑うことの必要性、
単純に物事を信じてしまってはいけないことを教えるのも
教育の1つの役割なのです。
それは、神でない人間は、他人も自分も皆、弱さを持ち、
間違うことがあるのだという事実に目を開かせ、
許しの大切さを教えることでもあります。
(渡辺 和子)
最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。