対人援助・支援、ってなんだ?
僕は福祉業を生業にしています。
もうかれこれ20年近く福祉の世界で生きています。
子ども、高齢、障がい、と各分野を何となく渡り歩いてきています。
今は主には障がい福祉の分野に根を下ろして活動していますが、最近は現場支援だけではなく、もう少し大きな枠で動くことも増えてきました。
だからこそ、自分の対人援助の手法とか、思考とか、なかなか現場に伝えることができなかったり、自分でも直感的に行ってきたものも多かったので、整理ができきれていないものも多いので、せっかくnoteっていうツールがあるから、まとめていこうかな、と思って書き始めます。
自分の主観や感情は向き合った上でハンドリングして、上手に切り離す
最近特に強く思う事は、支援や対人援助は、中心にあるのは対象者であって自分じゃない。
主役はいつだって対象者です。
でも僕ら対人援助職も「人間」なので、感情も主観も先入観も偏りも当たり前に発生するわけです。
対人援助の知識やスキルは山ほどあって、多分どれも間違いないものなんだと思いますが、どんな道具だって「使い方」を誤れば危険な凶器になったり、何の役にも立たないモノになったりするのと同じです。
いくら学校や研修、セミナーなどで知識やスキルを詰め込んでも、それを扱う僕ら自身が自分の感情に振り回されていたり、主観や先入観、固定概念や偏りに気づかずにそれを用いていたんじゃおそらく何の役にも立たない。
しかし悲しいかな知識やスキル、資格とか。そういうものの方がなんか大事に見えるんでしょうか、「自分という人間」の扱いができないまま支援や援助に携わっていることが少なくないように感じるんです。
それは自分自身を含めて、だと思っています。
支援や援助を行うとき、いつも怖いです。
何故なら、自分の言葉、提案、直接支援、振る舞い全てが下手をしたらその相手の生活や人生を大きく左右するわけです。
「今自分が吐いた言葉は本当に適切だったのか」「自分の感情でものを言っていないか」「今示している態度が相手に及ぼす影響は?」
そんなことをいつも考えています。
多分2ヶ月に1回くらいは「あぁ、今自分の感情が下手に乗っちゃっているなぁ」という反省を未だにしています。
仕事が立て込んでいるときや、一度に複数の支援案件が重なっているとき、自分のコンディションが整っていないとき、自分自身に悩みや迷いみたいなモヤモヤしたものがあるとき、やっぱり少し自分の感情や固定概念みたいなもので処理しようとしている自覚を覚えることはあります。
今度こういった内容についてオンラインディスカッションイベントでももしかしたらお話するかもしれませんが、僕自身この仕事を選んでいるのは、「自分が生きている意味」を対人援助や支援に見出しているからだし、自分が体験したり見てきたものを経て、実現したい社会のあり方や福祉のあり方を描いていて、それを実現に向かっていくためでもあります。
つまり、そもそも自分の「承認欲求」や「自己実現」を幾分かは持ち込んでいます。少し大ざっぱに言い換えると「エゴ」がそこにあるんです。
だからこそいつも「誰のためにやっている?」「何のためにやっている?」っていうところに秒単位で向き合っていないといけないんですね。
手段と目的がすり替わりやすい距離にあるんです。
支援をしている相手が、本当にご自身で考えて、選んで行動しながら自分の生活や人生を歩いていくことができることが理想だと、今は思いながら支援を行っているんですが、必ず戦わないといけないのは、
「いい支援をしている自分」
を対象者や周りに評価されたくて、認められたいと思っている自分なんです。
そして、
「理想的な支援のカタチをつくること」
が目的になってしまいかねない自分なんです。
つまり、自分の中で勝手に思い描いている理想像を支援している相手に重ねて、押し付けてしまっていないか、っていうところなんです。
相手は人間です。自分とは違う人生や背景をもった人間です。
自分が思うように動くわけでも感じるわけでもないのが当たり前じゃないですか。
でも、支援をしている自分の価値観をがっつりと投影してしまって、それをまるで正しい支援かのようにして実は「押し付けている」、っていうことが気づかないうちに起きていることって多分少なくはないと思います。
援助や支援を行う際に、「支援者自身のものさし」というのはあくまでもひとつの情報だったりエッセンスとして留めておくべきで、それをど真ん中に置いて基準にして支援を行うのは違うと思うんです。
もう少し言えば、僕らが学んできた知識や支援スキル・援助スキルみたいなものも、それ自体は枠組みでも「正解」でもありません。
基準にしないといけないのは「対象者」であって、今周りにある「事実」です。もしそこに感情を絡めていくのであれば、向き合わないといけない感情は「対象者の感情」がまず先で、僕ら支援者の感情は支援や援助自体に絡めるものじゃないと思います。
でもこれは「無感情に対象者に接する」とは意味が違いますし、相手に何の感情も抱かない、みたいなものとも違います。
僕ら自身はむしろ「いち人間」として感じることも考えることも相手に伝えることは必要かもしれません。血の通っていない「支援者」という職業で対象者に向き合うのは絶対に違うと思っています。
つまり、1人の生々しい人間として相手の方と関わりながら信頼関係は作っていかないといけないけれど、支援や援助にその感情や価値観を絡めることを避けて、相手を中心に置いた最善の支援を常にとらなければいけないんです。
めちゃくちゃ難しくね!?
いい悪いじゃなく、優劣を付ける意味ではないんで誤解しないでほしいんですが、接地面が少ない関わりあいだとまだその難易度のハードルは多少低いんじゃないかと思ったりはします。
月に1回、とか2週間に1回とか、せめて週に1回程度の接点だったら何とかやれる気がするんです。
でも、いわゆるハコモノ支援って、ほぼ毎日のようにみなさん通ってこられるんです。毎日顔を合わせて、毎日コミュニケーションを図って、毎日そこで関係性が深まっていくわけです。
人によっては感情移入してしまうこともあるでしょうし、逆に対象者からの依存を受けやすくもなる。下手をしたら家族よりも誰よりも顔を合わせて関わっている時間が長い、なんてことが起きる現場なので、その中で支援者自体が自分のハンドリングをしながら上手く関わっていくのってものすご難易度が高いんじゃないかと思うんです。
でも、だからこそ僕はここが一番重要だと思っています。
多分僕と面識の深い方は、いかに「個人」として僕がクソッタレな人間なのかはご存知だと思います笑。
僕が今まで所属してきた事業所の利用者さんも、間違っても僕が聖人君子みたいな人柄の人間だなんて思ってはいないと思います。
何故なら、本当に馬鹿なことばっかり言うし、真面目なんだかふざけているんだか分からない態度でいることがほとんどだから。
#誇らしげにいうな
それでも支援や援助を行えているのは、何とか自分をハンドリングしながら、自分の感情や価値観を切り離せるように少しはなってきたからなのか?と思ってはいます。
それでも毎日のように「あの時の対応はあれでよかったか?」「ふざけている時と真面目に振る舞う時の切り替え方は適切か?」とかを考えます。
毎日自分の表出や考え方、言葉の選び方や対応の仕方についてこまめにチューニングをしています。
しょっちゅう「これ誰のため?」「今やっていることは何のため?」というのを口にも出しますし自問します。周りの人が思っている以上に、特に「自分の野心や保身、承認欲求の解消や自己実現のため」が優先順位のトップに立っていないかどうか、しこたま理論的にも情緒的にもあえて「批判的」に自分を突っ込むようにしています。
少なくとも福祉の仕事に携わりだしてからずっと毎日のようにやっています。
「自分」という一番やっかいな生き物とまず向き合うこと、きちんと自分を過不足なく理解してハンドリングできるように務めること。
これが実際に対人援助や支援にはいる以前の日々の自分のコンディショニングです。
ぼちぼちと更新していこうと思うので、またよかったら読んでみてください。
あ、あと、もう申込みは締め切りましたが、
2020年11月5日 19:00〜
認定NPO法人ペアレントサポートすてっぷさんと合同で、オンラインディスカッションをやります。今日書いたような内容のこともきっとお話する場面があるかと思います。
面白かったらもしかしたら第2回とかもやるのかもしれません。
ご参加予定の方、いっぱいお話しましょうね。
【お知らせ】
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