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負荷をかけない「優しさ」が成長や可能性の芽を摘む

昨日「力の抜き方って大事だよね」という話をした翌日に真逆のような話をしてしまうんですが、力の抜き方を身につける、ということは「負荷がかからない方がいい」というのとは同義ではないと思ったのであえて配信させていただきました。
 
 
特に社会に押し出していく就労支援、というステージで活動していると、負荷がかかっている状態、つまりある種のストレスがかかっている状態の捉え方、というのは支援者さんによっても価値観が分かれるところなのかもしれないと思うんですが、僕は基本「人生を前に進めていくために必要な負荷」に関しては取り除くべきではないと考えています。
 
 
社会に出ていくとイレギュラーの連続です。
生きづらさを持たれている方が配慮を受けながら生きていったとしても自分で判断しなきゃいけない場面は絶対にあるし、少し踏ん張らなきゃいけない場面もあるかもしれません。誰かの意図じゃなかったとしても生まれる理不尽な出来事だってあるし、もちろん上手くいかないことだってあると思います。
 
 
 
僕はストレスが全くない、という状況が健全だとはあまり思いません。
仕事をすれば疲れますし、遊んでいたって体力を使う、という意味ではある種のストレスはかかります。
多少のストレス=負荷がかかっている方が自然で健全な状態じゃないかと考えています。
 
 
ところが支援の現場にいると「本人がしんどくならないように」「ストレスにならないように」という議論は交わされるんですが、その人の人生が前に進んでいくために必要な負荷なのか否か、という議論ってあまり交わされていないような気がします。
 
 
配慮とかマッチング、みたいなものの名の下に、もしかしたら本人が成長したり可能性を切り開くために必要な負荷、悩む余白や考える余白、上手くいかないということを経験する余白なんかももしかしたら摘み取ってしまっている可能性もなくはないんじゃないかと思うんです。
 
 
人が成長する時、前に進むときは、成長痛のようなことが起こるのはごくごく自然な気がしていて、逆に言えば支援者が比較的密に関わることができる環境のうちにそういった負荷がかかる経験を踏んでおく方がいいんじゃないでしょうか。
 
 
障害や生きづらさの有無を問わず、人が人生を前に進めるときにはやっぱり負荷がかかる時期があります。
そして大事なのは負荷がかからない、ストレスが全くかからないように取り除くことではなく必要な負荷には耐えうる力が持てることなんじゃないかと思うんです。
 
 
特に支援を要する方であれば余計に、すぐ横に支援者がいる中で負荷量を見極めながらそれこそ先日お話しした「力の抜き方」との塩梅をとれるようにサポートする、ということが支援なんじゃないかと僕は考えます。
 
 
昨日と今日とで全く逆のベクトルの話ではあるんですが、合わせてお聴きいただけると幸いです。


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