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生きづらさを抱えてるのは本人だけじゃない

6月から生活訓練の事業を始めています。
HOMEという名を名乗っていて、実際に家を使って行っています。
 
 
ここには、自立を目指してバリバリ訓練するぞー!な方だけじゃなくて、今まで支援の手がなかなか届かず、一歩前に進むきっかけが得られてない方にとって、きっかけや入り口になるような場所でもありたいと思っていて、少し家にこもりがちになっている方などにも出てこれる場所を作っていこうと思っています。
 
 
 
おかげで、コロナ禍であまりあちこち足を運んでご案内していないにもかかわらず、思いの外問い合わせや利用相談などをいただいてます。ありがたいなぁ、と思います。
 
 
 
さて本題です。
 
 
 
家から出ていくきっかけとしての支援していく中で感じることです。
 
 
 
当然僕らはご本人の支援をしていくつもりで受け入れをしています。
ご本人の今置かれている状況や、生きづらさというか家からも出られなくなっている背景を知るために、ご本人やご家族から少しずつお話を聞かせてもらったりしていると、時々生きづらくなっているのはご本人だけではなかったりすることに気づくことがあります。
 
 
利用者さんの支援を行う中で、社会に出ていく上での「課題」と、社会で生きていく上の「生きづらさ」というのは似ているようで違います。
課題は最終的にその解決を本人に委ねていかないといけないものだと思うんですが、生きづらさは本人に委ねていくよりも、寄り添いながら一緒に解決というか解消に向かっていくものかな、と認識しています。
 
 
 
うちの就労移行支援事業所で支援をしていた頃から薄々感じていたことなんですが、ご本人が家から出られないくらいのしんどさを抱えている場合、ご家族も何かしらのしんどさを持たれているような様子が見え隠れしていることが多いな、と感じます。
 
 
シンプルにご本人の状況をどうしたらいいんだろう、というところに打ちひしがれてしんどさが生まれていることもあれば、なんとなく家族の抱えている生きづらさの根っこ、みたいなものがあって結果ご本人がその生きづらさに苛まれて前に進めなくなってしまった、というようなこともある。
「卵が先か、鶏が先か」という問題じゃないですが、これらが絡み合っているようなことが少なくありません。
 
 
 
それなのに僕ら支援者がご本人の支援「だけ」に目を向けてしまうと色々見落としてしまいます。
 
 
ついつい表に出ている問題のトピックを追ってしまうと例えば、

「障がいを持っている」
「社会と関わろうとせず引きこもっている」
「人と関われない」
「感情が時折溢れて行動に出てしまう」

だけを紐付けすると、障がい特性によって感情のコントロールが苦手で人とうまく関われないので、だんだん他者と関わらないといけない環境で過ごせなくなって結果引きこもってしまった、みたいなアセスメントになりがちなんですが、大体実態は違っていたりします。
表出しているものだけの因果関係をそれらしく紐つけると結構それっぽくはなるんです。100%ズレているわけでもない感じなので。
 
 
ただそうしてなんでも見てしまうと、常に原因の中に「障がいがある」とか「貧困により」みたいな社会的なハンディキャップが入れられてしまうことになります。
多分その見方は少し狭いと思うんです。
 
 

利用相談に来られた時に本人ではなく同席しているご家族を見た時、もしくはご家族に話を聞いた時のご家族の少し言い淀んだような様子、表情などから気づくことがあります。生活様態を聞いたときに引っ掛かりを覚えることもあります。少しずつ僕ら支援者と関わらせてもらえるようになったときにご本人さんの生きづらさを拾い上げているときに、どうも表出している問題だけじゃご本人の生きづらさの要因にはなりにくい時など、いろんな場面でフッと引っ掛かります。
 
 
 
「どうやらご本人だけの問題ではないぞ」という感覚があって、ご家族や周囲環境も含めての支援を行えたケースと、どうしてもそこに手が及ばなかったケースと両方経験しているんですが、これは自分の体験からの手触り感なのでなんとも言えませんが、やっぱりその後のご本人の変化、みたいなものは全然違っていて。
 
 
正直支援者としてこんな情けない話をするのはお恥ずかしいんですが、介入しきれなかったケースって、ご本人自体は成長しているんですが、結局それ以外の生きづらさの根本が変わっていないと人生自体は前進していないんです。
生きづらさを内包したままの状態で、必ず前に進もうとした時に今度はそこが足枷になっていくんです。
 
 
逆に生きづらさの根本に触れて支援に入れると、ご本人自体は当然課題も多少の生きづらさ、それこそ特性などが由来するものやそこに伴う経験値の不足みたいなものは残るんですが、実は人生自体は前に進んだりします。
 
 
 
 
多分僕ら支援者の目指すところって、つまるところご本人の人生を前に進めることだと思うんです。
課題も確かに解決しなきゃいけないかもしれない、スキルも身につけないといけないかもしれない、生きづらさの軽減もしなきゃいけないかもしれないんですが、それが第一義なのではなくて、人生自体が前に進むことが大きな目的です。
 
 
そうやって考えてみると、本当にご本人だけを支えていたらそれが叶うんだろうか、という問いが生まれてきます。
 
 
ご家族の支援
環境の支援
本人の支援
 
例え当事者の支援がメインだったとしても、視点までご本人だけに、ハンディキャップの部分に注視するんじゃなくてもう少し広く見ていかないと本当の実態は見えて来ないはずで、当然だけどその要因をしっかりと探れていたら、切り分けるんじゃなく、どこにも支援の体制を作っていかないと結果ご本人が前に進めないんだと思います。
 
 
そして、そういう支援が有機的に行えるような仕組みやチームを構築しておくのも僕ら支援者の役割です。
 
 
 
これから踏み出していく支援はどうやらそういう仕組みやチームを構成しておくことが今まで以上に求められるような気がしているので、事業所で完結するんじゃなくていつでも動けるような構えを作っていかないといけないなぁ、と思います。
 
 
そんなことを感じながら、irodori HOMEの未来予想図を描いています。

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