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「受け止める」という力をつけるための支援も必要

もし、自分がやったことが上手くいった時は嬉しいですよね。
そして、上手くいかなかったらガッカリしたり凹んだりしますよね。
 
 
自分の行動や、自分の直接の行動じゃなくても日々身の回りにはいろんな事が起きます。
言い換えると、毎日暮らしている中でいろんな結果を迎えるわけです。
ちょっと大げさな表現をすると毎日何度も一喜一憂をする機会がある、ということでもあるんです。
 
 
 
 
さて、ここからが本題です。
 
 
 
社会の中で就労しながら生活していく上で、この毎日何度も生まれる「結果」との向き合い方って実は大きな影響を当事者に与えていると考えています。
 
 
例えば、何度ミスをしてもそれを全く意識もせずスルーしていれば、就労する上では「仕事が遂行できない」という判断をせざるを得なくなります。
逆に過度に一つ一つの事柄に対して激しい一喜一憂をしていれば、情緒は乱れてこれも仕事にならなくなりますし、たった1日でとんでもなくエネルギーを消耗し、毎日働くなんて恐ろしい事になってしまいかねません。
僕らが社会で過ごしていてももしかしたらある話かもしれませんが、「上手くいったら自分の手柄、上手くいかないことは他の誰かや何かのせい」にしてしまうこともあるでしょうが、まぁ大体そういう方はあまり好まれません。
 
 
 
何が言いたいか、というと、
 
 
起きた結果を良くても悪くても「受け止める」力


というのが重要なんです。



僕らは毎日が選択と判断と行動と結果の高速回転で回っています。
そして、その軸とは別に今は未熟だったり失敗ばかりだけど、積み重ねることで得られる長期的な結果があったりもします。
そして逆に今は上手くいっているように見えるけど、長期的には良くない結果にむかってしまっている、みたいなことも。


自分は上手くいっていないけど、周りが上手くいっているように見えて比べだすともう止まらなくて、目先の結果にビクビクして「失敗しないように」ってすくんだ手足で追い込まれて日々を過ごすようになったり、ということも起こりかねません。


長期的な展望を見据えて、現状の一時的な結果に左右されるんじゃなく、ひとつひとつのことを丁寧に事実として受け止めることって自分の精神衛生上にとっても多分大事です。


でも、なかなか今目の前で起きていることにどうしても引きづられたり振り回されたりしてしまって、自分のバランスを崩してしまう当事者の方は少なくありません。
それが毎日積み重なっていくことで大きなダメージになって働けなくなる、外に出ていけなくなる、ということも実際にはあります。


じゃあそうならないためにどうしたら良いのか、って話なんですが、僕が運営している事業所では珍しくもなんともないことを考えて実際にやっています。
それは、「失敗」の価値をポールシフトすることです。




僕の住んでいる地域では、「成功体験」を積むことは称賛されるんですが、「失敗体験を積む」ということへの抵抗感は高いのか、もしくはその価値が認知されていないのか、あまり「失敗の美学」みたいな話は聞きません。



でも、結果を受け止める力っていうのは、僕の定義ですが

「ムダな事なんてひとつもない」

っていうマインドセットになれるかどうかなので、要は上手くいったらオッケー、失敗したら「これをやったら失敗するのが分かった」からオッケー、という風な習慣がつけられるかどうか、が大事なんじゃないかと考えるんです。
目の前で日々起きる結果って、どこまでもただの事実でしかなく、その事実が人生を左右するものではないから。


うちでは「失敗はここに居るうちに山ほどしたらいい」と伝えています。そんなことよりも成功しようが失敗しようが、それを自分の糧にしないことの方にちょっと機嫌を損ねます笑。
速度は違っても、人間は何度も同じことを繰り返していくと必ず成長します。糧にしようとさえしていれば。


うちの事業所にいる間にそういう風土に馴染んでもらうようにしています。



自分なりに考えること、相談すること

自分なりに行動できること


に並んで、うちの事業所で「社会に出るために必ず身につけてもらう力」のひとつです。



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