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「考えてもらう」という支援

考える、というプロセスを踏んでたどり着く結論と、考えるプロセスを踏まずに同じ結論にたどり着くのはぜんぜん違う。
何故なら「考える」から自分ごとになっていく。考えないまま得る結論は「他人事」みたいになりやすい。



えらい小難しい話のようですが、そんな複雑な話ではなくて、要するに人間は何事も自分の経験を通じたほうが成長する、という話です。


これは「就労移行」という場所だからかもしれませんが、毎月月末に利用者さんと面談をして、その面談を踏まえた上で月初に各自に目標設定をしてもらっています。
月の頭に考えて設定した目標を月末に振り返って、支援者からの気付きや意見も交えながら、次の月に目標をまたアップデートしていく、という流れですね。



いじわるではなく、僕はよく利用者さんに多くの問いかけをするんです。
「なんで?」「何が必要だと思う?」「何をしたらいいと思う?」って。
もちろん、考えてもらうためです。


支援者に言われたから目標にした、的なものや「言葉を置いてきた」ような振り返りだなぁ、と感じた時はつまり利用者さん自身が「思考停止」している可能性があります。
あとはやりとりをしていて、もう少し掘り下げて考えたほうがいいことってあると思うんです。
そして、本当は自分でその答えを持っているけれどもそれに気づいていないときもあります。


ケースは様々ですし、利用者さんの能力やタイプにも合わせて濃淡はつけるんですが、多分うちの事業所を利用していただく方は決して少なくない機会「考えさせられ」ていると思います。

考えてもらうだけ考えてもらった挙げ句、考える前と同じ結論に着地することだって山程ありますが、これって天と地ほどの違いがあると思うんです。



就労移行に来られる利用者さんのほとんどが「一般就労をしたい」という希望を持ってこられます。わりとはっきりした意思として「就職したいです!」って言われる方が多いです。
でも、「なんで一般就労なんですか?」「なんのために働きたいんですか?」と投げかけた時にスッと答えられる方はほとんどいません。
「お金がほしいから」っていうのはよく聞くんですが、「お金のために働きたいんですか?」「お金だけならA型でも最低賃金は保障されていますが?」と返すと大体の方は口ごもります。


よくよく聞くと「就職するのが当たり前だと思ったから」だったり、「親に一般就労しろと言われたから」だったり、「福祉的就労よりも一般就労のほうが上位だと思うから」だったりすることが少なくないんです。


自分の中から出てきたものじゃないんですよね。
一般論、誰かの意見、相対的な優位性・・・。


彼らは一体「誰の人生」を生きているんだろう。


自分の人生のはずなのに、どこか他人事みたいで何の実感もない目的意識。
一見意思が明確なようだけど、それがどれだけの意味を持つのかはあまり理解されていない目的意識。

でも、ここで「なんで一般就労したいのか」「なぜ自分は働こうと思うのか」を考えて考えて掘り下げて、自分なりの理由や動機がきちんと整理されたり芽生えた上での「一般就労したい」は、同じ答えでも意味が違います。


たったこれだけでも「一般就労に向かう動機の明確さ」が変わります。
「考える」って、もちろんそれぞれのレベルは違っても、自分の行動や目標の姿をクッキリとさせるためには絶対に必要なプロセスで、これは社会に出ていく以上、避けちゃいけないプロセスなんじゃないかな、と思うようになったんです。


それ以来、僕はいろんな問いを利用者さんに投げかけて、折に触れてしこたま考えてもらっています。
まぁ、利用者さんの方は多分たまったもんじゃないんだろうな、とは思うんですけど笑。


完全に僕の持論でしかないのかも知れませんが、少なくともうちの事業所では、


「自分なりでいいから考えてみる
(しこたま考えて分からなければ相談することも含めて)」


というのは、利用者さんを就労に向けて押し出す上での大きな柱として掲げられるようになっています。


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