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「人」と「仕組み」をとことん知って分かる事から『支える』事が始まる

前回のnoteで、「相談を受ける」時に自分が何を考えながら、何を見ながら受けているのか、っていうのを整理するつもりで書き始めていたはずなのに、なぜか自叙伝的な内容になって、何がいいたいのかとっ散らかってしまったので、改めて整理しなおして書こうと思います。

ちなみに前回のお恥ずかしいnoteはこちら▼


人を深く知ることで、人の辛さや苦しさがどこから来るのかが見えてきます。それが見えて初めてその人の役に立つために何が出来るかを考えることが始められるし、そこには必ず世の中の仕組みやルールみたいなものが横たわっていて、できるだけ現代の世の中の仕組みやルールを知っておかないとその辛さや苦しさを取り除く術も見つからなくなるんです。


ということで。



人の思考にはパターンがある

僕は特に専門的に心理学を学んだわけではないし、そういった学術性からは遠い人間なので、あくまでも自分の経験上の実測値で捉えるようにしています。単純に本や講義で聞いても、自分の身体を通さないことには最終的な納得が得られない自分の習性的なものですが。


話を戻すと、相談を受けている中で見えてくるのは、内容は人それぞれ違うけれど、実は考えていることってそんなに多岐に渡るわけではなくて、似たようなことで悩んでいる人が多いんじゃないか、ということです。(経験則なので、僕に相談を持ちかけてこられる方の傾向が著しく偏っている可能性はあるのですが。)


これはあくまでも僕の持論なのですが、人間って、時代がいくら変わっても、よほど意識していないと「思考」のパターンってそんなにバリエーション豊かな生き物ではないんじゃないかな、と思うんです。
追い込まれたらプレッシャーに潰されるし、しんどいことなんて起きなければいいと思いますし、壁にぶち当たると向き合いたくないな、と思うのかもしれません。


人間って多くの「弱さ」を持っていて、その弱さはいつの時代もそんなに変わらないんじゃないかな、って思うんです。
これは僕が従事している障がい福祉の分野でも多分通用しているように思います。
咀嚼の仕方は変えてあげないといけないけれど、人としての心のメカニズムって決してそんなに激しく違わないものなんじゃないかと思います。


それに反して、世の中自体はどんどん多様化して複雑化しているので、起きる事象のバリエーションは際限なく増えていきます。
だから、つい事象に目を向けると多様化していくんじゃないかな。

昔は人は「顔の見える関係」しかなかったけれど、今はインターネットによって、直接顔が見えない関係というものが生まれました。
昔は人は対面して、言語・非言語織り交ぜたコミュニケーションを図っていたから、相手の情緒も見ながら関われていたけれど、SNSなどによって今は顔を見なくても言語でコミュニケーションが図れてしまう。だから相手の情緒が読み取れなくなってしまう。逆に相手に情緒を読み取られないようにしながら、SNSを使って自分の顔を使い分けることもできるようになった、みたいな。


人の悩みが多様化したんじゃなくて、時代が多様化してしまったがゆえに、追いつけない人や振る舞い方がよく分からなくなった人が増えたのかもしれませんね。




悩みの本質は相談の内容にはない

さて、じゃあ実際に人って何に悩むんでしょうか。


対人関係、自分の進路、今の生活、仕事の悩み、自分の境遇、もっと細かく言うと、今の仕事で頭打ちしていたりする話も聞きますし、恋愛の相談もたま〜に。

悩んでいる事柄自体は全然違う種類のものですよね。でも、もう少し掘り下げていくと、

・失敗したくない 正解を知りたい
・自分が望む結果を叶えたい
・否定されたくない
・自分を認められない
・聞いて欲しい、共感して欲しい
・悩んでいる自分に実は酔いしれている
・悩むことが「やっている」感になっている

というところが本質だったりします。
つまり、起きている事象自体に悩んでいるんじゃなくて、自分自身の在り方、みたいなものに悩んでいることがほとんどなんです。
言い換えれば、悩んでいる事象自体をたとえ解決したとしても、自分の在り方を前に進めていかない限りは、何度でも頭を打ち立ち止まり悩むことになるんだと思います。


相談を受ける際には、最終的にここに辿り着いていただけるように話すようにはしています。なので、人によっては「解決したいことの相談に乗ってもらえない」と思われることもあるでしょうし、「そんなんはいいから目の前の問題を何とかしてくれ」って思われることも多分今まであったと思います。

もちろん目の前の問題だけにスポットを当てて話をすることはできるんですが、根本的な問題から目を背けたままでは最終的な解決はしないですよね。
相談を受けるからには、できるだけその後も同じようなポイントで壁にぶち当たってほしくないし、前に進んでほしいから、できるだけ突っ込んで聞くようにしていますが、こればっかりは好みでしょうね。



解決していくにはその時その時の世の中の仕組みを踏まえて考える

最初の項でもお話しましたが、人っていつの時代もそんなに変わらないんです、多分。悩みが複雑化し、多様化し、深刻化するのって多分世の中のほうが変わっていっているからだと思っています。
もう少し解像度高く言うと世の中、というよりもその本人を取り囲む環境、という方が正しいと思います。


ちょっと極端な話をすると、家族という「仕組み」に対して悩んでいる人が居たとします。親にDVを受けていたり、とか。
親子という仕組みには「親の権利」が強く行使されがちですよね。「自分の子どもだ」って。それに反して「子どもの権利」は子どもの側からは行使しにくい。
当然子どもの権利を守るためにどうするのか、って話になります。

この時に、ただ仕組みの問題だけで解決を図っても、おそらく上手くは行かなくて、単純に保護しても、それでも「親の愛情」が欠乏している子どもの心は支えられない。
かと言って、子どもに「我慢しろ」なんて言えないし、幼い方であればいきなり独り立ちを促すことも出来ない。
大事なのは、子どもの思いをとことん引き出しながら、「自分はどうしたいのか」と現実的な仕組みとの折り合いをきちんと説明しながら進めていくことだと思います。

ただしんどい、とか苦しいを鵜呑みにするんじゃなくて、もし仕組みの部分で解決できたとしてその後どうしていきたいか、の意思を引き出さないと、家族という仕組み、「親の権利」「子どもの権利」という仕組みというかシステムを用いて物事を解決するには至らない、という話です。(ちょっとややこしいかもしれません。文章力がなくてごめんなさい。)


僕は環境や関係などもある種の「仕組み」だと考えています。人が作ったルールや理論の中で構築されているものって、結局は「仕組み」なんですよね。
そこには人と人が円滑にやっていくための「倫理」やルールが暗黙のうちに存在しています。
人間関係なんかは仕組みじゃないように思えますが、それは本能レベル、DNAレベルの話で、人間には理性や認知という機能が多かれ少なかれ備わっています。
そこで組み立てられている限りはやっぱり「仕組み」なんだと思います。そしてやっかいなことに、この仕組みを運用するのが人間である以上は、いろんな感情やしがらみが絡み合ってきます。


だから、相談に乗ったり人を支えようとする時は、「人間そのものの本質的な姿」と「人間が作った世の中の仕組み」を常に追求しながら必ず両輪で捉えて考えていく、という視点を持つようにしています。



幾分か整理できましたかね。
今回は以上です。

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