「自分は誰にも望まれてない」
自己肯定感。
ここが欠けている方は少なくありません。
障がいを持ち、それによるのかよらないのかは別として、いろんな背景によって、この自己肯定感がひどく下がっている人がいます。
彼らを支援するときには、「愛着欲求」をどういう形で埋め合わせてあげられるか、それから心理的距離感をどれだけ縮められるか、という事が大事じゃないかと考えるんですが、それ以上に大事なのが、その「自己肯定感の低さが自分の足を止めている」ことに蓋をせずに正しく向き合ってもらう事です。
「あなたが必要なんだよ」とか、「あなたは居ていいんだよ」は、言葉にして伝えるよりも、態度や環境の中で、彼らの感情としてキャッチしてもらう事の方が、時間はかかるにしても届きます。
そして、自己肯定感が「何で」低いのか、それを自分で因数分解して、本当にいつまでも持つべき感情なのかどうか、を整理した方がいいと思います。
要は自分の価値観や人格の一部に練り込んでしまっているものを「疑って」もらうんです。
下がった自己肯定感、って、簡単に戻るものじゃないです。特に幼い頃に刻んだ感情って、「三つ子の魂百まで」じゃないですが、深層心理に刻まれてる事が少なくないので、もはや何で自分がそこまでの気持ちになったのか、その起点すら実はあやふやだったりします。
だけど、自分を漠然と否定する余り、過去にとらわれて「今」を見る事が、受け止める事から目を背けたりしてる事がよくあります。
僕はよく、支援をする時には対象の方の背景、つまり生まれ育った環境だったり生育歴だったりに必ず目を向けるようにしているんですが、今の生きにくさの要因が必ずしも「障がい」にあるんじゃなくて、実は各々の背景の中で築かれたものである場合が多いからです。
虐待を受けていたり、周囲の人的な環境の不理解により結果的に「腫れ物に触るように」扱われてきた履歴だったり、充分な愛情をキャッチしにくかったが故に愛着障がいみたいな状況が生まれていたり…。
僕ら支援者がまずその起点になったものが何なのかを探っていき、掴みにいかなきゃいけないと思います。そしてそれが掴めたら、本人と一緒に因数分解をして、今やあやふやになってしまった自己肯定感を下げているものの根っこから解消したり、消化したり、あるいは受容していけるように促していけたら、時間はかかるかも知れませんが、少しずつその感情が和らいでいくことにつながるんじゃないかな、と思います。
ぼやっとした話ですが、今日利用者さんの相談を受けている中で感じた事でした。