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人の人生に「◯◯期」なんて切れ目はない

僕は支援をする時に「障がい特性」よりも「アセスメント(能力評価)」よりも重要視している視点があります。


 
 
それは利用者さんの「人生史」です。


 
生育歴とか生活歴とか、家族との関わり方とか。
 
  
何でそれを重視しているのか、というと、それが障がい特性と呼ばれるものにも、能力にも、社会性にもコミニュケーション能力にも全てに影響を及ぼしているからです。
 
 
 
僕ら成人期の支援をしていると、よく歯がゆい思いをすることがあるんです。
子どもの頃の家族との関わり方、愛情の受け方、何をしてきて何をしてきていないのか、とかはもう過ぎてしまった時間なので、そこに僕らは介入することはできないんです。
 
 
でもね、「三つ子の魂百まで」っていうじゃないですか。
障がいの有無に関わらず、幼い頃の過ごし方や環境が人格形成や価値観形成の基盤になります。
もちろん成長していく中で培われるものもあるんですが、意外と人は幼い時に得た経験や感情を持って大きくなるんです。
 
 
だから、利用者さんの支援を行う上で、生きづらさの根っこにあるのが、「障がい特性」ではない場合が多かったりするんです。
経験的な統計なんですが。

 
 
 
 
よく思うのは、なぜ一人の人生を支援する上で、その時その時の支援チームはできるのに、本人の人生ステージが変わるごとに分断されているのか、ということです。
当事者の人生はずっと切れ目なく続いているのに、それを支える側は制度だったり専門分野の違いからなのか分断されてしまうんです。

 
僕は成人期の支援者なので、普段まず児童期の支援者の方と関わる機会はありません。もちろん一緒にお仕事することもないです。
だから、同じ対象者を支援しているのに、その方が児童期にどのような支援を受けてきたのかを知りません。
小学校の時、中学校の時にどういう課題があってどういう支援を受けてきたのかを知りません。
 
 
それってどういうことか。
 
 
支援の方針や方向性が年代によって全然ベクトルが違うことをしているかも知れない、ということです。
幼少期は幼少期の時だけの視点で支援?どこを目指しているの?
学童期は学童期から見える範囲での支援?何を引き継いで、どこを視野に入れた支援なの?
その意図も意思もバラバラなんだろうか。
 
 
そこが見えないから、本人の「人生史」を知って、少しでも背景から今の生き辛さの根っこを見つけたいと思ってしまうんです。
 
 
本人の人生と同じように、僕ら支援者ももっと陸続きになっていけるような仕組みを考えなきゃいけないなぁといつも思います。


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