裾野の広い山のように。私の原体験。
大好きな山形のおじいちゃんが亡くなって、3年が経ちました。
去年するはずだった3回忌は、昨今の事情のより無しに…。想いは馳せたものの、ワイワイ集まるのが大好きだったおじいちゃんにとっては、淋しかっただろうな。
お葬式の日、お坊さんが教えてくれた言葉。
あなたのおじいちゃんは、裾野の広い山のような人だった。
吉峰汲雲(きっぽうきゅううん)、おじぃちゃんの戒名。
『吉』は、おじぃちゃんのお名前の一文字でもありますが、
おじぃちゃんは皆にとって、高く大きな山のような存在であり、高い山の頂(峰)に様々な形や色の雲が掛かるように、
たくさんの人達の心に触れ、おじぃちゃんを頼る人達をどんな人でも分け隔てなく、その人の志や心情を汲み取って助ける。
という意だそうです。
お葬式の日は、梅雨時にもかかわらず晴れ渡る青空に、龍のような雲がずっと居てくれて。
なんて素敵なおじいちゃん。享年96歳でした。
晩年は、ときどきパラレルワールドを行ったり来たりだったけど、おじいちゃんのなかでは、私は永遠の小学生。私の娘を「樹里」と呼び、私のことは「どちらのお嬢さん?」
でも、調子がいいときは私を「樹里」って呼んで笑ってくれた。
とは言え、私を深く深く愛してくれて(溺愛がすぎるほど)、愛を教えてくれた、優しくて大きな存在。
山形のおじいちゃんちは、たくさんの人が絶えず訪れる、愛が溢れる賑やかな居場所、サードプレイス。
おじいちゃん、ありがとう。
私もおじいちゃんみたいな人でありたいし、おじいちゃんみたいな居場所を創りたい。
ソウイフモノニワタシハナリタイ。