
【内省】くるくる思考
私は集中力を持続できない。
何をしてても頭の中の1~2割は別のことを考えてしまうし、そのまま目の前のことから完全に意識がそれてしまうこともしばしば。
昔はそれなりに集中もできる若者だったのだけど、社会人になると気になることが増えるらしい。
もしくは、社会のつらさからの逃避行動か。
だけど、それなりに危機感やコンプレックスを抱いてはいた。
瞑想に挑戦したことも何度もあるが、すぐに自分の考えに没頭してしまう。
私は簡単に心が折れてしまう人間だったから、それからむやみに瞑想には手を出さないようにしている。(たまにつらいときにゆるくやる程度)
人間は1日に6万回思考しているというのは有名な話。
私自身、数十秒ごとに考えている内容が変化したり、かと思えば変えようのない過去について何時間も憂いている時もある。
その憂いている時間の中でも、希望を抱くときや絶望するときがあり、常にくるくると考えが巡っている。
最近元気になってきた私は、様々な自分のコンプレックスや危機感に立ち向かおうとささやかながら試みている。
集中力の制御力向上もそのひとつ。
瞑想みたいなことをしてみたり、気が逸れてもとにかく集中しなおしたり、失はれた集中力を取り戻そうとしている。
だけどそんななか、ふとまた、自分の白黒思考に気がついた。
「いついかなるときも、一点のみに集中できないといけない」という白黒思考だ。
というのも、私はこの前ぼーっとテレビを見ていたのだけど、その時にも思考がくるくると巡っていて、「また集中してないなあ」と自分の未熟さを憂いた瞬間があった。
だけど、過去や周りの人たちのことを考えていると、また内省したい内容がいくつか見つかったのである。
何が言いたいかというと。
仕事や勉強など、集中することで効率が上がるものは集中すべき。
だけどリラックス時などは、くるくると思考が巡ることを必ずしも忌み嫌うことはない、と気が付いたということ。
くるくると思考が回ると、それだけ思考の着地点は多くなる。
それだけ、気づきも増えるのではないだろうか。
「ぐるぐる」ではなくて「くるくる」。
(濁点の有無で重さが違って聞こえるのは日本語の面白いところである。)
自分を苦しめる「ぐるぐる」思考は、気づきどころかネガティブ思考の深みへとつながってしまうので対処すべきだろう。
「くるくる」思考は、都会のウィンドウショッピングのように自分の思考を眺めていき、「これは良いな」と思うものを見つけて、気に入ればお店に入るような気軽さ。
私の「集中力のなさ」を解決する話ではない。
だけど、自分の短所を必要以上に嫌わないでいることはできる。
集中するときには集中して、ウィンドウショッピングの楽しみはあとにとっておく。
そんな風に、自分の集中力をコントロールできる人間になりたい。
ちなみにこの記事も、ここ数日なんとなく書くことが浮かばなかった私の、くるくる思考の着地点のひとつである。