【内省の記録】楽しめるときに楽しむべき
かつて働いていた会社で全員参加必須の親睦旅行があった。
土日は潰れるし、折り合いの悪い人たちと2日間ずっと一緒なんて、めちゃくちゃ嫌だった。
友達が「楽しむ努力をしておいで」といった。
でも私は努力しなかった。
会社に対する文句の気持ちばかりが旅行中に浮かんでいた。
だからもちろん楽しくなかったし、同僚とのきずなが深まったわけでもない。
ネガティブな私は、カワイソウな自分でいるのが好きだった。
カワイソウな自分でいるのが一番心地よく、それが普通だった。
だから、カワイソウなアタチ状態を抜け出してしまう努力なんて、する気も起きなかった。
時が経ち、今では考え方も少しは変わったものの、いまでもときどきカワイソウなアタチ…という考えから抜け出せない時がある。
ネガティブな人が勝手にそうなるのはいいのだ。
問題なのは周りがその影響を受けてしまうこと。
グループの中に楽しそうじゃない人がいれば、それだけで気分が落ちる。
雰囲気も悪くなる。自分もどんどん楽しくなくなる。
私はそれを全然わかっていなかった。
よく考えたら会社のお金で他県に行って、色んなものが見れるなんて、ラッキーなのに。
いきなり全部を楽しむのなんて難しい。
まずは「あること」に目を向けるべきなんじゃないだろうか。
「ないこと」を血眼になって探してもつらいだけ。
人生なんて、いつどうなるかわからない。
私は、「自分は人生を楽しんではいけない」と思うときがあるのだが、
もし今死にそうになったとして、そんなこと思うだろうか。
とにかくやりたいことやって思いっきり楽しんでおけばよかったと、後悔しない保証はない。
それに、私がジメジメ生きていたら、今、私を応援してくれている人までジメジメさせてしまうのだ。
他人をジメジメさせるのは私の本望ではない。
せめてニュートラルな状態を目指して、友達と遊んだり好きなことをするときは思い切り楽しんで、それ以外は自分を律することができるような人間を目指していきたい。