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チビで鈍足Jリーガーの生き残る術 5  幼少期のサッカー教育において大切なこと

167cm チーム最小×最遅の男が
J1の10番に! 山田直輝の挑戦


第1章
サッカー人生の扉をひらく

幼少期のサッカー教育において大切なこと


 前述の通り、僕が所属していたサッカー少年団では、10年間で9名ものプロサッカー選手が誕生した。それは選手たちの努力はもちろんのこと、指導者たちの高度な育成技術があったからに他ならない。

 その立役者の一人だった父は、子どもたちの「サッカーを楽しむ気持ち」をなによりも尊重していた。

 37歳の今も現役を続ける三島 康平選手は、父からかけられた「サッカーは one-for-all、all-for-one。仲間を思いやり、共に支え合うスポーツだ」という言葉を、今も大切にしているという。

 また、現在イギリスのプロリーグで活躍する角田 涼太朗選手は、父の指導を「とにかく自由にサッカーをやらせてもらい、たくさん褒めてもらった」と振り返る。

 父によれば、プロになった選手達は、父の教えをしっかりと吸収し、皆一様に負けず嫌いだったという。
 しかし、もちろん、ただ褒めるだけではない。
 きちんと段階を踏んで、サッカーを始める土台作りから指導した。

 具体的な練習法は後日後述するが、低学年の練習メニューは、遊びとトレーニングをかけ合わせて作った。
 すると、いつしか自然と体がその動きを覚え、遊びの延長のように技術を身につけていく。 その小さな成功体験の積み重ねこそが、子ども達の自信と楽しいという気持ちを引き出すのだ。

 中学年になり、いよいよ「ボールを止める時以外は、ボールから目を離せ!」という指導のスタートだ。父はそれを口を酸っぱくして伝えた。まるで合言葉のように、その言葉は練習場に響き渡った。

 父は、子どもたちが楽しみながら上達できるよう、常に練習を工夫していた。
 「なるほど!こうすればできるんだ!」と、子どもたちが自分の成長を感じる瞬間を大切にしていたのだ。


「どんな練習でも、子ども自身が上達を実感できなければ、身につかない」

と父は語る。子どもたちが「なるほど!」と実感したとき、その目はキラキラと輝き、吸収力がぐんと増すのだ。

 父は、子ども達に直接的な“答え”を決して教えなかった。さまざまなヒントを与えることで、子ども自身が自ら考え、形にし、自分の力に変えられるように手助けをしたのだ。そしてその指導は、子ども達を大きく成長させた。


 現在清水エスパルスで活躍する矢島 慎也選手は、「初めてプロを感じたのが山田コーチ」と語る。
 父は、日本リーグで培った確かな技術を、出し惜しみすることなく、子ども達へ披露した。
 それは何よりも子ども達を興奮させたし、身近に確かな手本があるということは、この上ない幸福だった。



 一方で、僕のサッカー少年団では、サッカーの技術だけでなく「礼儀」もしっかりと指導された。準備や片付け、挨拶、返事は、特に厳しく指導を受けた。

 時には「サッカー合宿」という名の下の、生活指導があった。
 そこでは、サッカー練習の他に、食事は米粒一つ残さず食べること、布団を綺麗に畳むこと(10回は畳み直させられた)、自宅で待つ両親に宛てる手紙の書き方等、徹底的に教え込まれた。
 サッカーという団体競技には協調性が不可欠だが、僕はそれをここで磨いてもらった。サッカー以外の道に進んだ仲間達も、ここで培った人間性は、きっと役立っていることだろう。


 僕は、近年のサッカー教室や育成クラブに関して、少し懸念を抱いている。
 民間のサッカー教室が増えたことは大変素晴らしく、そういった環境が整っているおかげで、多くの子どもたちがサッカーに触れられるようになった。それは非常に喜ばしいことだ。

 ただ時折感じるのは、

あまりに早くから
結果にフォーカスしすぎているのではないか、という点である。


 チーム運営のためには、生徒や資金の確保が必要であり、チームが強いことが選ばれる要因となることは理解している。ただ、その影響で、幼少期から結果を追求する傾向が強くなっているようにも感じている。

 例えば、体格のいい子どもに対しては、足元の技術よりも、体格を活かしたプレーに頼るケースが見受けられる。それ自体が悪いわけではないが、その選手が順調に背を伸ばす保証はないし、後々技術不足が課題になることもあるだろう。
 それゆえに、長い目で見た指導が重要だと思う

 僕が伝えたいのは、結果を重視することよりも、基礎をしっかりと身につけた上で、それぞれの得意なプレーを伸ばすことの大切さだ。
 そしてなによりも一番に、サッカーを楽しむ心を育ててほしい。

小・中学生の頃の結果は、
先の人生で履歴書には書けない。
つまり、この時期の結果は、
将来に大きく影響するものではないのだ。


 それよりも、成長過程で得る経験や、子どもたちが持つそれぞれの特性を伸ばす指導こそが、子ども達の未来に繋がるものではないだろうか。

 僕自身、サッカーの楽しさを心の底から感じながら成長した。だからこそ、後に訪れる困難にも、サッカーを投げ出すことなく、立ち向かうことができたのだと思う。
 もしサッカーの楽しさを知らなければ、年齢と共に増す厳しい練習や、結果を求められるプレッシャー、怪我の絶望や果てしないリハビリの苦しみに、いったい誰が堪えられるのだろうか。

楽しいから、続く。
好きだからこそ、何があっても決して諦めないのだ。

 どんなに才能やセンスに恵まれた子供でも、好きでなければそれは開花されずに終わる。だからこそ僕は、幼少期のサッカー教育は、「勝つこと」だけに囚われず、「サッカーを楽しむ気持ち」を育てて欲しい。
 そして、サッカーを通じて子ども達の人間性を育み、その後の人生を豊かにする手助けをしてほしい。


夢を壊すようだが、
サッカー選手になれるのは一握りだ。

 僕の周りには、サッカーが上手い子が何人もいた。中には僕より上手い子もいた。しかし、その誰もがプロになれたわけではない。むしろ、なれない人が大半だった。

それでも、
サッカーに打ち込んだ子ども達が、
その時間は決して無駄ではなかった
と思えるような経験を積んでほしい−−
僕は心からそう願っている。






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