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音楽80s自分史 015「シティポップ」

今回は読んで不快に感じる人がいるかもしれませんので、はじめにことわっておきます。
タイトルに「自分史」と入れてるように、80年(年代)の僕の主観で書いています。
が、不快に思った方、申し訳ありません。

今回で15回目になるのですが、主に(ほとんど)、当時のTVK「ファイティング80's」を番組開始時にさかのぼって、琴線に触れたものを書いてきています。
そのため、飛ばした回がけっこうあります。

今回はその中で、4回目の1980/4/25にライブをおこなった「松原みき」さんを中心に書きます。

何年前から始まってるのか詳しくわかってないのですが、当時のニューミュージック系の一部楽曲が「シティポップ」として、海外から注目され、国内でも再評価され、レコードやCDなどプレミアがついて取引されるようになっています。

その中の代表のような存在が、曲の場合は、松原みきさんの『真夜中のドア』、竹内まりやさんの『プラスチック・ラブ』と言われてます。

当時の僕も『真夜中のドア』が大好きで、レコードとして手元に置いておきたい・欲しいと常に思ってました。

とはいえ、レコードをいろいろ買うようになってからも『真夜中のドア』はなかなか手が伸びませんでした。

シティポップブーム?を知った時も、「なんで、シングルでもいいから、手に入れなかったんだろう?」と、思ってました。

が、この自分史をはじめ、ファイティング80'sを振り返り、すぐに答えがわかりました。

それは「あまりにもレコードとライブに違いがあり、ライブパフォーマンスが僕には受け付けられなかったから」でした。
ハッキリ言って、実際に歌うのは「ヘタな人」とラベリングしていて、「曲は好きだけど、レコードは諦めよう」となったのでした。

松原みき / 真夜中のドア (ファイティング80's)

とはいえ、これは松原みきさんだけではなく、テレビ(ザ・ベストテンか夜のヒットスタジオか?)で『守ってあげたい』を歌ったユーミンにも思いました。

このためか、僕は「ライブに行きたい欲求」はほとんどなく、もっぱらレコードやラジオで聴くというスタイルでした。

話を戻し…
それもあってか、ほとんど姿を見せなかった「門あさみ」さんは神秘のベールに包まれ続け、好きなのがずっと続き、音楽80s自分史をはじめる(実際は2023年6月ごろにはじめたものを、note版として再編集してます。)少し前、ようやく、一番聴いていた1980年リリースのアルバムを手に入れました。

久しぶりに聴けて、嬉しくて背中がゾクゾクしました😊

シティポップに関してですが、このカテゴリはいつから呼ばれてたんでしょうか?
少なくとも当時は、「この人はシティポップ、この人はそうではない」とは言われてなかったと思います。
「ニューミュージック」という大きな・ぼんやりとしたジャンルにくくられていたと思います。

Wikipediaの「シティポップ」や本を取り寄せて調べました。


カテゴライズされている方たちの、僕が所有しているアルバムを並べてみましたが、「ほぼ、みんなシンガー・ソング・ライター」意外に共通点がないように思いました。

関心を示してる、特に海外の方たちは、「手に入れたい」「聴きたい」をどうやって選別してるんだろう?
とても不思議に思います。

※追記
所有しないことにした『真夜中のドア』ですが、この度、noteをはじめたキッカケである「レコードを買うのはやめられない。けれど資金は自転車日本一周にフルベットしたい。
折衷案として、「『レコード購入』を単に浪費ではなく、仕事の一環にして、経費に計上できるようにしよう」作戦をスタートし、個人事業主の帳簿を指導・サポートしてくれる青色申告会に相談し、「それなら問題ありません」とお墨付きをもらい、はじめて「仕事の資料として購入した」レコードとして、『真夜中のドア』とARBの「ボーイズ&ガールズ」を購入し、無事、届き、昨日今日と、投稿文の中にレコードの写真などを載せられました♬

※追記その2
外国籍の方たちが『真夜中のドア』についての魅力や海外でのヒットの理由を分析してくれてる動画を発見。
学びます_φ(・_・

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