音楽80s自分史 046「ブリティッシュ・インベイジョン」
昨日の、045「ワン・ヒット・ワンダー」で書いた『イギリスを筆頭に、アメリカに襲来したインベーダー』について、当時のアメリカの音楽情勢を、さらに深掘りしていきます。
先にネタバレしておきますが、クリスマスの日の『Do They Know It's Christmas?』をゴールに定め、5日間でストーリーを作っていく予定です。
60年代にビートルズを皮切りに、ローリング・ストーンズやキンクスなどなど、当時崩壊していたアメリカのロック市場(この話も調べてみたところ、とても興味深く、いずれ「オールディーズ・リバイバル」シリーズの中で解説する予定です)の間隙をついて、イギリス系グループがアメリカを席巻するムーブメントがありました。
その現象を(第一次)ブリティッシュ・インベイジョン(以下、BI1)と言います。
当時のロック市場が崩壊していたアメリカでは、モータウンやフィル・スペクター作品(ウォール・オブ・サウンド)、フォー・シーズンズ、ビーチボーイズなど、ポップスが流行してました。
BI1に触発され、再びアメリカのロック市場も動きはじめます。
アメリカの音楽シーンは活性化され、プログレッシブロックやハードロック、ディスコミュージックが勃興しますが、70年代後半には飽和状態になります。
あらたな刺激が求められニューウェーブがおき、パンクやシンセ・ポップが台頭しはじめ、042「1979」で書いたように、ピンク・フロイドが最後の輝きを放ちプログレッシブ・ロックが終焉を迎え、バグルスが新しい時代の扉を開く… という、世代交代がおきます。
バグルスが旗頭とした「音楽と映像の融合」… ミュージックビデオ・ MTV… が、80年代前半には音楽の主流となりました。
前回も書きましたが、1975年にQueenが『ボヘミアン・ラプソディ』で初のミュージックビデオを作り、イギリスの音楽番組では映像表現に力を入れることが重視されていき、それを楽しめる番組が放送されていたようです。
1980年初頭の段階では、英国系アーチスト・バンドのミュージックビデオは豊富にあったこと、一方アメリカのアーチスト・バンドはライブ映像程度のものしかなかったことで、1981年にスタートしたMTVの黎明期はイギリス系音楽が一気に広まり、BI2が起きました。
◯ The Human League / Don't You Want Me(1981)
映像に力を入れていることから、ファッションも影響力が強く、アメリカ風ファッション… アイビー・ルックやシンプルなジーンズとTシャツ、ローファーやデッキシューズなど… が一般的だった?日本でも、デザイナーズブランド(DCブランド)のスーツなどが台頭していくことにつながりました。
僕の洋楽の情報源だったTVKの音楽番組「ファンキートマト」では、大貫憲章さん・伊藤政則さんがレギュラー出演していたこともあり、イギリス系アーチスト・バンドの紹介に、かなり力を入れていたので、ムーブメントに乗りやすかったです。
週刊少年ジャンプで連載していたマンガ、江口寿史さんの『ストップ!!ひばりくん!』にも、そこかしこに英国系グループネタが描かれ、多大な影響を与えていたと感じています。
当時の美少年?といえば、僕の中では『ストップ!!ひばりくん!』の主人公のひばりくんと、カルチャークラブのボーカルのボーイ・ジョージが代表選手でした。
◯ストップ!! ひばりくん! 第1話「彼女!?はアイドル!」
◯ Culture Club / Do You Really Want To Hurt Me(1982)