29歳 自己破産記念日

ついさっき、弁護士から自己破産の免責が降りたとの連絡がありました。
本当に嬉しかった。3、4月はマンションから飛び降りることしか考えられなかった自分。本当に何度も死のうと思ったしもう人生終わりだ、死ぬしかないとしか思えなかった。けどよくここまで生きてきた、と思った。

私はおそらく双極性障害で、現在生活保護を受給しています。
(おそらく、と書く理由は心療内科で”抑うつ状態のため就労不可””双極性障害疑い”の段階らしいため...。
これまでの人生や今現在の状況を考えると、個人的には躁鬱としか思えませんが)

申請準備開始は今年の4月。弁護士への書類提出が7月23日。完了連絡が本日、23年10月11日。
私は金額が100万未満で、生命保険や扶養家族もないただの独身なので一般的な自己破産者と比べると大変さは軽い方だったとは思います。

主な債務↓    約70万ほど
・クレジットカード/分割払いサービスの支払い
・家族への借金

3月の本当に色々と終わっていた時期は家賃が払えないどころかバス代の数百円すらなく、区役所へ徒歩で往復1時間半程度かけて行かなくてはならないくらいの状況でした。自分のせいなんだけど。。

なぜ自己破産や生活保護になったかというと
人生最大の鬱→躁→鬱 状態にあったからです。あくまで自己分析だけど。こんな状態でした↓

23年11月に契約社員として働いていた会社を退職
退職理由:責任感強すぎ&自己肯定感低すぎて、自分を追い込みメンタルが潰れ逃げるように辞めた。
会社はとてもいいところだったし、人間関係も待遇も人生最大に恵まれてたのに自滅しました。

ストレスからの開放感でおそらくここで躁転

12月〜3月にかけて
知人の飲食店やスナックでバイトに誘われ、次も決まってないし楽しそうだしやってみよー!と勢いで働く。(普段はスナックで働くようなキャラじゃない。。)
躁状態ではしゃぎ倒す。(性的逸脱や散財、飲酒など振り返ると異常な生活)

3月頭あたりから色んな支払いができなくなってきたことの焦り、初めは楽しかったスナックの仕事のモチベーションが急降下し鬱転。
泣きながら仕事場に行き、やっぱり出勤できませんと言い家に帰る。
半月分入れていたシフトを全てキャンセル。まともな挨拶もせずLINEで辞めることを伝えスナックを辞める。(自分でもこの急降下は意味がわからなかった)

どれだけ睡眠時間が短くても活動できて楽しかった毎日から一転し
何もできなくなり布団にこもって死にたいとしか思えなくなった。マンションから飛び降り、冬の海に飛び込んで死ぬ、とかそういうことしか考えられなかった。
一人暮らしのため家賃もクレカも何もかも払えない状況のやばさにまた鬱、怯えることしかできなくなり
風俗系のお仕事やキャバクラなどでなんとかしようとしましたが、それも勤まらず。
詳しく書いたら何ページになるやら、とにかく色んなことがあり、死にかけながらなんとか生活保護と自己破産申請に至ったというわけでした。

3月から今まで本当に苦しかった。
今も働けていないことに焦りがあり、鬱もマシになったとはいえ苦しさはあまり変わっていないけど
抱えていた問題が一つ前に進んだことが本当に嬉しい。
払えなくなったクレカや分割払いの会社、区役所や法テラスの方々。
色んな人に迷惑をかけ色んな人のおかげで私は今息をしています。
本当に感謝しかない。色んな制度や人々のおかげです。

あとは鬱を抜けて働くこと、そして生活保護を抜けること。元の生活に戻ること。
まだ死にたくなることはあるしお風呂に入れない時もあり、化粧もできないけど
1mmずつでも前に進めるようにしたい。

またそれぞれの詳しい話もいつか書きたいです。
自分が忘れないために。死にたい誰かの役に立てるように。

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