就労支援カウンセリング行った

10時半くらいに起きて味噌汁とご飯を食べて、風呂入って化粧もできた。メンタルそれなりに良好。
今日は初めてCWも同席と伝えられていた日だった。
なんでかな〜と思ってたけど、年明けくらいに通っているメンクリの医者から「就労不能」との通達があり
保護課としては就労に向けた支援ができない旨を伝えるための同席だったらしい。
ここ最近の私としては嫌なことがありつつも何かしたい、働きたい、みたいな気持ちになっていて
2月にある自己分析セミナーみたいなやつに参加したいと言うつもりだった。というか言ったけど。
今通っているこの就労支援カウンセリングも、その名の通り「就労」支援なので、ドクターストップがかかった今、その支援も支援側としては本当は辞めないといけない、とのことだった。
ショックだったなあ。やる気が湧いてきたところで強制終了、みたいな感じ。やっとやる気がでて、お金にならないことでもなんでもいいからやってみようって感じになれたのに。
まあ支援期間側としてはドクターストップがかかっているのに就労支援をしてしまうと、何があった時に責任が取れないし、今後の継続的な支援すらもできなくなってしまうからとか色々ある。誰も悪くないし誰のことも責めるつもりはない。けど悲しかった。
これを聞いてどうですか?いきなり働かないでって言われるとやっぱり人によってはショックだと思うんですね、とかなり気を遣って下さっているのも伝わった。
全てはタイミング。合わないなあ。
やっぱり自立に向けて何かしたい気持ちになっているが、働くのが怖い。自信がない。自分が信じられない。今はこうやって元気だけど、明日にはそうじゃないかもしれないと思うと。まずは楽しいことやストレス発散ができるお金を作るために、家賃の安い家に引越すか、とか、何から手をつけたらいいかわからない。というような話もした。
もっと遊びたい、楽しいことがしたいと思えていて、そのためにはやっぱりお金がいる。内容はどうあれ何かしたいと思えるところまでこれたことが、メンタルが回復してきてる傾向だなと思う。本当に鬱落ちしてる時ってまじで何もしたくないから。スマホすら見たくない。アニメなんてもってのほか、みたいな。そこから考えたらだいぶ回復した。
人に会いたい日が増えたし、実際に会う日も増えた。可愛い自分で外に出たいと思えて化粧できる日が増えた。もう一生化粧できないのかもと思ってたわ。

まずは病院にいって、自己分析セミナーくらいなら参加してもいいよと許可がでれば、本社に参加できないかどうか掛け合うことはできます、と妥協案を提案してくれた。優しい。
ただ、ドクターストップがでるということは生活をまず整えることが大切だとは思うので、この就労支援面談も一旦ストップして、引越しなら引越し、治療などに専念した方が良いと思うが、404さんはどうしたいですか?と聞かれた。
私もわからないです、と頭を抱えながら答えた。正直本当にわからない。お金がほしい。遊びたい。だから働きたい。これは前より「〜ねばならない」思考ではない、「〜したい」気持ちから出ている意欲のように思う。
けど私は躁鬱で波が激しいから、今この瞬間そう思うだけで、これが安定して続くかと言われたら自信がない。自分が信用できません。と言った。物事の優先順位ややるべき事がわからない。決められない。。。
ただ就労支援の面談だけは続けたいなと思った。とにかく人に会う機会を作る事。お金にならなくてもいいから外に出ることをした方がいいなと思う。
結局CWに引っ越しの詳細を聞きたいので資料とか下さい、また今度でいいんでと伝えたのと
まずまた病院に通ってセミナー参加の可否を聞く事、この就労面談は今まで通り継続すること、というところで終結。

CWが退場してカウンセラーとの雑談になり、最近考えていることなどを話した。
自己肯定感をあげたい。幸せな人生にしたいこと。
やっと幸せになりたいと思えたこと。今までは変わりたいと思いながら幸せにならないことを選び続けていたこと。
碌でもない男に執着していて、それをやめたいこと。
でも碌でもないのは自分も同じで、彼をみていると自分を見ている気がすること。
色んな自己啓発や心理学を学んだが、どれも結局自己肯定感を上げることが幸せになる道だと書かれていること。
生活保護になった、自己破産した自分へのコンプレックス。
人を見下している自分が嫌いであること。ボランティアや作業所にいくようなレベルの低い人間ではないと、人のことを見下している醜い自分。
有名企業で働けていた自分、仕事ができる自分、若くて可愛くて痩せているなど、そういったステータスがないと自分には価値がないと思っていてそれが辛いこと、などなど。

で、今まで誰にも話せなかった悩みも話した。
仕事が続かない原因。人間関係や環境などが合わず、ということもあったけど
初心者の時期はいいけど、人に教える立場になったり、自分の判断で仕事を進めねばならなくなってくると、途端に怖くなり耐えられなくなると辞めてしまうこと。(恐らく回避性人格障害)
実際に仕事を辞めてしまうレベルなので生活に支障が出ている。多分病気レベルなんだと思う。
完璧を求めてしまって、失敗を以上に恐れる。恥を書きたくない気持ちが強すぎる。
が、この解決策は、医者でもなんでもない一個人の見解としては「たくさん失敗して恥をかいて学ぶ事」だと言っていた。だよなあ。それが一番怖いしできないんだよな、、。。

中学の頃不登校で、もともと不仲だった両親が自分のせいで余計に不仲になり
そこから「普通の人生」を目指す人生が始まった。ずっとずっと普通になることを目標に生きてきた。強烈なコンプレックスだ。
普通に会社で働く事が向いてないことも分かっている。けれどもそうじゃない自分には価値がないと思わないと生きてこれなかった。年相応の年収がある自分、年相応に後輩がいて指導ができる自分を目指してきた。でもこうやって生活保護まで落ちてしまった。中学不登校だったのももう何十年も前の話だし、続かないにしろ仕事を辞めさせられたこともない、むしろ褒められることの方が多いのに、自分を自分で責めて人からの好意や評価を正しく受け取れず定期的に人生をぶっ壊しながら生きてきた。その中学生の頃からの「普通にならねばならない」コンプレックスが未だに尾を引いていて生きているのがしんどい。みたいな話もした。


障害を持つ人へ対する人種差別みたいな話をしたのに、そう思うのは当然ですよ、今まで会社勤めができていて稼げていた自分だったなら尚更、ありのままの自分を受け入れるのは誰でも時間がかかることだし、404さんだけじゃないです。それは当たり前の感情ですと言われて、話しながら泣いてしまった。まさか泣くとは思わなかったな〜。恥ずかしかった。今スタバに来てこれを書いているのだけど、今書きながら思い出しても涙がでる。やばい。。。スタバで泣くのはまずい。笑
自分が思う素直な感情や感覚を「こんなこと思うなんて最低だ」と常に思っているから、それをそのままで良いと認めてもらえたことで自分が許されたような気がして涙が出たんだと思う。心の中の本当の自分は、本当は自分にずっと許して欲しかったんだと思う。

面談でやっと本音みたいなのが話せた気がする。いや、いつも話したいことを話していた気はするけど、どこか他所行きの良い顔してる自分もいて。いつも「取り繕う必要はないので、嫌なものは嫌、無理なものは無理と言ってくださいね」と言われていたけど、それが一番苦手だなあと思いながら、嫌な気持ちになりながらカウンセリングを受けていた。強制されてもないのに受けなきゃいけない、ねばならないと強迫観念的な感じで。
今は変わりたくて、働いて自分のお金で生活して納税したくて、そのために面談も続けたいと思う。

バイトするにも保護課や医者の許可がいることにイライラするしめんどくせーなって気持ちが今はでかい。そんなの無視して応募してやろうかと思う。まあそれもそれで自分の人生だしアリか、とか思いながら歩いてスタバまで来た。
加藤諦三の「やさしさ」と「冷たさ」の心理学という本にハマってて。これめちゃくちゃ面白いよ。
私は沼ってる男に対して優しいなと思う時もあるけど、その優しさが真心ではなく自己保身からくるもののような気がしていて
その違和感の正体を知りたいと思った時に見つけた。これがドンピシャで本当に面白い。
やっぱり読んでいて「これワシやないかい!」ってなる事が多くて、やっぱ同じレベルの人間同士が引き合ってるだけなんだなと思わされる。人は鏡って本当にそう。
けど私はそこから抜け出してもっと幸せになりたい。真摯とか誠実とか真心とかそう言う言葉が似合う人間になりたい。だから本を読む。
読んでてほんと自分のことをどこかで観察されていて、書かれたんじゃないかと思う。この人(加藤諦三
)天才すぎやろ。。。とか独り言言ってしまうくらい面白い。

本読みにきたのに1hくらいnote書いてるな。まあいっか。
カラオケいきたいな〜サイゼいきたいな〜。楽しい事したい〜な〜。
昨日は近所に住む男友達とラーメン食べに行けたし、ここ最近人とご飯食べると手が震えてたけどそれもなかった。ちょっと緊張したけど。
多分ちょっとパニック障害みたいになってた。バスや電車に乗るのが怖かったけどそれも数日前は乗れた。よくなってきてる。
そのことも話せる相手だったのでよかったのかな。彼は自分に自信があってやりたいことをやっている芯がある人間なので、関係性はどうであれ彼のような人たちを大切にしていきたいし
そういう自分が尊敬できる人たちと関わっていくようにしたい。

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