毒親?共依存?
母親が定期的に家に来てくれることがある。
その時頼んでもないのに溜まった家事をやってくれる。洗濯物を畳むとか、ご飯とか、お皿洗いとか。
私がやらなくていいと言ってもやることが多くて、そこになんかモヤモヤイライラする。
正直お皿洗いとかはちゃんと洗えてないことが多くて、帰った後に自分でやり直してる。私は割と潔癖な方なので、自分の洗えてる基準みたいなのがあって。
畳み方とか家事も雑なくせにやり方にこだわりがあって、してもらえるのはありがたいけどなんか違う。ってなってしまう。
でも本人にそれを伝えるのは難しい。私も私で傷つけたくないとか気まずくなりたくないとか思って言えないところがある。
とにかくやらなくていい、と何度も断るんだけど
私が鬱ぎみなのもあって優しさでやってくれてしまう。
反対に母のことで何か手伝おうとすると、なぜそこを遠慮するのかと思う場面で断られたりする。
けど、母から頼み事をされるとものすごく面倒に感じてやってあげられない(やらない)ことがほとんど。
自分は死ぬほど尽くして支えてきてもらっているのに。
多分だけど母も自己肯定感が低い。もっと若い頃に比べれば大分マシにはなったと思うけど、根底の部分がやっぱり尽くし癖があるというか、人に大事にされにくいムーブをしてしまうところを感じる。かつて夫婦だった頃の両親を思い返してもそう。
でも悲しいかな、私もこの性質を受け継いでいるなと。
男に対して尽くしてしまって、なのに(だからこそなんだけどね)雑に扱われる時とかね。毎回全ての人がそうではないけど。幸せになれる相手を好きになれないところとか、
異常なほどの自己肯定感の低さとか。仕事でもプライベートでも、人にやってあげるのはいいけど自分は些細なことでも頼れなかったり。そのくせ人に合わせたり尽くしたりしすぎて、自覚なしにストレスが溜まって爆発したり。そういうところ。
私も相手に断られても善意でやろうとする癖があるので、一回断られたら素直に引き下がるように気をつけようと母を見ていて思った。
私と母はなんでも話せる友達のような関係。
私が何かしでかしても、何を言っても絶対味方でいてくれる。中学で不登校だった時もそうだった。
そこには絶対的な信頼があると思うし、感謝すべき恵まれた関係だと思う。
世の中には親に産まなければ良かったと言われたり、虐待されたりしている人もいるのだから。
だけど、なんとなく共依存的な関係のような気もして、だからいつまでも私も私で子供のままな気がするし
母も母で私を助けることを辞められないというか、それが母のアイデンティティになっている可能性があるような気がする。
私はとにかくなんでも母に話すのが癖で。それによってメンタル的に助けられてきたことも多いんだけど
友人関係から恋愛、仕事、なんでもかんでも話してしまう。でもそれってせいぜい未成年の間だけの話が普通なんじゃないか?とか思う。
あまりに距離が近すぎて、だからいつまでも精神的に自立できないのでは?と悩む。
多分普通なら、それが友達とか家族以外のコミュニティになっていくのが健全な気がする。そしてある程度話す内容もセーブして、ある程度は自分の中で解決していくものなんじゃないかと。。
こういう自分がたまにすごく嫌になる。
辞めたいのに、頼れる先がそこしかないみたいな。
母も母で買い物に連れて行こうかとか、自分のことを犠牲にしてまで私に構うところがあって
ありがたいんだけどやめて欲しいみたいな、なんとも上手く言えない相反する気持ちになる。
というかそうやって甘やかされてる自分が嫌なのかな。周りの同年代より精神的に自立できてない感じがして。
スナックの仕事を辞める時も、泣きながら電話した。母親に行かなくていいと言って欲しかったんだと思う。そうしないと自分の判断で行かない選択が多分できなかった。今だ母に背中を押してもらおうとする私のこの感じが嫌なんです。
頼れる先があることは幸せなことなはずなのに、両親が二人とも死んだら、この甘えた精神が治るんじゃないか?生きてる間はもう無理なのかも、なら早く死んでくれないかな、とか不謹慎なことまで考える。
とにかく甘ったれた自分が嫌いで、どうしようもないところまで自分を追い詰めればやるしかなくなって強くなれるんじゃないか?みたいな思考回路でそういう考えが浮かぶ。
これって共依存とか毒親とかそういうのじゃないのかな。
でも母親はああしろこうしろと私の人生や選択に指図してくることは絶対にない。私のどんな選択も見守るよスタンスだから、毒親とはまた違うのかな。
でも、もう少し精神的に自立するためにももうちょっと距離を取りたいなと思う。そのやり方が分からなくて困るんだけど。。
もっと大人になりたい。