「どれだけ人生が変わっても「死にたいな」と考えてしまうので、やっぱり病気なんだなと思います。」
こっちのけんとのXのポスト。
この一文、躁鬱当事者ほぼ全員が抱えているであろう葛藤をうまく言語化していてすごい。
人生がうまくいき始めたかもと思ったら、またぶち壊して(壊れて)鬱に落ちてってなる度に同じようなことを思ってたから、自分だけじゃないんだ、って共感できて嬉しいような気持ちと
どんなに社会的に成功しても躁鬱からは逃げられないんだな、っていう絶望のような、相反する気持ちになった。
自分が気分屋すぎるだけなんじゃないかとか、根性がないだけとか色々思ってきたけど
こんなにも人生の中で死にたいと思う頻度が高いこと、1回1回の死にたさが濃いことってやっぱり病気だからなの?とか。
病気のせいにしてしまった方が楽になれる気がするのに認めたくなくて、気分とか自分の努力不足とか、自己責任にしたがる自分がいる。
人に私って躁鬱でこういうところがあるから、、、って説明するのがなんか嫌。だから許してねと言ってるようで。精神疾患なら仕方ない、許される、みたいな人間になりたくないのかもしれない。