密教のサーダナ観想法
言語で記憶や思考してきた知識人には、イメージで記憶や思考するのが、よくわからないのではないかなとよく思います。
仏教や密教が観法や観想法とちゃんと書いてあるのに、喩え品や方便品て書いてあるのに
宗教だとしか言わない。
テーラワーダや上座部はそうゆうのがわかってないなと思ってます。
浄土宗系の経典の観無量寿経には、ちゃんと観法だと書いてあります。
念仏も観法だと書いてあります。
理解してるのか?とずっと思ってますがね。
密教は、身口意の三密があります。
私は若い頃から、今の心理学や深層心理学も脳科学もやってきましたし。
脳波計を使い瞑想状態を研究しましたし。
イメージ記憶術を若い頃やり、イメージの記憶のすごさをしりましたし。
密教団体にも入り、行法もしりましたし。
禅宗の寺に泊まりの修行もしていましたし。
動禅として、いろいろな古武道系も師について修行もしましたし。
その他、精神的な習い事をたくさんしてきました。
仏像を拝むのも、心理効果や記憶からだなと、昔から思ってきました。
私のは、宗教のかたにも、現代科学のかたにも受け入れられたことがありませんわ(笑)
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タントリズムの儀礼としての観想法(サーダナ、成就法)
仏教タントリズムが確立された、いわゆる「行タントラ」の時代には、仏塔や仏像への供養を重視するようになり、その儀礼内容も多様になっていきました。その多様化の中で生まれた実践法のひとつが観想法(サーダナ、成就法)です。
このタントラの実践方法はイメージを伴う瞑想法=観想法であり、観想する対象に向けて精神集中し、それによって生じてくる対象のイメージを心身に沁み込ませるという瞑想法です。
こうした観想法は、仏などの諸尊に供養を与える行法の中で行われるもので、目の前に仏や菩薩が実在する者のように現れる、すなわち「聖性顕現」のヴィジョンを得る為の行法と言えます。
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釈迦仏教は、苦や煩悩を無くす仏教でしたが
密教になると、仏の世界や浄土の世界を観想したり
性タントラができたりと
楽の修行で、苦を無くす修行になっていったのではないかと考えています。
インド仏教伝来のチベット仏教は、成就法の前に業の浄化の懺悔法からやります。
上座部から大乗仏教から密教の総合仏教。
日本の仏教は、個別の宗派仏教。
心理療法はいろいろあって、一つの心理療法が全てのクライエントに効果があるものはなく、
クライエントにあわせて、その心理療法を指導していきます。
チベット仏教の修行は、心理療法の、内観療法や論理療法や分析療法や音楽療法などたくさんの心理療法が入っているんです。
古代インドに仏教大学があったときは、医学や占星術や他の宗教や哲学やヨーガなどたくさんの分野の教義や研究でした。
今の仏教は、かなり変わってしまったなと思ってます。
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無分別智
むふんべつち
無分別心むふんべつしん、真智しんち、根本智こんぽんちともいう。真如を把握する智慧。人間は言葉によってモノ/コトを分別し概念化するのだが、そのような分別知によっては捉えることのできないさとりの智慧を無分別智という。
labo.wikidharma.org/index.php/%E7%…
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サーダナ
(読み)さーだな
世界大百科事典(旧版)内のサーダナの言及
【タントラ】より
…すると,この性力を完全に支配したとき,その人は最高神と一体化したことになり,あらゆる超能力をそなえたものとして全宇宙を支配することも,あるいはまた解脱することもできる道理になる。この最終的な状態を〈シッディ(成就)〉,その状態に達した人を〈シッダ(成就者)〉といい,その手段を〈サーダナ(サーダナー,成就法)〉という。性力を支配するための成就法には種々あるが,その代表的なものは次の二つである。…
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サーダナマーラー
Sādhanamālā
インド,パーラ朝 (8世紀中頃~12世紀後半) 時代に栄えた密教の修法と尊像との関係を記した代表的文献。サーダナが「成就」,マーラーが「鬘 (まん) 」ないし「集」の意味で,特定の本尊に対し特定の修法を行い所願を成就する方法を集録したもの。多くの阿闍梨 (あじゃり) つまり祖師たちによって編まれた 312の所願成就法を載せ,1169年の筆写本が最古のものとして有名。日本密教の御修法 (みしほ) の集録『阿娑縛抄 (あさばしょう) 』『覚禅抄』などと体裁,内容が似ている。『サーダナマーラー』には図像を載せていないが,現存するパーラ朝の諸尊像と同書の記述と合致するものが多く,同朝仏像研究の基本的文献史料としての価値が高い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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