神道夢想流杖術
神道夢想流杖術免許皆伝
杖術師範の松井師範
私は、この師範に習いました。
神道夢想流杖術(しんどうむそうりゅうじょうじゅつ)は、日本の杖術の流派。江戸時代初期の武芸者、夢想権之助が創始した。江戸時代には真道夢想流棒術、新当夢想流棒術という名であった。古流杖術では最も普及した流派であり、現代杖道や警杖術の母体となった。
歴史
流祖夢想権之助は新當流を櫻井吉勝のもとで極めたのち、工夫をかさね当流を生み出した。伝承によれば、筑前宝満山に参籠のおり夢中に童子が現れ「丸木をもって水月を知れ」という神託を得たとされている。『海上物語』と『二天記』では、夢想権之助は宮本武蔵に敗れたとされているが、当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立会い、ついに破った後に開いたと伝える(二度目は引き分けとも)。
当初、真道夢想流と称していたが五代原田兵蔵が自身の工夫を加え新當夢想流と改称した。永富幸四郎のころよりおおいに隆盛し、伝書の整理が行われた。以降徐々に神道夢想流と称されるようになった。1796年に永富幸四郎の門下の大野久作が春吉地区の、小森清兵衛が地行地区の男業師役に任用され、以降1902年に統一されるまで二系統にて伝承されることとなった。
福岡藩で主に下級武士が学ぶ捕手術である「男業(だんぎょう)」のひとつとして伝えられてきたが、明治維新後、白石範次郎や内田良五郎(内田良平の父)らによって全国普及の端緒が開かれ、昭和に入って白石の弟子、清水隆次、高山喜六、乙藤市蔵らは大日本武徳会に参加し、本格的な全国普及が行なわれた。中山博道とその弟子も神道夢想流杖術の普及に大きな影響を与えた。
清水は福岡県から上京して警視庁に奉職し、警杖術を指導した。太平洋戦争後、清水は逮捕術制定の委員を務め、逮捕術の警杖術技は神道夢想流杖術がもととなった。昭和31年(1956年)、全日本杖道連盟は全日本剣道連盟に加盟し、全日本剣道連盟杖道の母体となった。
昭和以降は清水隆次、高山喜六、乙藤市蔵系統のものしか残っていない。
杖道(じょうどう)は、古武道の神道夢想流杖術を起源とする現代武道である。
杖道
じょうどう
日本源流神道夢想流杖術主要技術打ち・突き・払いテンプレートを表示
歴史
起源
江戸時代初期の武術家夢想権之助が創始した神道夢想流杖術を起源とする。当流の伝承では、権之助は2度宮本武蔵に敗れた後、杖術の研究を重ね、再び武蔵と立合い勝利したとも引き分けたともいう。江戸時代には福岡藩で主に下級武士が捕手術として学んだ。
明治から昭和前期
明治時代に創立された大日本武徳会は、優れた杖術家に範士、教士、錬士の称号を授与かした。昭和初期の杖術範士中山博道は、剣道、居合術とともに杖術を指導した。また、福岡県出身の清水隆次は警視庁に奉職し警杖術を指導した。
昭和後期以降
1956年(昭和31年)、神道夢想流杖術が全日本剣道連盟(全剣連)に加盟し、全剣連は剣道、居合道、杖道を「三道」として普及する方針を打ち出した。1968年(昭和43年)、清水隆次、乙藤市蔵らによって「全日本剣道連盟杖道」が制定された。現在最も修行人口が多く、一般に杖道といえば全日本剣道連盟杖道を指す。
平成期
警備業において「警戒杖」として杖の技法が取り込まれた。一号警備業務や三号警備業務の教育において必修科目とされ全員が訓練を受ける。警備業務の国家資格における実技試験では、常の構え・本手打ち・逆手打ち等の技が課されている。杖道の技法の習得が必須となっている。
Wikipedia参照
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