この感情にさよならを教えてほしい
今日もわたしは呼吸しながら死んだふりをする。
というフレーズが思い浮かんだのは昨日深夜に湯船に浸かってぼうっとしている時だった。追い焚き機能がすでに終了した浴槽は徐々にわたしの体温と思考を奪っていく。
ふとnoteを開くと同じようなことを同じ時期に繰り返していた。毎年こうもきっちりフラグを回収してイベントを発生させるこの体に少しばかりため息がつきたくなるが、記事を読んだあとは何故かほっとしていた。
なんだ、毎年わたしは苦しかったんだ。じゃあこれはいつも通りなんだね。
じぶんが死んだ夢を見た。じぶんが死んだのになぜかその夢は俯瞰視点でじぶんを見つめていた。まるでじぶんが分離しているかのようだ。死んだことはないからきっとこんな感じなんだろう、と思い込みながら倒れていた。目は開いた状態だった。息が絶えてしまった魚のように。
はっと目を覚まし時計を見ると時刻はいつも通りの起床時刻。
今日の夢は強烈なものだったけれど起床時の不快さはなく、逆に爽快だった。自律神経に悩まされるわたしが一旦死んだと解釈した。
今日のわたしは呼吸しながら生きていく。どこかに落としてしまったかけらを拾い上げながらじぶんを取り戻すために。
… 🐳 …
というわけで今年もやはり乱れてしまいました自律神経。今回は月一のメンタルブレイク週間も重なってしまい、かなりの痛手となりました。久しぶりに感情が混濁し、訳もなく涙も流れかける未遂が発生。私は希死念慮を抱いたことがほとんどありませんが、ああもしかしたら"これ"がそうなのかな、って。楽になりたいというべきか、すうと消えてしまいたいとか。
… 🐳 …
ふと視線を横にやると隣にねこがじっとわたしを見つめていて、我に返らなければいけないのに目を細めてやわらかく笑顔をつくってみたり。ありがとうとごめんねを繰り返しながら睡眠導入剤をざらっと飲み込む。
この感情にさよならを教えてほしいと願いを込めながら睡眠に溺れていく。おやすみ、明日こそじぶんを取り戻せると信じて。
この記事のイメージソング Xomu - Mannenzakura
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