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「哲学は超役立つ」

どうして哲学は大事なのか

文系の学問、特に「哲学なんてまったく役に立たない」と思われている方がいるかもしれません。
でも哲学ほど①いますぐ、②誰にでも、③役に立つ学問はありません。

人間は誰しも生活のなかで悩みをもちます。そして考えるわけです。誤解を恐れず言えば、悩む、ということが哲学のスタートそのものなのです。
すべての人が、考え悩みながら生きています。哲学はその「考えること」に関する学問です。

哲学は意思決定に貢献する


私たちは、行動を起こす前に、大なり小なり意志的に判断して考えます。

何かを感じ取ったり、出来事と出会ったりた体験をしたあと、私たちは考えます。そして判断して意志をもち、私たちは行動していくわけです。私たちの思考が私たちの客観的な現実を作っていくと言えると思います。

哲学とは、本来は生活のさまざまな実践と関係があります。
単に書物だけを読んで世間を知らない大学の哲学研究者よりも、社会に地をつけて日々、悩みながら生活している市民の方が哲学者と呼ぶべきであるかもしれません。 

哲学はどうして「小難しい」?

でも「哲学って難しい」、「理屈を捏ねるだけなんじゃないか」、とか思われる方も多いと思います。

ときどき難しく哲学を語る人に、じゃっかんうんざりしてしまうことが多いのです。

哲学を大学で研究している人のなかには、わかりやすく哲学やその意味を解説することが邪道だ、と考える人(専門家を気取っている人達)がいるのも事実です。

たしかに哲学も科学と同じ学問です。科学の公式を何も勉強していない人が、すぐに理解することができないように、哲学で使用する言葉も抽象的で一つの言葉に深くて複数の意味が込められたりていします。

特に哲学という学問は、「言葉」で考えると同時に、言葉で考えを伝えていきます。 哲学は歴史的に「書物」というメディアによって表現されてきました。 
まとまった文章を読んだり、書いて表現したりすることを忌避する傾向が、哲学を私たちから遠ざけている一つの要因かもしれません。

全国 16 歳以上の男女3,590人を対象にした平成30(2017)年「国語に関する世論調査」(文化庁)によれば、最近では1か月に読書をまったくしない人の割合が47.3%に及んでいます。一方で、哲学は「書物」によって歴史的に発展してきました。Twitterなどのインターネットで手に入る、断片的な情報とは異なります。テレビや動画で哲学者の哲学についての知識を得ることはできますが、それを見ただけで哲学をすることはできません。
「哲学をすること」とは、本を読むことで深く長く考え、じっくり自分の思いを見つめたり反省したりしながら、言葉を紡ぐ対話をすることだったりします。いずれにしても、それは時間がかかることです。
単なる情報を得ること、と思考することは異なるのです。

哲学はどう具体的に役立つの?

科学が技術と結びついて、さまざまな機械やシステムを作っていくとすれば、哲学は書物によって人間(性)を作っていくものだと考えます。

多くの人が本を読まなくなった、言葉ではなく動画やメディアの情報に囲まれて生活するようになりました。そして深く考えて人生について悩むこと、「哲学すること」から私たちが遠のいていったのかもしれません。

哲学のもともとの意味(古代ギリシア)

でも、私たちは言葉で考え、言葉によって悩みを解決していきます。

言葉によって孤独になり、しかしまた言葉によって人と繋がっていきます。

私たち人間が生きて存在する「生存」に、もっとも根っこから関わっていること、それが言葉であり思考(考えること)です。

私たちはどのような些細な日常においても、思考しまた行為し、成功を喜んだり失敗して落ち込んだりして、また反省していきます。それは、もっとも基礎的な生活の現実です。

哲学とは「知る」(σοφία;知恵、知、智)ことへの「愛」(φιλεῖν(愛)) と考えられてきました。そして悩んでいる自分について考えること、自分をもっと知りたい、と思うこと。自分が生きるこの世界について、もっと知りたい、と思うこと……その営みを愛することが、つまりφιλοσοφία(philosophia、フィロソフィア)=知ることの愛という、哲学にほかなりません。

哲学を中心とする人文学(humanities)とは、人間愛(humanitas)の活動そのものです。

哲学は学問の分野の一つではなくて、何(誰)かを知ろうとすること、学問する行為、その活動が哲学であるわけです。その意味では、科学を含むすべての学問を研究する、研究者の思考にはすでに哲学があります。

そうすると「悩む」ということは、そもそも何か自分が直面している問題を考えることであることが分かってきます。

悩む自分を助けようとするから「考える」ことをしますし、また悩むわけです。自分なんてどうでもいい、問題なんて解決なんてできない、と初めから思っていればそもそも悩むこともありません。

私たちにこの悩みとその解決を「知ることへの愛」がなければ、そもそも私たちは悩むことさえしないわけです。

哲学が扱う知は情報やスキルとは異なる

哲学は、youtubeやインターネットに氾濫している、「楽に生きるための技術(テクニック)」や「お金を稼ぐための技術」とは異なります。それはら、何かの目的を達成するための手段でしかありません。

哲学は、手段ではありません。そもそも自分にとって生きる意味や価値は何か、何に価値を置くのか、他の人たちはどうだろうかと考え、自分の生きる「目的」を培い設定し続けることが哲学です。
哲学によって自分の「目的」を設定して初めて、技術(手段)を取捨選択していく私(自分=自己の主観)について知ることができます。

日本の学校教育は就職のための手段として学問を貶めてきたのかもしれません。

哲学は最高にコスパがいい学問

最近の学生の方は、「コスパ」ーコストに対するパフォーマンスの高さを基準に色々な物事の判断基準としている方が多いようです。

しかし、人によって何をコストと感じるのか、は異なります。またパフォーマンスというものが何を意味しているのかも、人によって異なります。もちろん、経済的なお金ー収益をパフォーマンスと考えたり、人から尊敬される肩書をもつことなどを目的に設定することもできます。それはとても大切な成果です。ただ、それだけでは本当の意味でのコスパは達成できません。

いったい何のために生きようとしているのか、いったい何が自分にとって楽なのか、自分にとって優先すべきことや幸せとは何なのか、お金や物によって何を感じて幸せとなるのか、そのような目的と意味がわからない状態で技術(手段)となる将来の仕事や収入のためのスキルばかりを習得しても、楽に生きることも豊かになることもできません。

なぜなら、自分がいったいどのように「楽」を認識しているのか、「楽」とは何か、自分にとって「幸せ」とは何なのかを知らないからです。

逆に、自分がいったいどのような人生を送ることが幸せを感じ、幸福感を得られるのかを哲学を通じてまず最初に知ることが、最高のコスパにつながります。最初に哲学によって目的が培われること、それによっていったいこれから自分が何を学び、どのような情報を取得していくべきか、という手段の学びの価値が明確に高まるのです。

まとめ

哲学が大事な理由、それは自分にとっての人生や世界に対する意味付け、価値や考え方に関する唯一にして最高の学問であるからにほかなりません。

哲学は人間の福祉(幸福・ウェルビーイング)と深く関係しています。
たとえば人生の悲しい出来事や、目標を見失って落ち込んだりしたとき、学校を中退したり不登校になったり失業をしたり、といった困難なことと出会ったとき、その人の価値観と考え方がどれだけ哲学によって培われているかによって出来事の意味づけが変わってくるからです。

デジタルユースワークで実践されるリテラシ―教育とはこのような学問としての「哲学」への取り組みであるとも言えます。

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