蜘蛛
目が合った。一瞬、時が止まった。
さて、どうしよう。話しかけようか、外へ案内しようか。悪い奴じゃないけれど、ベッドの近くにいられるのはなんだか嫌だ。少しお昼寝したいのに、そんなところにいるのを見かけたら、寝返り打つ時に下に移動していたらどうしようとか考えてしまうじゃないか。
と、悩んでいるうちに、あちらがプイとそっぽを向いた。カシカシと口を動かして、ちょこちょこと壁を動き続ける。どこを目指してるんだろう。あと、そんなにずっと壁にいて、体液片寄って気持ち悪くならんのやろか。ああ、でも私たち人間も、彼らから見たらずっと地面に縦に立ってて、体液下にばっかいくんじゃないかってなるのかしら。
そんなことを考えながら一瞬目を離したら、どこに行ったのか見失ってしまった。あんなに小さな体なのに、ちょこまか動いて意外と素早い。よくわからんな。
昔から蜘蛛は見かけても潰したり吸い取ったりしないことにしている。存在に気がついたら、背中に赤い筋がないかを一応確認。ただの小さな蜘蛛であれば無視。巣を張るタイプの蜘蛛の時は、チラシの上に落として家の外に移動してもらう。大きな軍曹は、一人暮らしをしてからはまだ見かけたことがないので対応方法を考えたことはないけれど、悩むなぁ。一番嫌な害虫を撃退してくれる益虫なのだけど、大きすぎて動きが気持ち悪いから、見つけたらやっぱりお外に移動だろうか。
蜘蛛を生かそうと思うのは、「益虫だから」と親に教えられてきたからだと思う。あと『蜘蛛の糸』でカンダタすら生かしていたのに、自分が殺生するのはなんとなく悔しいのだ。なんだこの対抗心。
いやしかし、と先ほどまじまじと見ていた蜘蛛の姿を思い返して考える。あの『蜘蛛の糸』という話、すごいな。美しき釈迦が、毛むくじゃらな蜘蛛を素手でつかむのか。どうにも想像できない。釈迦ともなると、気持ち悪いとか嫌悪感とか、そういった感情を持ち合わせておらず、どんな存在やフォルムであってもみな等しく触れられる相手なのだろうか。
それに、ふと足元に蜘蛛が歩いている極楽って、どんな世界だ。どんなに善人だったとしても、その人が虫が苦手だったなら、ただこう怠く浮かんでいるだけの地獄のほうがマシだと思うかもしれない。あと、極楽の世界をただ歩いているだけで、何も気づかずに踏みつけて殺生しているなんてことも起こり得そうで、極楽って誰にとっての極楽なのだろう。
なんて考えてみたけれど、そもそも人間が登ってこられる蜘蛛の糸って鋼か何かだろうし、そんな糸を吐く蜘蛛なのだから、極楽の蜘蛛は翡翠でできているのかもしれない。地獄も調べてみたらいろんな種類があって、虫に責められるゾーンもあるようで……「屎泥処」なんてウジ虫がいてさらに鳥に突かれるらしい。嫌だ、ものすごく嫌だ。
やっぱり、行けるならば極楽に行きたい。これからも蜘蛛とは仲良くしておこう。