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生まれた日と命が終わる日があり、その日は”隠れ潜む”

こんにちは、あるいはこんばんは。

この記事を見てくれている人たちは、
毎日楽しく生きているだろうか。
あるいは、人生苦しくて死んでしまいたい、
と思っているかもしれない。

私は昔から希死念慮がすごくあった。
もういつから持っているかは覚えてないほど、昔から。
生命が誕生する瞬間よりも、
命が尽きる瞬間の方に興味があった。

もっと言えば、死んだあとに人はどこに行くのか、
死後の世界はどうなっているのかに興味があった。

きし-ねんりょ【希死念慮】
死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望と同義とされるが、疫病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。

goo辞書

「希死念慮」という言葉を辞書で引くと、
こう書いてあった。
私が持つこの感情は
間違いなく希死念慮ではあるが、
それでも少し違う。

ただ「死にたい」と願っている、というよりは、
「早くお空に帰りたい」と言った方が
しっくりくる。

今ももちろん、メンタルに支障をきたすほどの
問題を抱えることはある。
でも人間関係で悩んでいるとかはない。
むしろ相当恵まれているので、
この生を簡単に手放そうと思うわけではない。

ただ、どこにいても、誰といても、
ずっと「ここは私の場所じゃない」感。
もちろん、楽しくて居心地の良い場所はあるし、
一緒にいて安心できる人もいる。

そんな場所があるにも関わらず、
「私の居場所はここじゃない、あっちだ」と
小さい頃から空を眺めては思っていた。

生命というものは、生まれ落ちた瞬間から
死に向かって歩き始める。

自分で死を選ぶつもりはなくとも、
ある日突然終わりが来ることもある。
それも、全く思い描きもしなかった手段で。

だからせめて、その命が終わる時を
事前に教えてくれよと思う。
そうしたら、私たちはもう少し上手くやれるのに。

さて、私がお空に帰れる日はいつ来るんだろうか。
できればもう地球には来たくないかな。
お迎えが来るその日までは、仕方がないから
美味しいごはんの事を考えながら、
命を繋いでおこうかな。


”彼女は去来した日々をじっと思い浮かべた
誕生日や自身に関わる出来事が心に残る日々を

ある午後 彼女は重大な日の存在に思い至る
死ぬ日だ

その日は 他の日々に隠れ潜むが
確かに存在する
いつだろう?”



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