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学校教育に何を求める?
最近、Amebaで討論番組を見た。
たしか「古典は必須科目でいるのかいらないのか」というテーマだったと思う。カリスマ予備校講師の吉野先生が出ていて、ひろゆきも出ていた。たしか、学校で社会に役に立たないことを教えるより、税金の仕組みやパソコンを教えたほうがいい。古典や漢文は好きなひとがやればいい。倫理や政治社会と同じように選択科目にするべきだ、のようなことを言っていた。
出演者のみなさんは、学校の役に立っていないことばかりをいっているが、逆に何が役に立って今こうしているって、はっきり言えるのかなと正直思った。学校で数学が好きになったから、数学の道に進みました、物理を好きになったから、研究者になりました、そんな人もいるかもしれないが、大半は「よくわからない」のではないのかな。でも卒業して、仕事について、今がある。学校生活の延長線上に。
また別の議論で、学校に行く必要あるかどうかの話もある。学校で過ごす時間と学校で過ごさない時間を比較して、初めてその有用性がわかるのかなと思う。教科もしかり。だが、学校に行っている人(学習している人)と、学校に行っていない人(学習していない人)の「なに」の差から、「なに」の必要性を求めるのか。そこが議論されていない。
一つを基準にすれば、わかりやすい。「年収」なんてとってもわかりやすい。4大卒と高卒とでは、生涯年収が違うっていうデータはある。だが、幸福かどうか、友達がいるかどうか、そんなことは測られていない。
お金って、幸せになるための手段じゃなかったっけ?健やかで健康に、みんなと仲良くして幸せになることが目的なのに、お金(年収)の話を持ち出されると、「お金高いほうが正しい」って印象になる。
学校行かないことは、「あなたのお子さん、将来お金稼げなくていいんですか?貧乏になっていいんですか」ってなるから、みんな行かせたがる。不登校は悪みたいな。「稼ぐことに関係ないから、この教科は無駄」っていう風になる。教育って随分窮屈だな。そもそも学校と社会は似てはいても別なはず。
社会に役に立つかどうか関係なく、本人の好みさえ関係なく、小中高と知らない環境で、知らない誰かと過ごすから、いいんじゃないかって思う。それを堂々と伝え、堂々と学校の決まりごとを押し付ける人が教師というものであってほしい。そして、いづれやってくる対義語のために、堂々と「学校でならったことは卒業したら忘れてもいい」といってほしい。緊張と解放、拘束と自由、義務と選択が、入学と卒業にある。
アインシュタインが「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである」と言っていた。この言葉が今の私の学校生活をすべてを肯定している。