遠景として振り返る、「ネット歌人」と呼ばれていたあの頃
「ひぐらしひなつさんは歌人だったのではないですか?」
「もう短歌は書かないのですか?」
と、よく訊かれます。わたしにはかつて(わたしにしては)精力的に短歌作品を発表していた時期があり、歌集を出した経験もあります。
コンテンツワークス社のオンデマンド出版システム「BookPark」で立ち上げられた「歌葉」という歌集ブランドのうちの一冊です。現在は「歌葉」は廃止されており、すでに入手できないものとなっています。
ほとんどが自費出版するしかない歌集は若い歌人にとっては敷居の高いものですが、オンデマンド出版で扱うことにより安価に出版を可能にしてくれた「歌葉」は当時、精力的に若手歌人の歌集をプロデュースしていました。
その頃からわたしの短歌界でのありかたは、やや特殊なものと位置付けられていたと自覚しています。昔ながらの結社に所属せず、インターネットを主な活動の場としていた集団にゆるく属して、「ネット歌人」というカテゴリーで呼ばれていた時期もありました。いま思うとすごい呼称ですねネット歌人(笑)。当時はインターネットというものがまだ現在ほどには日常に普及しておらず、特別な場であったのです。旧石器時代みたい。
そういった場をプロデュースしていたのが、わたしの短歌の永遠の師である荻原裕幸さんと、穂村弘さん・加藤治郎さんという3人の歌人でした。塚本邦雄や岡井隆、春日井建らの「前衛短歌」に色濃く影響を受けた彼らは短歌界では「ニューウェーブ」と呼ばれ、その彼らに育てられたわたしたちが「ネット歌人」と括られて、“異端”なのか何なのか、まあとにかく短歌史の“王道”というか主軸の部分から少し外れたところを流れてきたような感じです。
ただ、ニューウェーブな師匠たちが意図的かつアグレッシブにそのポジションを選んだのとは違って、わたしたちは(少なくともわたしは)、たまたま出会ったニューウェーブな短歌たちを自然に受け入れて短歌を作るようになり、それを入口にまずは前衛短歌の数々に触れ、さらに“王道”である近代短歌からの流れを汲む作品たちへと、短歌史的にはまさに逆行するかたちで、奥深いその森へと踏み込んでいったのでした。あらかじめ短歌史から切り離されていたわたしの中ではそもそも「ニューウェーブ」という概念すら存在しなかったわけです。枡野浩一さんのように短歌史を意識した方法論を採っていたわけでもなく、あくまでも短歌史から宙に浮いた天然状態でいたのかなと思います。
その後、玲はる名さんや佐藤りえさんたちと一緒に師匠たちが「短歌の場」を作るのをお手伝いしたり、ほそぼそと短歌雑誌で作品を発表させていただいたりしながら第二歌集の準備も進めていたのですが、一身上の都合により(敢えて詳しいことには触れません)、短歌活動の割合を絞らねばならなくなりました。もとより地方住まいで批評会やシンポジウムなどのイベントに参加しづらい状況ではありましたが、そういう場からさらに遠ざかり、表立って短歌の場に顔を出すことはなくなりました。かつてはサブカル誌で歌碑をはじめとする文学碑めぐりの連載を持たせていただいたりもしましたが、その雑誌も廃刊となり、現在は大分のタウン誌「セーノ!」で短歌の読者投稿コーナー『短歌の花道』のMC(誌面では便宜上「選者」と呼ばれていますが自分ではあくまでもMCくらいの立ち位置だと思っています)を務めているくらいです。それでも短歌名鑑に名前が残っているせいか、新刊歌集や同人誌を送ってくださる方はいまもいたりして、ああかすかに忘れられてはいないのだなと思っているのですが。
短歌はいまも作っています。発表はしていません。原稿依頼も来ないし自分から掲載先を求めることもしていない。それとは逆に、生計を立てているサッカー関係の仕事はありがたいことにどんどん表に出ていきますから、現在ではわたしの名をサッカーライターとして認識してくださっている方がほとんどだと思います。それはそれで現在の正解です。
以前は「短歌も書くサッカーライター」と珍しがられ、サッカーライターとしての特殊なアイデンティティー確立のために「サッカー短歌を作れ」というアドバイスをいただくことも多かったのですが、自分なりにどう工夫しても表層的な部分で短歌とサッカーが結びつかず、そういったものを書いたことはありません。体の、まったく違う部分が動く感じ。
だけど言語表現の方法論的な部分では両者は大いに影響しあっていて、それが結果的に現在のわたしのアイデンティティーに結びついているのだろうという体感はあります。これはすごく自然なこと。
ツイッターではさまざまな短歌をランダムにツイートするbotアカウントがいくつも存在し、その中にはわたしの作品もしばしば紛れています。そうやってわたしの短歌と出会い、歌集を手に入れたいと言ってくださったり、朗読や二次創作の素材というかたちで愛でてくださったりという方々もいらっしゃいます。
そういうかたちでの読者との出会いを、その作品を発表した当時よりも少し俯瞰した立ち位置から眺めると、時の流れとともに「ネット短歌」という言葉自体が無効化されていったのを感じます。いや、たぶんいまでも“内側”から見える“外側”は、きっとあるんだと思う。だけどそもそも“内”と“外”の概念がない人たちが、たとえばこうしてツイッターのタイムラインで短歌に触れ、かつてわたしがニューウェーブ短歌たちと出会ったときのように、シームレスでさえなく、一首をニュートラルに鑑賞する機会が増えていることを、肌で感じる今日この頃です。
そういう流れの中で、どういうスタンスでどういうかたちで作品を発表していくかが、いまは見えない。他者を主役に置くサッカーの仕事とは異なり自分を世界の中心に置いて作る短歌に向き合うほど、現在のわたしには陶酔するエネルギーがないのかもしれない。
とりあえず、いまはそんな感じです。殺伐とした日々を生きながら、丁寧に自分の体感をなぞっていきたいと思っています。でも『きりんのうた。』の復刻を望んでくださる声はときどき届くので、いずれなんらかの手段は考えてみるかもしれません。