彼女は鬱だった。
44歳のとき。22歳の女性とお付き合いすることになった。ガッツポーズだ。敗北を知りたかった。
その後、同棲して結婚するのだが、早々に彼女がちょっと変なことには気付いていた。
一ヶ月ほど部屋に引きこもって出てこない。30時間眠り続ける。作り置きした食料を瞬時に食べてしまう。
それでも私より20歳以上若い彼女の価値は何ら毀損されるものではないのだが、何かの病気だったら対策したほうがよかろう。部屋の入り口に布団を積み上げて抵抗する彼女を引きずり出し、心療内科に連れて行った。鬱と診断された。
これが鬱か。鬱の人を身近にするのははじめてだった。
元気なとき、彼女は幼少のころの話をしてくれた。家庭環境が複雑で、けっこうひどい虐待を受けていた。
食事を与えられないので、給食のパンをいかにくすねるか、そのへんに成っている木の実で食べられるやつがないか、そんなことばかりに腐心する小学生だったという。
大きな衝撃だった。
私が小学生のころは家にはいつも食料があった。夕食は毎晩、母の手作りだった。両親は子供たちが腹を空かせていないか常に心配していた。家庭とはそういうものだと当たり前に思い込んでいた。
そりゃ鬱にも摂食障害にもなるわな。健全に育った自分は強者で、心の病にかかるのは弱者。そう断じていた己を恥じた。私は途方もなく恵まれていただけ。
彼女は自分が受けた虐待を、自己から突き放して笑い話にする。ユーモアがある。
ちょっとぐらいは被害者意識を持って「可哀想な私」ポジションがあってもよさそうなものだが、そういうところがまったくない。外連味がない。
そこに魅かれた。まあ辛かったら寝てなはれ、食わしてやるし家事もしてやろう、大きなネコを飼ってるようなものだよと好きにさせてたら数年で彼女は寛解し、働きはじめて、ついには自分の事業を立ち上げてしまった。
未来は常に予測の範囲を超えていく。彼女も変わったけど、変化の振り幅が大きいのは40歳越えというか50歳さえ越えた私のほうだ。以前はモノクロでノイズ混じりだった風景が、フルカラーでしっとりした湿度さえ帯びて立ち上がってくる。