【大内家の野望 新生】 第24話:北奥平定戦 〜津軽の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第24話:北奥平定戦 〜津軽の戦い
■秋田、岩手、そして青森へ伊達家を追い詰める
山口から西日本、そして関東を制圧した大内家が、奥州の雄・伊達家を北へと追い詰める。東北地方は南北に長く大変な遠征になるが、着実に一つずつ城を落としていく。
伊達家の本拠であった山形県域を平定して、ついに秋田県域にまで進攻した大内軍。横手城(秋田県横手市)を包囲。挙兵以来の股肱・弘中隆包も城主を闇討ちにするなど謀略をかけまくる。
伊達軍も周辺の諸城から援兵を繰り出してきたが、長宗我部元親隊と北条氏康隊が、その到着前に横手城を落とした。これで北方への進軍がラクになるぞ。
横手城に兵を繰り出してきた今がチャンスだ。間をおかず、その北の角館城(秋田県仙北市)へと兵を向ける。こちらは21000の兵力だが、相手はもう17000ほどしか動員できないようだ。
若殿・大内義尊の本軍にも遠征に参加してもらうので、大内義尊が拠点とする本拠地をさらに北へと移そう。宇都宮城(栃木県宇都宮市)から黒川城(福島県会津若松市)へと大内家の拠点が移った。
前線が東北に移って行ったことで、中日本や西日本などは暇になってくるが、委任をすることで内政に従事してもらう。金山を開発したり、港を開港したり。資金を稼いで、お米を作り、より良い国にしていくのだ。
横手城に続いて、長宗我部元親隊が角館城も落としてくれた。かなり北まで遠征しているので、兵の消耗も激しくて長宗我部元親隊もギリギリの兵数で勝ったようだ。だが、ここで諦めるわけにはいかない。ちなみにこの直後、長宗我部元親の有能な長男・長宗我部信親、松平元康(徳川家康)の娘の督姫、真田昌幸の娘の村松殿などが元服・髪結を果たして大内軍に加わった。
岩手県側のルートも大内軍が優勢。当主・伊達輝宗が逃げ延びていた高水寺城(岩手県紫波町)を島津家久隊が攻め落とした。伊達輝宗はさらに北へと逃げていくことになる。
伊達輝宗が撤退して新たに本拠としたのは、九戸城(岩手県二戸市)のようだ。ここは「歴史発想源」の「北奥戦乱篇」でも描かれたように、豊臣秀吉の天下統一事業の前に立ちはだかった堅城。気合を入れて取り掛からねば。
日本海沿いの湊城(秋田県秋田市)を攻めていた武田信玄隊は、残り100騎程度と全滅間近だったが、1万の兵を率いる吉弘鑑理隊が後から追いついてくれて、湊城を攻め落とすことができた。東北遠征は全滅まで時間の勝負である。一瞬たりとも気が抜けない。
先鋒の武田信玄隊はいったん自城に戻ってもらって、ここから北の檜山城(秋田県能代市)を狙うことにする。後方の松平元康(後の徳川家康)隊、木下秀長(後の豊臣秀長)隊らに任せよう。
智将の甲斐宗運が、九戸城に籠る伊達輝宗に対して闇討の策略を。踏んだり蹴ったりの伊達輝宗はまたも手傷を負って、九戸城の防御力が一気に低下。
大内義尊の本隊も九戸城攻めに参加。城主の伊達輝宗が負傷したことで一気に勝敗は決して、九戸城は大内軍の手に落ちることに。
九戸城を手に入れたことで、ついに青森県域への進軍ルートを手に入れた。さらに北の三戸城(青森県三戸町)を狙う。しかし、三戸城の城兵は6000人もいるのに、大内義尊隊も武田信玄隊も2000ほどしかおらず、兵糧も乏しくなっている。大丈夫だろうか……。
と悩んでいる大内義尊の本隊に、伊達軍が急襲してきた。伊達家の重臣・伊達実元の軍勢だ。いつもは大内軍のほうが圧倒的に有利な兵数なのに、今回はこちらが4000程度しかいないところに、伊達実元も4000の兵で突っ込んできた。兵力では互角の「糠部の戦い」が始まる。
兵数では互角だが、部隊数はこちらが4、伊達軍が2と多い。それだけ展開がしやすいということだ。左右にうまく展開し、相手を挟撃に陥れ、さらに後方の退き口を破壊しに行く。
大内義尊本隊と織田信長隊の挟撃で、伊達実元の部隊は一人残らず全滅をした。総大将が倒れたので「糠部の戦い」は大内軍の圧勝で終わった。これで三戸城へと逃げた伊達輝宗を追えるぞ。
日本海側ルート、北条氏康らが檜山城を包囲して攻め落としてくれた。これで青森県域を東西両側から攻めていくことができる。本州制圧まで間も無くだぞ。
鬼柴田こと柴田勝家が関東から軍勢を率いてくれて、三戸城は大内軍の手に落ちた。これで青森県域の東側はほぼ大内軍の領地となった。伊達家の持つ城は、津軽半島両岸の3城のみ。あともう少しだ。
源氏の名門・北畠家の血を引く陸奥国司の拠点であった浪岡御所(青森県青森市)を狙う。伊達輝宗はここに逃げ込んだようだが、残された兵力は100ほどしかいないようだ。
■大内義尊と伊達輝宗、最後の頂上決戦
大浦城(青森県弘前市)にも攻めるが、同時に男鹿半島から日本海を通って津軽海峡を渡り、徳山館(北海道松前町)にも攻め込む。おそらく最後に伊達輝宗が逃げ込む場所だろうから、今のうちに徹底的に破壊して防御力を下げておく作戦だ。
織田信長隊が下北半島から津軽半島へ渡り、浪岡御所の北方の郡を制圧していって浪岡御所の兵力を削いでいく。島津義久隊が伊達輝宗隊を退けたようだ。
そして浪岡御所を包囲していた島津義久隊が、ついに占領完了。伊達輝宗は西の大浦城へと逃亡する。
そこを大内義尊の本軍が捉えた。どちらも3000の兵しかおらず兵力差はない。部隊数が伊達軍が1なのに対して大内軍が4と優勢なので、この部隊数の差で勝負していこう。負けられないぞ。
大内軍は1つ1つの部隊は小さいが、部隊数が多い。注意すべきは大内義尊の本隊が597人しかいないことだ。伊達輝宗隊が戦場で最も兵数を持つので、注意して挟撃の布陣を敷いていくぞ。
同じく兵数の少ない弘中方明隊が、全滅覚悟で伊達輝宗隊に騎馬突撃。そこへ北条氏康隊が横から突っ込み、挟撃態勢に。その隙に、大内義尊本隊と蒲生賦秀隊が左右からすり抜けて後方の退き口を封じにかかる。包囲網は成ったぞ。
伊達輝宗隊はかなり奮戦していたが、唯一の退き口を破壊された伊達軍は総崩れとなり、「津軽の戦い」は大内軍の勝利に終わった。伊達輝宗隊に突っ込んでいた弘中方明隊もわずか200騎しか残っていないほどの、ギリギリの状態で助かったようだ。よかった。
敗北した伊達輝宗に城を守る余力がなく、大内義尊が大浦城を攻め落とした。これで奥州は完全に攻略ができたぞ。
大内軍と戦ってきた名将・鬼庭左月斎や伊達実元、また伊達政宗の場である片倉喜多など伊達家の重臣たちも、もはや大内軍に逆らうだけの気力は失せて、次々に大内軍に降伏をしてきた。
大浦城を追われた伊達輝宗は、津軽海峡を渡って徳山館へ入るしかなくなった。伊達家の城は残すところ1城。武将は19人で、最大兵力はわずかに7000。いよいよ北の果てに追い詰めたぞ。
小早川隆景が「こちらは184万の軍勢なのだから余裕」と言ってくるが、全国支配地の合計の話である。奥州の奥地にまで遠征してきた部隊はどれももう数百とか千数百程度にまで消耗しきっている。落としたばかりの浪岡御所や大浦城もまだまともな兵力や防御力がない。伊達家が軍を整える前に、なんとか津軽海峡を越えて制圧を終えたい。
だが残る徳山館の制圧を前に、大内義尊は本拠地を黒川城(福島県会津若松市)から新田金山城(群馬県太田市)へと移し替える。そう、あとは伊達家を滅ぼすまであと一歩の大内家だが、やり残していることが1つだけあるのだ。伊達家の追討は諸将に任せ、大内義尊は一つだけ残したあの大仕事へと取り組むのである……!
(第25話へつづく)
【武将名鑑】(24)松平元康(まつだいら もとやす)
後の徳川家康。三河国の松平家の存続のため、不遇な人質時代を過ごす。従属していた今川義元が「桶狭間の戦い」で討たれたのを機に、織田信長の同盟者となる。信長の死後は豊臣秀吉に臣従し、秀吉の死後に「関ヶ原の戦い」で勝利を収め、江戸幕府を開府する。
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