【大内家の野望 新生】 第22話:奥羽遠征戦 〜会津の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第22話:奥羽遠征戦 〜会津の戦い
■鬼庭左月斎と遭遇「羽鳥の戦い」
西国の群雄たちを制し、関東一円を支配していた北条家との激闘に勝利した大内家。もはや日本の領土の4分の3を支配したと言ってもいい。大内家に臣従している越後の長尾家を除けば、残る相手は奥州の伊達家のみだ。共に北条家と戦った同盟者であったが、同盟の期限が終わって、敵対関係となった。
城の数で言えば、大内家は全国206城のうち169城を支配しており、80%近くの城を押さえていることになる。伊達家も北条家の領土を着々と侵略していたが、今は24城。だが……
東北地方の城はどこも城と城の間の距離が長すぎて、城の数は少ないのに広大な面積がある。だから城が密集していた関東地方と違って、多数の城をあちこち多方面から攻めるという戦略がやりにくい。距離があるだけに出撃できる城も限られているし、よく考えて攻めなければ兵も兵糧も無駄に浪費してしまい尽きることになるだろう。慎重かつ大胆に行こう。
これからの過酷な奥州の長旅に備えてなるべく兵や兵糧をキープしながら攻めたい。当主・伊達輝宗がいる伊達家の本拠地は米沢城(山形県米沢市)だ。同盟国である長尾家の領地から近いので、まずは長尾家に米沢城を先に攻めてもらおう。これで落ちるとは思っていないが、まず伊達領の諸城の注目を米沢城に集めるのだ。
長尾家が侵攻してくると知るや、伊達家の周辺の諸城から援軍の兵が米沢城に向かい始めた。慌ただしくなってきたようだぞ。そこに明智光秀が、その手前の黒川城(福島県会津若松市)で一揆を扇動する策略を仕掛けるとのこと。兵で攻めるよりまず謀略で攻めるぞ。
大内軍が北条軍と死闘を繰り広げている間、伊達家も弱っていく北条家の所領をちゃっかり奪っていた。そうやって伊達家が虫食い的に獲得していった元北条領も、しっかりと攻め取っておく。城へ攻めると大騒ぎをするが、郡部の領地を攻めても援軍は送らずに城の守備を固めるようだ。ならば郡部もしっかりいただいておこう。
明智光秀が黒川城一帯での一揆の扇動に成功したとのこと。これで黒川城の城兵も鎮圧で城を出る必要が出てくる。他にも宇喜多直家が城壁に細工を仕掛けたり、若殿・大内義尊の姉である大内橘が他の城に一揆扇動を仕掛けたりと、大内軍の智将たちが裏でどんどん謀略を仕掛けてくれる。
米沢城や黒川城などの内陸攻略と別に、太平洋側からも攻略をしていこう。弘中隆包隊を飯野平城(福島県いわき市)へと向かわせる。すると後方の諸城から数万の兵が動き始めたので、さらに長宗我部元親隊7700を投入。こちらも一大決戦となるぞ。
東の飯野平城へ、西の米沢城・黒川城へと、伊達領の諸城の兵は東西に別れて援軍に向かう。伊達軍はこちらの攻略にかなり翻弄されているようだ。そこで……
吉弘鎮理隊、島津歳久隊、松平元康隊など38,000の兵を西の黒川城へ向けて注意を引きつつ……
東西に伊達軍が別れた頃を見計らって、その中央を突破すべく三春城(福島県三春町)へ本気の70,000の軍勢を向かわせる。3つの北上ルートで伊達領へと進入していくのだ。
すると中央ルートを進んでいた大内義尊本隊と敵軍が遭遇。伊達家の重臣・鬼庭左月斎ではないか。兵数は4分の1以下だが、相手は知略81の知恵者だ。油断はできない。
いかりや長介のような顔をした鬼庭左月斎と、羽鳥(福島県天栄村)で激突だ。兵数は勝っているが、こちらも大内義尊・弘中方明の2部隊しかいない。早急に要地を制したほうが有利になる。
大内義尊と弘中方明、主従の連携プレーで伊達軍は挟撃されて壊滅状態に。退き口も破壊して、「羽鳥の戦い」は大内軍が圧倒的勝利を飾った。これは幸先がいいぞ。
さらに、能登半島に配備していた榊原康政隊、斎藤利三隊が、同盟中の長尾景虎の領地を通って本城・米沢城に突っ込む作戦。さすがに本城を狙われたら他の城より最優先で守ろうとするだろう。
そんな頃、三春城を目指している大内義尊に挑戦者が。二本松義国の軍勢だ。またも大内義尊と弘中方明の2部隊での応戦だ。しかし相手は少数。巧みに相手を挟撃へと誘い込んでいく。
退き口も破壊して、「会津の戦い」は大内義尊軍の圧勝。二本松義国はわずかな兵を残して敗走していった。よし、三春城は目の前だ。
■伊達軍との命運を分ける決戦「会津の戦い」
大内軍が奥州街道を続々と北上しているが、伊達軍も後方の諸城から次々に援兵を送り込んで、三春城下は凄まじい数の大乱戦に。そんな時に、大内義尊本隊にまたも戦争が。
相手は相馬顕胤。伊達家の娘を妻にもらっている伊達家の重臣だ。5部隊11271人の大部隊だ。しかしこちらも後続隊が追いついて5部隊24698とかなり兵数では優勢だ。
部隊数が大事だが、どちらも5部隊で同数なので、あとはいかにうまく展開していくかが鍵だ。この地は中央部に高地があって、ここをいかに早く押さえるかが重要になってくるだろう。「会津の戦い」、開戦!
中央の高地を狙うように見せかけてゆっくり進むと、相馬顕胤軍の部隊はどんどん中央高地を狙って進んできた。うまく固まってきたところを、三方から挟撃だ。しかも左の退き口が空いているところに、フリーとなった左の柴田勝家隊が退き口壊滅を狙う。
うまく退き口を破壊し、相馬顕胤軍は本隊以外がほぼ壊滅状態に陥って撤退。「会津の戦い」は見事に大内義尊軍の勝利となった。
1万以上の大軍だった伊達軍を「会津の戦い」で破ったことで、大内軍に「威風」が発生。黒川城下の3郡が大内家に寝返り、長尾景虎も大内軍をさらに心酔し、家臣たちの忠誠度も上がった。この勢いで、一気に伊達家を叩く!
黒川城はまだ落ちていないのだが、その周辺の郡が寝返ったことで米沢城へのルートが開いた。米沢城へ吉弘鎮理隊を突入させる。これで黒川城は米沢城からの援軍を期待できなくなるだろう。
本城が狙われてる!となると放ってはおけないから、伊達家の諸城の軍勢はどんどん米沢城へと援軍に向かう。これで黒川城は孤立状態、さらには他の城の警備も手薄になってきたぞ。
援軍が全部米沢城に向かったために、ほぼ孤立状態だった太平洋側の飯野平城が、弘中隆包隊・長宗我部元親隊によって攻め落とせた。
飯野平城を落とした弘中隆包隊・長宗我部元親隊は、さらに休む間もなく北の小高山城(福島県南相馬市)へと進む。そしてその奥にある相馬中村城(福島県相馬市)にも別ルートで鶴姫隊が狙う。太平洋戦線もしっかりと勝たせてもらうぞ。
米沢城が防衛に必死で援兵できず、孤立状態にあった黒川城を、若殿・大内義尊が落とした。先ほど「会津の戦い」で指揮をしていた黒川城城主の相馬顕胤も、諦めて大内家に降伏してくれた。
本城・米沢城を目前にして、大内義尊本隊の前に伊達軍の軍勢が立ちはだかった。伊達家重臣・桑折宗長率いる16432人の大軍勢だ。
「耶麻の戦い」が開戦。兵数では大内軍が22784人で4000人ほど多く優勢に見えるのだが、部隊数は大内軍が4部隊なのに対して、伊達軍は6部隊だ。部隊数が多いほうが展開のバリエーションが多くて有利なので、ここは兵数差で喜んで油断していては挟撃でボコボコにされてしまうぞ。気を引き締めていかないと。
部隊数が少ないから展開は不利だが、1部隊ごとの兵力は圧倒的に多い。まずは高所や崖の上などにある要所を確実に取りに行く。
大内義尊の本隊が自ら動いて、崖の上の要所を占領した。これによって崖下の舞台に石を落とすことができる。崖下のルートも柴田勝家が押さえる。逆側の崖の上の要所は敵が占領していて、このままもし大内軍の退き口を攻めてきたら向かわせる部隊がない。ここはこちらの退き口が落ちる前に相手の退き口を急いで落とさねば。
相手の一隊を壊滅させて道を作り、伊達軍の退き口を破壊することで、相手を撤退させた。大内軍もかなりの犠牲を払ったが、「邪馬の戦い」はなんとか大内軍の勝利で終わった。
伊達軍の大軍を破ったことで、また「威風」が発生。米沢城下の2つの郡が大内軍に寝返った。米沢城へのルートがより開けたぞ。
米沢城が目前に迫った。なんとか「邪馬の戦い」に勝利した大内義尊の本隊、そしてそれを護衛する弘中方明隊は、そのまま米沢城へと進軍。伊達輝宗と直接対決が始まる……!
【武将名鑑】(22)北条氏康(ほうじょう うじやす)
関東の戦国大名。祖父の北条早雲、父の北条氏綱から北条家を引き継ぎ、小田原城を拠点に関東一円を支配する大大名へと成長させた。甲斐の武田信玄、駿河の今川義元と甲相駿三国同盟を結んで結束し、越後の上杉謙信と激闘を繰り広げ、その活躍は「相模の獅子」と恐れられた。
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