【大内家の野望 新生】 第23話:羽州進攻戦 〜山形城の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第23話:羽州進攻戦 〜山形城の戦い
■伊達輝宗との東西頂上対決「最上の戦い」
西国を平定し、「相模の獅子」北条氏康の北条家を破って関東を平定した大内義尊の大内家、ついに奥州の覇者・伊達家と激突を始め、当主・伊達輝宗の居城である本城・米沢城(山形県米沢市)を急襲!
伊達領の諸城が米沢城へと援兵を繰り出すために、前線の三春城(福島県会津若松市)は援軍が激減して孤立し、城主の蘆名盛氏が降伏をしてきた。三春城は開場して大内家のものとなり、伊達家重臣の蘆名盛氏も大内軍に加わることに。
三春城は城主の降伏で手に入れたばかりだから、城壁の修復も終わっておらず、城兵も235人しかいない。その寡兵ぶりを見た伊達軍が、三春城を取り返そうと諸城から軍勢を出撃させてきた。その数は恐らく合計で2万近い大軍だ。ここは北上ルート確保のために、なんとか死守しないと。
三春城の危機ではあるが、同時に後方の城も手薄になった。北東の丸森城(宮城県丸森町)を目指して毛利元就隊、北条氏康隊ら2万の軍勢を進める。そして三春城は、こういうこともあろうかと少し手前の那須川城(福島県那須川市)に長宗我部元親隊を温存しておいたので、三春城防衛に向かわせる。何も用意がないと思うなよ。
堅城の米沢城をまだまだ攻略中だが、別働隊の吉弘鑑理隊が迂回してさらに北の山形城(山形県山形市)を狙う。米沢城への援軍を出しているから、上兵はかなり少ないぞ。
米沢城攻めのために進軍している大内義尊の本隊の前に、伊達軍の武将・豊島休心こと豊島重村の軍勢が立ちはだかった。「置賜の戦い」の開幕だ。相手は5分の1の兵力しかないが、勝利時にはまた「威風」が発生するようだ。しっかり勝利を手にしなくては。
伊達軍は4部隊だが、総大将の豊島重村の部隊は1000しかいないため、島津歳久、島津家久の部隊がそこを好機と見て突撃。
総大将の豊島重村隊が危機に陥って撤退したため、「置賜の戦い」は見事に大内軍の勝利に。他の部隊も徹底的に壊滅できなかったところが悔やまれるが、まあよしとしよう。
伊達軍に勝利したことで大内軍に「威風」が発生。山内衆など周辺の奥州の国衆たちも大内軍に注目を始めた。山中の独立勢力である国衆たちが味方についてくれる従属度が上昇したぞ。
「威風」によって伊達領の2郡が大内家に降伏してきたので、米沢城の周辺の郡部がぐるりと大内家のものとなり、米沢城は孤立無援状態に。他の伊達領からの援軍の到着も時間がかかってしまうだろう。今のうちに総攻撃だ。
若殿・大内義尊自らが攻めていた伊達家の本城・米沢城は、こうして落城した。史実では江戸時代に天下の名君・上杉鷹山公が生まれる米沢城。なんとか陥落させることができたぞ。
本拠の米沢城を落とされた伊達輝宗は、北の山形城へ移った様子。ここは容赦なく、新たに本拠となった山形城を攻める。
米沢城が落ちると、丸森城と同時に攻めていた桑折西山城(福島県桑折町)の城主・最上義光も心が折れたようで、「死地に身を置くほどの義理もなし…」と大内軍に降伏してきた。桑折西山城も大内家の手に落ちたぞ。
降伏してきた最上義光が、大内軍に加わることに。最上義光は「歴史発想源」の「山形戦乱篇」で主人公として描いた戦国大名で、統率87・武勇85・知略88・政務87とオールマイティな能力を持つ武将だ。味方に加わってくれて嬉しい。よろしくね。
太平洋側の小高城(福島県南相馬市)・相馬中村城(福島県相馬市)はどちらもかなりの堅城で、太平洋岸ルートがなかなか開かないが、桑折西山城が落ちたことで西の内陸側から押し上げていくことができている。このまま一気に宮城県になだれ込もう。
そして、山形城下でついにトップ同士の対決が。
山形城を攻めていた大内義尊の本隊に、伊達家当主・伊達輝宗の本隊が出撃してきた。トップ同士の争い「最上の戦い」の開幕だ。伊達軍が勝てば伊達軍に「威風」が発生してしまい、攻略が難しくなるだろう。今後の両家の運命を決める大事な決闘だ。天下統一の夢のため、絶対に負けるわけにはいかない。
相手は2部隊、こちらは7部隊だ。広い展開ができる。しかし退き口を破壊して封じるよりも、山形城の兵力を削ぐためにも徹底して挟撃して叩きのめしておくのがいいだろう。伊達軍の2部隊をそれぞれ取り囲んで袋叩きにする。
伊達軍は9611もの兵がいながら、なぜか伊達輝宗隊は971しかいなかった。そのため伊達輝宗隊を挟撃に成功すると、伊達輝宗隊はあっという間に危機に陥って撤退。東西の頂上決戦となった「最上の戦い」は、大内軍の大勝利に終わった。後々の両家の運命を明示しているかのような戦果だ。
伊達輝宗軍の「最上の戦い」での敗北はそのまま、山形城の防御力にも影響したようで、その後すぐに山形城は大内義尊本隊の手に落ちた。新たな本拠地を落とされた伊達輝宗は、さらに北へと落ち延びていった。
■仙台平野を一気に制圧せよ
伊達家の勢いが弱まったところで、次々に諸城が落ちていく。
難航していた太平洋側の城も次々に攻略が完了。今川義元隊が小高城を、後に蒲生氏郷となる蒲生賦秀と北条氏康隊が丸岡城を、冷泉元豊隊が相馬中村城を落としてくれた。これで仙台平野へと進軍できるルートが確保できたぞ。宮城県も一気に制圧したい。
ド派手に戦っている太平洋ルート、内陸ルートとは別に、こっそりと同盟者の長尾家の領土を通過させてもらって大宝寺城(山形県鶴岡市)へと攻めていた日本海ルート。そこに九州以来の股肱である戸次鑑連が、城主へ闇討ちを決行。しかも毒を使うなんて、怖い手使うね……。
戸次鑑連の闇討ちがヒットして、城主が戦えず大宝寺城の防衛力は一気にダウン。城主が降伏開城を申し出てきた。その城主とはなんと伊達晴宗。当主・伊達輝宗の父で先代当主じゃないか。伊達晴宗と伊達輝宗は仲が悪いとは聞いていたが、こうも早く見限るのか。まあ喜んで迎え入れるけれども。
山形城が落ちたことで、さらに北の延沢城(山形県小花沢市)に攻めかかる。伊達家もかなり兵力が低下しているが、実は大内軍も前線の兵数と兵糧は少しずつ厳しくなっている。東北地方は南北に長いので、兵站線が伸びてしまってかなりきつい。なんとか兵力と兵糧を持たせたい。
松平元康隊が伊達輝宗の籠る延沢城を攻め落としてくれた。これで山形県一帯は山内家のものになったぞ。伊達輝宗は北の秋田県内へと退いたようだ。
太平洋側のルートが開けたことで仙台平野の利府城(宮城県利府町)への道ができたが、利府城がなかなか防御力が高く攻城に苦戦しているようだ。そこで山形県側から回り込んで北の名生城(宮城県大崎市)へと攻め込む。ここを突けば北からの援軍も利府城まで回らないだろう。
案の定、伊達軍は次々に名生城へ援軍を派兵し始めて、利府城への救援がピッタリと止んだ。大浦為信隊に包囲されていた利府城主・後藤信康が降伏を申し出てきた。これで利府城も大内軍のものだ。
さらに北に版図を広げるべく、北東の寺池城(宮城県登米市)を狙う。だが、奥州の南北の長さがそろそろ効いてきて、各部隊も兵糧がけっこうギリギリになっている。どこまで持つか体力勝負になってきそうだ。
宮城県が平定間近ということで、秋田県にも突入していくことに。まずは横手城(愛知県横手市)だ。6000近くの兵しかいないが、宮城県の防衛が大変なのか、相手も2000ほどしか動員できないようだ。兵糧も乏しいが、何とか遠征だ。
名生城へ向かっている大内義尊の本隊が、色麻(宮城県色麻町)の地で伊達家家臣・柏山明吉の部隊と遭遇。「色麻の戦い」が開戦した。だが柏山明吉軍は兵数1662の1部隊だけ。6部隊のこちらは柏山隊を取り囲んで挟撃。
柏山明吉隊は壊滅して「色麻の戦い」は大内軍の勝利で幕を閉じた。だが今回はこちらにたまたま8000人の蘆名盛氏の部隊がいてくれたからよかったが、大内義尊をはじめ各部隊はかなり兵力を消耗している。このまま遠征が続くとさらに先細りする気はする。
横手城、寺池城を同時に攻めていてそちらにも援兵が散ってしまい、名生城に十分な兵が送れないようだ。島津家久隊が伊達輝宗本隊を蹴散らしてくれた。
北奥州から続々と援兵が来ていたが、その前に名生城は落とせた。だが北奥州に温存している伊達軍の兵力はまだまだ多いようだ。前線を押し上げていると言っても、なかなか油断はならない。
獲ったばかりの城は防御力も兵数も弱く、すぐに取り返される心配がある。簡単には攻めてこないように、こちらからも休みなく敵城へ兵を繰り出すことで、注意を防衛に向ける。寺池城へ進軍だ。黒田官兵衛が寺池城周辺で一揆扇動を仕掛ける。
秋田ルートは、内陸の横手城を攻めながらも、日本海沿岸からも兵をすすめる。奥州屈指の知恵者である北信愛の部隊を、北条氏康が蹴散らしてくれた。
毛利元就隊、島津義久隊らが伊達輝宗軍の反抗を跳ね除け、本城となっていた寺池城を攻め取った。これで宮城県全域は大内家のものになったと言えるだろう。東北地方の半分は制圧したという感じだろうか。
伊達家の守る城は、残りわずか10城。いつしか13城の長尾家よりも下位に転落してしまった。最大兵力も62500ほどで、現状は39000ほどまで激減している。
ついに岩手県域へと進軍する。次の標的は伊達輝宗が逃げ込んだ高水寺城(岩手県紫波町)だ。しかし、兵力ではかなり上回っているのに、腰兵糧が足りておらず、各部隊の兵数も少ない……。長い奥州遠征で平坦が伸びきって、十分な補給ができていない。
だがここで打ち切って準備に専念すると、それだけ伊達家に温存のチャンスを与えてしまう。ここは我慢比べだ。どちらが先に燃え尽きるか、全力で勝負するぞ!
(第24話へつづく)
【武将名鑑】(23)明智光秀(あけち みつひで)
美濃国出身の戦国大名。斎藤家を出奔して室町幕府の将軍・足利義昭に仕え、足利義昭を擁立して京入りした織田信長に仕える。その知略で織田家中で大きな地位を得るが、謀反を起こして「本能寺の変」で織田信長を自害に追い込む。羽柴秀吉に「山崎の戦い」で敗北して生涯を終える。
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