歴史発想源_赤備軍団篇_

第七回:紅蓮を継ぐ者は誰ぞ「真田丸の戦い」 [精強の証左・赤備軍団篇]

戦国最強の証「赤備え軍団」を率いた井伊直政の活躍によって、主君・徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利を収め、天下を掌握しました。

そしていよいよ、戦国時代の総決算となる「大坂の陣」が開戦。日本の運命を決めるこの最後の大いくさに、二人の赤鬼が現れます。「赤備え軍団」vs「赤備え軍団」。最強の称号はどちらの手に渡るのか?

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戦国最強の精鋭部隊「赤備え」を率いた名将たちを描く「精強の証左・赤備軍団篇」(全8回)、第7回をどうぞ!

※副題は便宜上「井伊直政の章」となっていますが、井伊直政だけではなく飯富虎昌、山県昌景、井伊直虎、真田信繁(真田幸村)、井伊直孝など、様々な名将たちが登場します!

▼歴史発想源「精強の証左・赤備軍団篇」〜井伊直政の章〜

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【第七回】紅蓮を継ぐ者は誰ぞ、真田丸の戦い

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■戦国の世最後の大いくさ、「大坂の陣」

さて、一般的に「関ヶ原の戦い」は日本を治める天下人を決める戦いだと思われていますが、本来の意義は違っていました。

豊臣秀吉の死後の豊臣政権において、その臣下である徳川家康と石田三成、どちらが忠臣でどちらが逆臣なのか、ということを決定する大戦だったのです。

ですから、「関ヶ原の戦い」の終了時点ではまだ政権のトップは豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼(ひでより)であり、関ヶ原勝者の徳川家康は「私が豊臣政権の筆頭家老として豊臣家を盛り立てていきますよ」と言える立場になった、ということです。


ところが、慶長8年(1603年)、徳川家康は朝廷から「征夷大将軍」という役職に任じられます。

つまり、朝廷は徳川家康に対して「あなたは全国の武家のトップですよ」と認めたのです。

そのため、徳川家康は初代将軍として江戸幕府を開府することになるのですが、武家政権のトップが徳川家康だと認められたのならば、豊臣秀頼の存在は何なの? ということになります。

完全に置き去りにされてしまったことになります。

徳川家康は当初、豊臣秀頼はまだ7歳の少年なので政治を取れる年齢ではないから、補佐役である自分がとりあえず仮のトップに就いた、という理屈を立てていました。

豊臣秀頼の母である淀君(よどぎみ)は、まあ確かにそのとおりだと黙認していました。

ところが、2年度に徳川家康は征夷大将軍の座を息子の徳川秀忠(とくがわ ひでただ)に譲ってしまいます。

当然、淀君はこのことに激怒します。

豊臣政権という会社の創業者である豊臣秀吉の死後、専務取締役の徳川家康が仮の2代目社長に就任したのは、豊臣秀頼の成長を待って3代目社長としてバトンタッチし、経営権を創業者一族に返してくれるからである、と思っていたわけです。

ところが、徳川家康は自分の息子に経営権を譲り渡したことで、この会社の経営権は創業者一族ではなくて徳川家に代々受け継がれていくものですよと宣言したんですね。

本来は豊臣秀頼が次の社長だったはずなのに、専務の徳川家康が東京に作った自分の新しい会社に全権を移して創業者一族から経営権を奪い、大阪の旧会社はいつの間にか実体のないものになっちゃったわけです。

淀君は当然この状況に納得できず、徳川家康と豊臣秀頼は結局共存不可能であるということで、徳川家と豊臣家による戦いが繰り広げられることになりました。

これぞ、本当の意味で天下人を決める戦い。

これが徳川家康にとって天下統一の総仕上げ、つまり乱世のラストバトルとなります。


そこで徳川家康は、全国の大名に参陣を命じて、豊臣秀頼の居城・大阪城をぐるりと取り囲みます。

それに対する豊臣秀頼は、父・豊臣秀吉の遺した莫大な財産を頼りに、全国各地に散らばる豊臣恩顧の浪人や徳川政権に異を唱える反対者などをかき集めていきます。

豊臣秀頼の下には意外に多くの将兵が集まってきて、大阪城に結集した豊臣軍は約10万人にも膨れ上がっていました。

それに対する徳川軍は、全国の大名の軍勢を合わせて約20万人です。

大阪城の防御力を加味すれば、両軍互角の戦力ぐらいとなり、史上最大の巨大な戦場となります。

慶長19年(1614年)、乱世を終わらせる最後の大勝負「大阪の陣」が、いよいよ開幕となります。

しかしこの時、関ヶ原の戦いまで露払いとして縦横無尽に大暴れしてきた「井伊の赤鬼」こと井伊直政の姿は、この大阪の戦場にはありませんでした。…

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