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【社長コラム#2】“慣れ”に潜む罠

こんにちはウィナス人事部です。
新シリーズの浜辺社長トップメッセージコーナーの早くも第2弾の公開です。

第1弾はこちら。

今回のテーマは「慣れ」
もちろん「仕事に慣れる」という良い意味の“慣れ”もありますが、別のニュアンスの“慣れ”には大きな罠が潜んでいます。
記事を読んで、身につまされると感じる人もいるかも?! こちらも必読です!



・「慣れる」に潜む罠

「慣れ」ほど怖いものはありません。
私は社会人になって24年。社長になってからは約20年ぐらいの月日が経ちました。

職業柄、老若男女問わず、多くの人と出会い接してきました。
良いことも悪いことも多くのことを経験してきた中で、それと比例するように「当たり前」「慣れ」が多くなってしまうのです。

その中で一番怖いのは、「感謝の気持ちを持つ」「相手の気持ちを理解する」それができなくなっていくことです。
結論から言うと「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない人が増えてしまう状況にあります。

それが言えないと、人として魅力が1/1000に激減します。
もちろん誰も魅力がない人と一緒に仕事をしたくないですよね。
しかも自分が知らず知らずにのうちに感謝や謝罪ができなくなっていくのがこの問題の怖いところ。その原因が「慣れ」ということになります。
しかも、本来感謝すべきはずだったことも「当たり前」になってしまうと、その恩恵を受け取れないと「不満」と言う感情に変わってしまう。これは本当に恐ろしく、悲しいことです。

・目の当たりにした「感謝」が「不満」に変わる瞬間

実際にこのようなことがありました。
A君は、今月どうしてもお金が無くてB君にお金を1万円だけ借りた。
B君は「返済はいつでもいいよ。」とめちゃくちゃ優しかった。
A君は「いや~本当にありがとう。すごく助かった」と “感謝” した。

しかし、味を占めたA君は「B君は優しいからいつでもお金を貸してくれる」
「返済もあまり言わない」と思い込み、しょっちゅうB君からお金を借り、
返済を全然しなくなってしまうのです。

あるとき、B君は「いつ返済してくれるの?今月には返すって言ってたじゃん。
もう20万円も貸してるよ」と催促するようになりました。

A君は「来月には返すから、ちょっと待ってよ~」と言うのですが、それから半年経ってもA君は一切返済をしませんでした。

ある日B君が「本当に一回返してくれない? 足りなくなったらまた貸すから、一回返してよ」と伝えます。
するとA君は「お前、金、金、金うるさいなー。何なんだよ!そんなに金が欲しいならくれてやるよ!」と万札を数枚、B君に投げつけた。

※いやいや、全然足りてないから!と、さすがにその場面を見ながらつっこみたくなりました。

皆さん、このA君のことどう思いますか?
「とんでもないやつだ。絶対許せない」と思うでしょうか、実は似たことを結構やりがちなのです。

A君は最初は感謝していたはずが「慣れ」により、お金を返さなくても良いことが当たり前になってしまった。
そして、返済してくれという当然の主張をされたのにもかかわらず、自分の欲求を満たされなくなったことで「感謝」から「不満」に変わってしまう。

これは典型例ですが、似たようなことはよく起こります。
私は立場上、食事に行ったときに支払いを受け持つことが多いですが、たまに「割り勘にしよう。半分出して」などというと、不満な顔をされてしまうことがあります。

これは奢ってもらうことが当たり前になってしまい「ごちそうさまです」という感情が不満に変わってしまった例です。

・決して当たり前ではない日常

私は、何かしてもらったことが「当たり前」と思うようになったとき、その人の成長はそこでストップするとさえ思っているのです。

毎日朝起きて、ご飯食べて仕事して、夜になったら寝るという生活が当たり前。
風呂に入りたくて蛇口をひねったらお湯が出るのも当たり前。
でも、実はどれも当たり前のことではありません。
病気になって毎日毎日治療しながら、苦しい思いをしながら生きてる人もたくさんいます。

戦禍の中で生きる人は、目が覚めた時に「まだ生きている」という「生」を実感して安堵するでしょう。
アフリカでは、飲める水が蛇口から出てきません。当然お湯もない中で生活をしています。

普段当たり前だと思ってることに対して「当たり前ではないんだ」「ありがたい」という考えを持ち続けることが出来るか。それとも慣れて麻痺を起こし、不満ばかり言うようになるか。
これはその人の育ってきた環境だったり、今いる周りの同僚や上司などによっても大きく影響されると思います。

社会人になって、プロとしてお金をもらっているのに「教えてもらうこと」が当たり前だと思っている。
「教育内容をしっかりと準備して、私に教えたまへ」と平気で思っている。
「飯でもいくか?」と誘ってもらうことがあたりまえだと思っている。
まったく成果を出していないのに「ムダな残業はすべきではない」「効率よく仕事をするべきだ」という評論をし、会社はもっと効率化した仕組を提供するのが当たり前だと思っている。

自分で本を読む、セミナーに通う、学習するということもせず、成果も出していないのに、毎年給与が上がるのが当たり前だと思ってる人がいる。
この当たり前が実現されないと不満に変わる。自分に目を向けず相手の責任にする。

もしかして、心当たりがありハッとする人もいるかもしれませんが、不満を言われた方の気持ちも考えてみましょう。
そういう人と一緒に戦友として戦っていきたいと思うでしょうか。この人のためになんとかしてやろうと思う人がいるでしょうか。
おそらく、そう思える人は少ないでしょう。
つまり仲間を自分から知らず知らずに捨てていっているということに気づいてほしいのです。

・常に感謝の気持ちを持ち続けること

人生において一番大事なものを平気でなくしていくことに気づかず、時間が過ぎていく怖さをどれだけ自分でイメージできるか。
もっともっとイメージして、全てが「当たり前ではないんだ」「ありがとう」と素直に言えるかどうか。
もし、自分が何かしら失敗したり迷惑をかけてしまったら、素直に「ごめんなさい」と言えるか。

感謝の心を失くし「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない人が他人のために何かすることができるでしょうか。
ましてや問題、課題解決なんて不可能ではないでしょうか。

だからこそ何か自分にしてもらったことに感謝し、ありがとうを伝え、相手に恩に感じ、出来る範囲でお返しをしていこうと私は常日頃思っています。
それができる人が増えれば、戦争もなくなり、人が人に対してもっと優しくなれる社会が出来るのではないかと本気で思うのです。

でも、それが「当たり前」ではないから難しい。私も実感するところです。
ウィナスの仲間たちには「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える人が多くいて欲しいと切実に願っています。

そのためにも、常に自分がそんな人間であり続けたい。そう心に決めているのです。


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