根性無しの自分が根性論に思うこと
最近すっかり批判の対象にしかならない、根性論。
追い込まれないとやる気が出ない上に、散漫な性格も相まって、自分のことは根性無しの人間だと思いながら生きている。
ということで自分も根性だけで何とかしようとする世界にはついて行けないと思う1人である。
が、同時に最近の根性論を否定する世界にも違和感を抱いていたりもする。
ということで、人生のバイブルシリーズ。
冒頭の画像は、ラストイニングの1シーン。ラストイニングは、古豪の野球部が常識にとらわれない監督の元で甲子園を目指すという漫画。
それまで、「さわやか・ひたむき・正々堂々」という高校野球のイメージを否定し、ロジカルに勝つことにこだわる姿勢をみせてきた監督が、夏の甲子園前の合宿の最後に掲げたテーマが「根性」。
そう、いくらロジカルに最適化を試みても、最後に必要になるのは根性なのである。
そして、昨日のNHKスペシャルでの大谷翔平の話。
日ハム時代の監督である栗山さんが大谷翔平の凄さとして、楽しみながら、苦しい状況を乗り越えていく、ということを挙げていた。
これを観て、これこそ新しい時代の根性論という気がした。
ラクして生きる。
エネルギー消費を抑えて生きるということは、生物としてそれだけ生存確率が高まる訳で、ラクして生きたいというのは、人間が持つ生物としての本能なのかもしれない。
そして、経済発展を成し遂げた現代日本において、誰かに責任転嫁しながら、ラクして生きることは、それほど難しくないことのように思う。
ただ、ラクして生きるというのは、自然環境に身を任せ進化を外的要因に委ねる生物の姿でしか無い訳で、人間の創り出す急速な変化を伴う不確実な世界において、果たしてその生き方は、本当に良い生き方なのだろうかとも思ったりする。
メジャーリーグを代表する野球選手となった大谷翔平でさえ(だからこそといったほうが適切な気もするが)、NHKスペシャルのインタビューの中で、現状維持ではなく、進歩していくことが大事だと言っていた。
そんな進歩には、生みの苦しみが必ずつきまとう。
そして、それを超えるには、ある種の根性論のようなエネルギーが絶対に必要なのだと思う。
仕事で関わるDXでも、業務改善による業務負荷低減が主目的に成り代わっていくのを良く目にする。本来DXとは、新しい価値を創出するためにあるのであって、業務負荷の低減はあくまでその過程として必要なものでしか無い。
大谷翔平の二刀流のように、新しい価値観を生み出し、それに根を生やし定着させてこそのDXなはずだが、みんなラクすることを考えがちということなのだろう。
根性無しの自分だが、根性論が否定され、ラクして生きることが正しいことだという思考の広がる世界において、苦しみを楽しんだほうが人生も世界も豊かなものになるんじゃないかと、そんなことを思ったりする。
ということで、最近全然競馬予想が当たらず苦しい状況の自分は、この状況を楽しみながら、全く根の生えて来ない競馬予想のDXをそろそろ根性出して実現しないとなと思う訳なのです。