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落ち込んだときにあわられる砂糖菓子

だめになりそうな日々の中、小さな砂糖菓子が日常のところどころにある。「もうだめだ」と思う一歩手前、ぎりぎりのところで、砂糖菓子はひょっと現れる。


例えば、たまたまつけたテレビの、たまたまやっていた星座占いで、ふたご座が1位を獲得していたこと。

「ふたご座のみなさんは、何をやっても絶好調! 仕事も人間関係も万全に進んでいきます。家を出る前に体重計にのると、さらに運気がアップ!」

万全に進みます、まではいいのに、なぜ朝から体重計にのらないと運気がアップしないんだ……と思わずツッコミをいれる。体重見たら、逆に運気さがるわ。


例えば、全然当たらなかったライブ抽選の、ダメ押しでした最終抽選、一縷の望みが当選した知らせが届いたこと。

「厳正なる抽選の結果、たなべさんが当選したことをお知らせします」。そんなメールが不意に、落ち込んだ私のもとにポンと届く。「え、今……?」なんて口では呟いているが、内心信じられないぐらい喜んでいる。

やっと会える……! やっと見れる……! やっと聞ける……! じわじわとくるその感動が、さっきまで渇いていた私の心をうるうるとさせる。


例えば、自分が作った名もなき自炊が思った以上に美味しくできたこと。私の自炊はいつも大雑把で目分量で、美味しいことはまあまあ少ない。それなのに、ときどき信じられない神分量を叩きだしてしまうことがある。

料理してるときはどんより気分で、適当にぱらぱらと何かを振り、じゃばじゃばと何かを足しているのに、出来上がったものがぴたりとした完成品。そういうとき、「美味しい」なんてきちんとした言葉は出てこなくて、「ぅんんんまあ~~!!」と一人でのけぞってしまう。


「自分の機嫌は自分でとれること」が大人だと私は思う。自分で自分の機嫌を上手にとって、自分で自分をきちんと調えて、常に自分を一定にして相手に相対す。そうできることこそが大人だと思う。

でも、それがうまくいかない日だってある。とりたい機嫌がことごとく網目をすり抜けてこぼれ落ちていく。ずんずん悲しくなって、どんどん深みにはまる。

そんなときヒョっと現れた砂糖菓子が甘くて甘くて泣きそうになる。

大丈夫。まだ大丈夫。砂糖菓子を噛みしめて、甘さを自分にいれてまた上を向く。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。